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中村光夫、あるいはわが青春に悔なし(1)(2005)

中村光夫、あるいはわが青春に悔なし
Saven Satow
Mar. 31, 2005

「確かなことは、イタリイのルネッサンスのみならず、ルネッサンスというものそのものの性格が、日本人によってこれ程克明に語られたことはまだなかったということである。そして我々は更に、この中村が強調している若さというものが東洋の伝統にはなかったものであり(略)、それにも拘らず、中村がこの若さに彼自身の若さを感じているようにさえ見えるのは、彼の場合、少しも間違ってはいないのだということに注意しなければならない。ヨオロッパの文学が日本に持って来られたというのは、結局はこの若さが日本に伝わって来たということなのである。人間の可能性を信じてこれを開拓するという、若さというものの本質が、ヨオロッパでのように完全に、民族的に発揮された例は他にない。中村はそれに打たれて、そこに彼自身が学んだ文学の源泉があることを直覚するのに必要な知性も、教養も備えてヨオロッパに渡ったのだった」。
吉田健一『中村光夫のフランス留学』

1 青春時代
 日本近代文学にとって、青春は最大の商品です。無名の若者が新たな青春像を描いた向こう見ずな小説でデビューし、文学界もそれによって文学的にも経済的にも活性化していきます。坪内逍遥の『当世書生気質』以来、日本文学にはこうした青春小説の伝統があります。特に、戦後にその傾向が顕著です。混乱期に1900年生まれの石坂洋次郎が若い読者に向けて愛や性などのテーマを盛りこんだ青春小説が絶大な人気を得ます。戦後という新しい時代にふさわしい青春像を読者は求めています。富島健夫や石原慎太郎、岩橋邦枝、大江健三郎、柴田翔、中上健次、村上龍、三田誠広、中沢けい、田中康夫、吉本ばなな、金原ひとみ、綿矢りさに至るまで続いています。日本近代文学の終焉が論議されて久しいのですが、青春の商品価値は必ずしも下落していないようです。

青春をキーワードにして今日の文学を考察することに無理があるという指摘も少なくありません。三浦雅士は、『青春の終焉』において、近代文学が想定してきた「青春」概念が終わりを迎えたと主張しています。東京オリンピック以降の風景の変化がそれを前提にしてきた日本近代文学を葬り去り、青春小説が持っていた文学的なインパクトは失われ、産業としての出版を支えているにすぎないというわけです。また、木村直恵は、『〈青年〉の誕生』の中で、近代で〈青年〉がいかに誕生してくるかを論じています。

 確かに、青春は近代の学校教育制度の産物であり、青春小説は近代文学において成立しています。「シュトルム・ウント・ドランク」から主人公の線的な成長を描く教養小説が誕生します。この「教養」は古典ギリシア語やラテン語などの伝統的な教養を意味しません。それは新たな時代にふさわしい教養の習得です。教養小説は、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』やゴットフリート・ケラーの『緑のハインリヒ』、トーマス・マンの『魔の山』がそうした代表で、自我の目覚めとその形成を描いています。

 「青春」はもともとは中国の四原論に由来し、朝=春=東のアナロジーによって定義されるのですけれども、近代では、学校生活などの中で、悩める多感な時期を経て、成長し、自立していく姿です。大人はわかってくれないと自意識に目覚め、仲間と葛藤しながら、自己を対象化して、親から自立し、アイデンティティを確立しようとする線的な発達段階です。青春小説の青春はその明るさに潜む不安や不満、疑念、刹那を示し、それは教養小説のヴァリエーションです。

 青春は近代と密接に結びついており、近代が時代遅れになったとすれば、青春も陳腐な概念だと言わざるを得ないでしょう。日本では、加えて、富島健夫が青春小説からその愛と性の面を強調した『おさな妻』(1970)によってジュニア青春小説のジャンルを開拓し、川上宗薫や宇野鴻一郎と並んで、官能小説を確立しています。

 三浦雅士や木村直恵の仮想敵は中村光夫です。多くの批評家が彼の中心的概念を「青春」に求めています。近代文学を青春から考察することを提起したのは彼の功績です。

  中村光夫は、敗戦後間もなく、多くの青春論を女性誌などに書き、それをまとめて、1947年11月、『青春と知性』として刊行します。そこに所収されている「青春について」において、青春に関して次のように述べています。

 「若い時は二度とない。」これはよく人々が青年に向つていふ言葉である。二十歳を越した青年でこれを親なり目上の人からなり聞かされたことのない人はゐないであらう。しかしこの言葉の意味を本当に考へて見た人は、おそらくそれほど多くはゐないのではなからうか。「若い時は二度とない。」だから勉強せよとか、好きなことをして遊べとか、この言葉の解釈は様々につくであらう。
 だがこの平凡な諺があまねく人工に膾炙してゐるのは決して単にそれがめいめいに勝手な解釈を許すからではなく、むしろそれがどのやうな解釈をしても貧乏揺ぎもせぬ或る厳しい事実の端的な表現だからではなからうか。すなはちどんなに精出して励もうと、または故意にのらくらして過さうと、僕等の若い時代といふものは唯一度しかない。二度とそれを取返すことは誰にも不可能だ。この誰も疑ひ得ぬ、だが誰しも忘れ勝ちな人生の真実をこの言葉は僕等の胸に訴へるのではなからうか。また更に考へて見れば、二度とないのは決して僕等の青春だけではない。僕等の一生もまた疑ひもなく二度と生きられぬものである。子供の時代も老年の時代も一度過ぎ去れば僕等には再び生きられない。これも僕等が不断は忘れがちな大きな事実である。
 しかし僕等はそのことも別段ことさらに考へない。たとへば子供を叱るとき僕等は「お前達の子供時代は二度とないのに。」などとは云はないし、また老人に向つて逆意見をするときもそんな事を云つたといふ例はないやうである。
 では人々は何故青年に対してだけこの事実を強調するのであらうか。云ふまでもなくそれは、青春が人生にとつて一つの決定的な時期だといふことを、人々が経験によつて知つてゐるからであらう。

