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「世論(よろん)」と「世論(せろん)」(2018)

「世論(よろん)」と「世論(せろん)」
Saven Satow
Sep. 18, 2018

「世論のために闘う機会を持たないならば、世論は存命しえない」。
トーマス・マン

 外国人が日本語を学習する際に、最も難しいのは漢字の読み書きである。日本で使われる漢字の大半は複数の読み方を持っている。例えば、「行」は音訓併せて五つの読み方がある。音読みの場合、「行進」は「こう」、「行事」なら「ぎょう」、「行脚」では「あん」である。訓読みの場合には、「行く」の「ゆ」と「行う」の「おこな」がある。

 もちろん、こうした複雑な特徴の漢字を廃止すべきだという論が幕末から主張されている。しかし、今でも漢字が使われている。

 日本語は母音や子音の数が比較的少ない。そのため、同音異義語が多い。漢字はそこから生じる不都合を補う機能がある。

 この同音異義語の「異義」にしても、同じ音ながら、意味の異なる「異議」や「意義」がある。耳で聞いただけでは、どの語を指すのかわからないこともしばしばである。

 一方、一つの漢字が複数の読みを持つため、同字異音の語もある。これには同義と異義の二つが含まれる。

 前者の例として「昨日」を挙げることができる。「きのう」とも「さくじつ」とも読むが、意味は同じである。両者の使い分けの理由の一つに、同音異義語による誤解の回避がある。「きのう」には「機能や「帰納」など同音異義語がある。取り違えないために、「さくじつ」が使われることがある。

 後者の好例が「世論」である。これには二つの読み方がある。「よろん」と「せろん」で、意味が違う。

 「よろん」は公衆の理性的な意見である。英語の”Public opinion”がそれに当たる。他方、「せろん」は世間の感性的な印象を指す。英訳するなら、”Public sentiment”である。

 日米開戦時の首相だった東条英機は「国民の大多数は灰色である。一部少数の者がとかく批判的言動を弄するものである。そこで国民を率ひてゆく者としては、此の大多数の灰色の国民をしつかり掴んでぐんぐん引きずつてゆくことが大切である。大多数の灰色は指導者が白と云へば又右と言へばその通りに付いてくる。自然に白になる様に放つておけば百年河清を待つものである」と言っている。彼は明らかに「世論」を「せろん」と捉えている。

 一方、独立回復時の首相だった吉田茂は「新憲法によってわが国のいわゆる民主政治が確立されたが、現在の政治の形態が、果して当初に期待された如きものであるや否や。真に民主政治が確立されるまでは、国民は深き注意を以て、常に政治、政局の推移を監視せねばならぬ。(略)政治のあらゆる段階に人気取りが横行する。それは結局国民の負担となり、政治資金の乱費となる。ひいては政治の腐敗、道義の低下を助長するのである」と語っている。彼は、それが別の読みに堕する危険性を警告しつつ、「世論」を「よろん」であると期待している。

 メディアが国民や住民を対象にして、内閣や政策などの支持・不支持について調べることがある。それはしばしば「よろん調査」と呼ばれる。「せろん調査」と言わないのは、人々が一般的に質問に対して理性的に考えた上で回答していることを前提にしているからである。

 けれども、「せろん調査」の方がふさわしいのではないかとその結果について思う人も少なくないだろう。その「世論」調査の結果が「よろん」を示しているのか「せろん」なのかは、それを受けとめる人々の態度が明らかにする。「世論」調査は結果よりも反応が人々の認知をよく物語るものだ。「社会の健全な進展は正しい世論の力による。正しい世論はひとびとが和して同じないところに生まれ、世論の堕落は同じて和しないところに起こる」(天野貞祐)。
〈了〉
参照文献
伊藤隆他編、『東條内閣総理大臣機密記録』、東京大学出版会、1990年
吉田茂、『回想十年』、毎日ワンズ、2012年

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