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ドイツW杯と『ヴィルヘルム・テル』(2006)

ドイツW杯と『ヴィルヘルム・テル』
Saven Satow
Jun. 13, 2006

「幻想は短く、後悔は長い」。
フリードリヒ・フォン・シラー

 ドイツにおいて、サッカーのW杯が開幕し、日本にも高揚感と落胆をもたらしています。

 近代に入って以来、日本にとってドイツは、明治憲法を始めとして、さまざまな面で深い関係があるのは周知のことでしょう。そうした日独交流史の中で、最初に紹介されたドイツ文学はフリードリヒ・フォン・シラー(Friedrich von Schiller)の歴史劇『ヴィルヘルム・テル(Wilhelm Tell)』(1804)です。

 スイスのシュヴィツ州・ウリ州・ウンテルワルデン州は、神聖ローマ皇帝から勅書を賜り、自治が認められます。ところが、14世紀になってオーストリアのルドルフ王が皇帝となると、自治権を無効にし、代官を派遣して統治させるようになります。ウリ州に住むヴィルヘルム・テルは、横暴な代官ゲスラーの帽子に敬意を示さなかったため、息子の頭に乗せたリンゴを矢で射落とせと命令されます。見事に成功したものの、失敗して息子が死んだ時には、ゲスラーを殺す覚悟だったことが代官に知られ、捕まってしまいます。しかし、テルはうまく逃げ、待ち伏せて、ゲスラーを射殺します。これをきっかけに、スイス各州で民衆が一斉蜂起し、オーストリアからの独立運動が本格化していくのです。

 1804年と言えば、フランス革命が全欧州に影響を与えていた時期です。革命に触発されて、ドイツの若者の間で自由主義的な思想が流行し、精神的高揚が生まれています。けれども、当時のドイツは40余の小国に分かれ、シラーが小説『招霊妖術師』で諷刺したように、時代遅れの宮廷政治に支配されています。政治的停滞への苛立ちが精神的高揚につながっているのです。老害と気紛れ、嫉妬、前例主義、迷信深さが政治に蔓延し、絶望的な停滞に陥っています。才能ある者はそれだけで疎まれ、排除されてしまいます。

 シラーもそうした冷や飯を食わされた一人です。彼は、1789年イエーナ大学の歴史学教授に就任するまで、安定した職に就けず、おまけに上演禁止処分を受けるなど苦しい生活を送らなければなりません。彼の生涯は自由への衝動と権力への抵抗で貫かれます。

 シラーは、『素朴文学と感傷文学について』(1795-96)において、かつての「素朴」な時代と違い、現実と理想が乖離した近代を生きているのであり、現実を言葉によって理想化しなければならないとして、それを「感傷」と呼んでいます。感傷は自己憐憫を意味しているわけではないのです。理想は芸術の中にのみあることを自覚しなければなりません。

 死の前年に発表されたこのアンチヒーロー劇も彼の感傷主義に基づいています。舞台は「素朴」の時代であり、主人公は伝説上の人物です。しかも、シラーはスイスに足を踏み入れたことさえありません。スイスの地図と風俗画を眺めて、想像して書いています。

 けれども、かの人々は、これほど自分たちスイス人の気質や言動を捉えた作品はないと誇りにしています。感傷によって創造された理想は現実を活性化することもあるのです。

 W杯でどのような結果が出るかはわかりません。しかし、「感傷」の時代を生きる人間として現実に対処することが必要でしょう。
〈了〉
参照文献
シラー、『ヴィルヘルム・テル』、桜井政隆他訳、岩波文庫、1957年
フリードリッヒ・シラー、『ㇱラ―名作集』、内垣啓一訳、白水社、1972年
フリードリッヒ・シラー、『シラー美学芸術論集』、石原達二訳、冨山房百科文庫、1977年

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