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Twitterとnoteだと、何が違うんだろうか。

Twitterとnoteを利用していて、その違いが最近気になります。

Twitterだと、1ツイートは短くても複数のツイートをすることで思ったよりも長い文章が書くことができます。

けれど、noteに載せる長い文章をエディタに向かって書こうとすると、とたんに筆が進まなくなってしまうのです。

文章を書く、という点ではあまり違いはないと思うのですが、どこが違うのでしょう。

自分なりに、少し考えてみました。

■Twitterとnoteの違い

【Twitterの場合】
Twitterは、最長で140文字しか書けません。
実際にツイートするときは、140字めいっぱいに書くことはあまりありません。
一行から二行くらいの、とても短いツイートが最近は多いです。
一息で書いた文章をどんどん「手放して」いる感じがします。

Twitterは、リアルタイムでいろいろな方のツイートがタイムラインを流れてゆきます。
このため、フォロワーさんがツイートをしていると、今まさにスマホやPCの前にいて、Twitterのタイムラインを見ていることが感じられます。

相互フォローをしている場合は、自分のツイートした内容がもしかしたらフォロワーさんの目にとまるかもしれない、という期待感があります。

(最近は、Twitterのアルゴリズムの影響で、文字だけでツイートした内容はタイムラインに表示されにくくなっているようなのです。なので、もしかしたらあんまりフォロワーさんの目にとまらないかもしれないのですが……)

ときどき「いいね」を押して下さる方がいらっしゃるので、自分のツイートがフォロワーさんに届いているのだな、ということが確認しやすいです。

【noteの場合】
noteに載せる文章は、可能であれば500字以上の長さにしたい、と思っています。

noteの編集画面へそのまま文章を打ち込んで、その日のうちに公開をすることを試したところ、あまり良い文章にはなりませんでした。

(noteの編集画面にそのまま打ち込むのは、うまく集中できませんでした。なんとなく落ち着かない気持ちになるのです。いったん、別の場所で下書きを書いて推敲をする、という段階を経たほうが、落ち着いて作業をすることができるようです。このため、最近はクラウドで利用できるエディタを利用しています)

長い文章は、下書きを書いたあと数日かけて推敲をしたほうが、より読み応えのある文章になるように感じます。

noteに文章を投下したあと、時々「いいね」がつくので、こちらも読んで下さる方がいることは感じます。

けれど、Twitterと違って「フォロワーさんが今まさに同じサイトを見ている」感じはしません。

遠く離れた場所にいる、読者の存在をリアルタイムで感じることが可能なのは、Twitterのほうかな、と思います。

うーん。
どうやら、noteとTwitterの違いは、「読者の存在をリアルタイムで感じることが可能かどうか」という点が大きいようです。

自分の書いた文章を、今まさに読んで下さる(かもしれない)読者が、リアルタイムで存在しているというのは、Twitterで文章を投下するときの大きな魅力なのかもしれません。

では……読者の存在をリアルタイムで感じることができないnoteの場合は、いったいどうしたら文章を書くモチベーションが上がるのでしょうか。

■noteに投下する文章を書くときの対策

一行から三行くらい書いたらひとかたまり、で、あんまり考えず、自由連想で繋げていってもよいのかな……。

それなら、少しずつ内容をずらした文章を繋げてゆくことで、続けてゆくことが出来そうです。

一つのことを、段階を踏んで検証してゆくような文章ではないかもしれませんが、あちこち寄り道をしながら、曖昧に続いてゆく文章なら、それで書いてゆくことができそう。

文章の長さを、1文字1センチと仮定して考えると、140字なら140センチの長さがあるわけです。

ふだんから、Twitterでは140字までの長さの文章を書いているわけです。脳内にはたぶん140センチの長さまでの紐(ここでは、文章を紐のようなものだと仮定します)を作り出す機構がすでにあると思うのです。

せっせとその「140センチまでの紐作成機構」を動かして、最長140センチまでの紐を作り、いったんエディタに並べてゆきます。

(パソコンの画面は横幅があまり長くありません。横に一直線にはならずに、二行から三行ぐらいに折りたたまれた状態で、黒っぽい ”まだらの紐” が並んでゆく状態になります)

ひらがなより、漢字のほうが画数が多くて黒っぽく見えます。

白っぽいところ(ひらがな)のほうが多くて、黒っぽいところ(漢字)が時々まざっている紐ができてゆきます。

……もしかしたら、自分の場合は、「1行を1ツイートだと無理やり思い込む」ようにすれば、なんとか、短い紐を出してゆけるんじゃないだろうか、と思えてきました。

「書きたいこと」は、脳内にあるときには、もやもやと形がないようです。

そんなにいっぺんに文字にはならないようです。

あんまり一文を長くすると、読みにくいかも。

若干、短めに ”まだらの紐” を作ってゆきます。

今のところはこれでいいかもしれない、と思えてきました。

頭の中でもやもやとしていることを、とりあえず、書けるところだけ書いてゆく。

いっぺんには文章にならないので、少しずつ書く。

書いたものを、エディタに並べる。

あんまり考えず、せっせと ”まだらの紐” を作る。

……よく見かける形の文章とは違うかもしれないけれど、これで長い文章を作るための素材は手に入るようですね。

”まだらの紐” がごろごろと、エディタに並んでゆく。

紐さえできれば、あとは並べ替えたり、切ったり貼ったりすれば良いのかな。

しばらくは、これで……ひたすら、短めの ”まだらの紐” を作ることだけを、まずやってゆこう。

■まとめ■


Twitterでツイートしているとどんどん文章が出来てゆくのに、
noteのための原稿をエディタで作成していると、なぜ文章がなかなかできなくなるのか、について考察をしてみました。

おそらく、個人的には、Twitterは「誰かが見ていてくれる感じ」があるので、文章が確実に出来てゆくのだと思います。

ですが、エディタの編集画面を前にしているときには、エディタは人間ではないので(当たり前ですが)「誰も見ていないところで孤独に作業をしている状態」になります。

誰もいない状態だと……あんまりテンションが上がらない感じはします。

子供の頃、母親が見ていてくれていると妙に頑張って勉強したり、家事をしたり、ということがありました。

もしかしたら「誰かが見ていてくれている」という感覚は、自分の中では、とても元気が出る、大切な感覚なのかもしれません。


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