 幼年期だろうと、青春期だろうと、老年期だろうと、その時期は一度きりであって、繰り返すことができないことでは同じです。にもかかわらず、青春期が特別視されるのは、「青春が人生にとって一つの決定的な時期」だからです。国民国家=産業資本主義体制は、学校教育を通じて、それを担う国民を絶えず生産しなければなりません。線的な流れになりますから、当然、中等・高等教育の時期がその人の人生に決定的な影響を与えることになります。明治以降、青春の自己形成の延長に人生がつくられる神話が浸透していきます。

 それ以前の成長に関する認識はこうです。「子曰吾十有五而志于学三十而立四十而不惑五十而知天命六十而耳順七十而従心所欲不踰矩(子曰く、吾十有五にして学に志し、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順し、七十にして心の欲する所に従うも、矩を踰えず)」(『論語』為政第二)。ここでは青春が特に重要な時期であるとは記されていません。段階を一つ一つ経て、人生を完成させていきます。志はともかく、20歳やそこらの経験が人生を決定することはないのです。

 中村光夫は、「青春について」において、それが近代の産物であると踏まえつつ、青春に際していかに臨むべきかについて次のように続けます。

 チェホフの戯曲に出て来る或る人物が次のやうな感想を洩らしてゐる。
 「私は人生といふものが二度生きられたらと思ふことがありますよ。さうすれば一度は手習ひで二度目は清書といふことになります。」と。これは一見奇矯な囈言(たわごと――川島)のやうであるが、多少人生の経験を経た者なら誰しもの胸に時々湧き起る、やや贅沢な、だが真実な感慨であらう。過失を犯した事のない者は世の中にゐない以上、誰しも自分の人生を振り返つて見てそれを完全な「清書」だと思ふ人はゐないわけである。もしもう一度生れて来たら自分のこれまでの生活をそつくりもう一度繰り返したいなどと思ふ者はよほど幸福な例外であらう。
 しかし実際の人生ではかういふ希ひは単なる夢想にすぎないことは誰しも知つてゐる。生活とはその本質において僕等に練習や清書を絶対に許さぬ何物かである。人類の巨大の生活である歴史が厳密にいへば決して繰り返さぬやうに、僕等のささやかな人生にも同じ事件は決して二度と起らない。僕等にとつて生きるとは絶えず何事かを新しく試みることであつて、しかもその試みに繰り返しは許されない。もしも僕等の身の上に外形から見れば全く同様な事件が偶々二度起り得るとしても、その後の事件は僕等が既にそれに似た事件の経験があるといふだけで、前の事件とは異つて現れる筈である。この意味で考へれば僕等の生きる一歩一歩は取り返しのつかぬ瞬間の連続にほかならない。
 そして青春とは正しくこの人生の本質が僕等の生活に最も明かに現れる一時期であるとすれば、それが僕等の生涯にとつてどれほど重要なものであるかはいふまでもあるまい。
 人々は普通青年は人生を知らぬといふ。だがかういふとき彼等は人生とはまさしく人生を知らぬ人間によつて築かれるといふ大きな事実を忘れてゐる。僕等は結婚するとき、果して結婚生活とは何かを知つてゐるであらうか。まためいめいの職業を選んだとき、僕等は果してその職業が実地にどのやうなものか知つてゐたであらうか。
 かう考へて初めて僕等は青年が志を高く持つべき必要を本当に理解するのではなからうか。何故なら青春とは僕等が人生の未知に対して大きな決断を下すべき時であり、その決断がやがて僕等の一生を支配するものだからである。
 青年にとつて何より大切なのは、真面目に考へ、断じて行う人生への熱情であらう。もしこれを欠けば彼の生涯は悔恨をすら本当に知ることはできない。

 「青春とは僕等が人生の未知に対して大きな決断を下すべき時」であるから、「その決断がやがて僕等の一生を支配する」のです。「人生の未知」に対する「大きな決断」の認識が一生のうちに、青春を反芻しつつ、現われます。青春は人生のプロトタイプでも、通過儀礼でもありません。中村光夫は青春を封じこめようとはしません。彼は青春と言うよりも、青春に対する意識を問題にしているのです。

 中村光夫は近代の作家の青春を問い直します。それは彼らが文学史に名を残す作家となる前の時期です。中村光夫は自明性に異議を唱えます。二葉亭四迷は二葉亭四迷として生まれ、育てられたわけではありません。さまざまな影響を受け、彼が二葉亭四迷としてつくりあげていきます。彼は最初から二葉亭四迷なのではありません。中村光夫は作家を存在ではなく、生成として把握します。中村光夫にとって、「青春」は作家や批評家が「彼自身になるための願い」(『漱石の青春』))です。それは力への意志でしょう。


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