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もう一人の自分が日本にいる気がする

今日授業中に(今も授業中なんだけど)突然動物園の始まり起源が気になって(なんで?!)調べてみた。元々紀元前のエジプトや中国の富豪が自分の権力を保持するために動物コレクションを持っていたらしい、へえ。
ジャパンでは江戸時代にカフェの客寄せとして孔雀を置いてる孔雀茶屋、鹿がいる鹿茶屋なるものがあったらしい。
え、猫カフェやん。
日本人って今も昔もやること同じじゃん…って感動した。


ニューカッスルの公園にいた孔雀

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これは全然共感されないことだけど、オーストラリアに引っ越してきてからずっと思っていることで、、、
自分抜きで日本での時間すぎてるって考えたら怖い(何が)
今私はシドニーの大学でこのnoteを書いてるけど、日本でオーストラリアにこなかった世界線の自分がそのまま日常を送っているみたいな気分になる。
未だにシドニーでの生活に非日常感を抱いているからかな。

小さい時から旅行から帰ったあと、「私がこうして学校に行ったり家で過ごしたりして日常を送っている間、旅行先で会ったあの人はあの土地で私と全く違う生活しているのかなぁ」とか物思いに耽るエモがり小学生だった。

私ってエモがりやねん。
すぐ過去の写真とか見返して懐古するし、邦洋問わず70年代80年代の音楽聴いて当時のことに思い馳せてしまう。






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