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秋桜の花が咲く頃

春に着地した南信州の庭は今、秋桜の花が真っ盛り

風雨で倒れても綺麗に咲く秋桜

秋桜の花を見ると、6年前に11歳で亡くなった愛犬のしろを思い出す。

しろの最期が辛くて、今までなかなか書く気にはなれなかったけど。
秋桜を眺める度にしろを思い出し、ある思いがあるので書こうと思います。

ウエストハイランドホワイトテリアと言う犬種で通称ウエスティと呼ばれている


この季節は青い柿の実を見ても思い出す

庭に柿の木があって
しろはまだ青い柿の実を拾って食べてしまう

これは、家族と暮らしていた頃の話し。
ペットショップへ行き、娘がたってこの子がいいと言って連れて来た犬なのです。

ペットショップには生まれて間もない仔犬が沢山売られていて、どの子も高額でした。
そんな中しろは、売れ残ってちょっと大きくなって、価格も安くなっていて。脇の方にゲージに、もうペットショップの商品としては戦力外と言わんばかりに纏めて入れられていた子の中の一人でした。
ゲージの中で犬同士で小競り合いがある中、しろはその小競り合いに交わらず飄々と楽しそうにしていました。

娘は、その当時5歳。大人になった今でもその様子を覚えていて。だから、しろが良いと思ったのだと言います。

ウエスティはスコットランド原産の犬で、兎狩りに使われていたそうです。
とても賢く、やんちゃで可愛い性格で。ふわふわした毛並みだけど、抜け毛が少なくとても飼いやすい犬種です。
しろも漏れなく憎めないお茶目な性格でとってもとーっても可愛かったのです。
以前使っていたTwitterのアカウントで、しろは大人気でした。

家族が飼いたいと言っても、どうせ世話をするのは私。犬を飼うのは当然反対でしたが、家族に押されてやむなく飼い始めると。
案の定、朝晩の散歩も、食事も私。

けれど、当時の家族とギクシャクした関係の中。しろが居る日常はとても楽しい時間に変わりました。

雨の日も、雪の日もカッパを着るのが大嫌いなしろと格闘!
一日も休まず散歩に出掛けました。

空は1秒たりとも同じ模様がないこと。
移ろう景色の優しさ。
私達はこの自然の中に生かされていることを、しろと散歩をする事で気付くことが出来ました。

しろには、本当に沢山幸せな時間を貰って、心からありがとうしか無くて。
いつか私達より先に旅立つであろうしろに、「大好きだよ!ずっと大好きだよ!」と沢山伝えました。

なのに…
私は、家を出る事に決めて。
娘としろと暮らそうと思い、ペットOKのアパートを探しました。
しかし、家族との協議の結果。私一人でそのアパートに住む事になりました。
しろも、娘も。ずっと私がご飯を作り。散歩をして来たのに。。。

他所の小さな子が「ママー。」と呼ぶ声に胸が張り裂けそうになったり。
きっとしろは私の帰りを待っているだろうな…ごめんね。と犬を連れている人を見かけて思うこと。
前に進めない時もありました。
まあ、そんな時はしろに会いに行ったけど。それでも埋められない思い。

けれど、自分で決めたこと。
良く話し合い、決めたこと。
自分や家族にとって、今より良くなるために決めたこと。
きっと、其々にとって良い未来が待っている。そう信じて前に進む日々でした。

けれどその後しろは、ガタッと体調を崩し歩けなくなったり。寝ている時以外はずっと同じ方向にクルクルと回っている病気になりました。
病院に連れて行ったり
仕事の帰りに寄ったりして、しろを励ます日々はそう長く続かず。
6年前の今日10月1日。
元の夫から早朝の5時に連絡があり
しろが死んだと…。

病院の薬が効いたのか、ちょっと元気になったしろは。小屋があった玄関から部屋に上がってしまい。
テーブルの上に置いてあったテレビの下へ…
その下で病気のせいでくるくると回って、コードが巻き付き首が締まって命を落としてしまったのです。
苦しかったでしょう。。。

その日はたまたま仕事が休みで。
小泉稲荷の秋桜畑まで娘としろを車に乗せて、コスモスを摘んで。
箱にいっぱいの秋桜と一緒に荼毘に伏しました。自治体の火葬場の方はとても丁寧にしてくれました。
そして、家族を見守る狛犬として活躍してもらう様に、庭の片隅に埋めました。

しろ、ありがとう
ずっと大好きだよ

元の夫は、すみません…気付かなくて。まだ温かったから、少し前だと思うと。
元気なら、暴れたり声を出したかも知れないけれど。その時のしろにその元気は無かったのでしょう。
寝静まった朝方、気づかないことを責めることは出来ない。
むしろ、しろが死んだのは私のせいだと思っている。

毎朝毎晩しろと一緒に散歩をして、ご飯を上げて、遊んで、話しをしていた私が家を出たことは、しろにとって大きな悲しみでありストレスだったでしょう。
だから、しろの身体に病が蝕んだのだと思います。

娘にも、元の夫にも、その姑とっても
私は悲しみやストレスを与えたのだと思います。

それを全部しろが背負ってしまった。
それが、私がしたことの結果だ。
ずっとそう思っていた。

けれどそう思っていると言うことは。
私が家を出た後、私が居なくなった分娘も元の夫も出来る限り全力でしろを可愛がっていてくれた。
それでは足らなかったと言うことになる。
それは、私以外の家族を責めていることにもなる。

だから、そう思うのは今日でやめようと思う。

それよりも、しろにありがとうと言う思いを伝えよう。
ごめんね、しろ。
寂しい思いをさせてしまって。
しろと過ごした時間は私の一生の宝物だよ。ありがとう。
ずっとずっと大好きだよ!と言う思いだけに。

本当に、良い子だったんだ。
本当に可愛かった。

一番好きな写真
こうやって座っていつも私達を見ていてくれた



しろが死んだのは私のせい。
今日、コスモスを見る度に湧いてくるその呪縛から自分を解き放ち。
しろと出会えた喜びと感謝だけに変えようと思い、コスモスの咲く季節に抱く思いを、このnoteに書きました。

読んでくれてありがとう。
共に生き、喜びを与えてくれた動物たちへ感謝。

10月1日 しろの命日
颯月╰(*´︶`*)╯♡



2020年12月〜この搾取とハラスメント、地球環境の破壊を容認する人の経済活動に薪をくべることをやめ、人々が自立して支え合う新しい経済や繋がりを創り出す目的で活動している宮崎県のひょうたん市場作りに参加予定。テントで寝袋のキャンプ暮らしになります。サポートで応援資金を募ってます!