「帰りにおばあちゃんち寄ったら?」
鏡台の前で化粧を施す私に母は言った。「おばあちゃん喜ぶよ」

梅雨が明けてから、今日にかけて。
夏はじりじりと私を弱らせていった。

雨を美しく魅せてくれる紫陽花にも、夏の訪れを期待させる雲間の思わせぶりな態度にも飽きてきてしまっていた頃、スケジュール帳の7、8月のページには“仕事”の文字しかなかった。

暑さしかない夏なんて。

明けない梅雨と楽しみのない夏を恨めしやと呪いながら、私はその日もどうせ湿気でへたるであろう髪の毛を丁寧に巻いて、傘をさして駅へ向かった。

携帯の振動で目が覚めた。ガタンゴトンと繰り返される規則正しい揺れのなかで、私はいつのまにか眠ってしまっていたのであった。
“久しぶりに会いたいな、夏休み遊ばない?”
高校の友達からだった。
“夏休み”から滲み出る学生らしさに若干の淋しさを感じつつ、私も会いたいと返信する。

「会いたい、か」

1人の友達からの連絡を皮切りに他の友達からも続々とメールが届き、気がつけば空いている日はほとんどなくなっていた。


そして8月も終盤に差し掛かった今。私は酷く疲れている。

「乗り気じゃない?」不思議そうに小首を傾げる母。私は「そうじゃないけど」と、ファンデをはたく。
「あ」
まだ、旅行でこんがりと焼けた肌に化粧をする手が慣れていなくて、うっかりすると首の色と違ってしまう。

コットンに化粧水をふくませながら、私は小さくため息を吐いた。

「なんか、疲れちゃってさ」


今年の夏は、ひとに会い過ぎた。

友達、彼氏、マスター、島でお世話になったひと、近所のおじさんおばさん、会社のひと。

私は、好きな人はずっと好きでいたい。

そのために色々と気を遣う。それもできるだけ頭の悪いふりをして“気のいいバカ”を演じる。それが最も円滑にいくとわかっているから。

「この子にはなんでも話せる」と言うひとがいる。そしてそういうひとはだいたい、それが1番良いことなのよとでも言うようにツーショットを見せびらかす。

私はそれを目撃するたびに「薄情者」と、私という人間自体を否定された気持ちになるのだが、どんなに傷ついても、私はそういう風潮を受け入れられない。

なんでも話せるひとなんて1人もいないし、話せたところですべてをわかってくれるひとなんていない。
仮に「わかっているよ」なんて言われようものなら、私はその子の友達を辞めたくなるだろう。

そんな私だから、そんな私でも、好きな人はずっと好きでいたいから、神経を尖らせ、感情は鈍らせて、気のいいバカになるよう徹底している。
そして私の努力が無事に実り、のんきだとか天然だとか言って笑ってもらえることでホッと胸を撫でおろす。
いつからか、そういうふうにしかコミュニケーションをとれなくなっていた。


職場には汚い大人ばかりで、呼吸するのも苦しい。

私は今、努力や真実なんて生ぬるいものは通用しない、年齢と役職だけが法律の職場に苛立ち、葛藤している。
違うことは違うし、嫌なことは嫌だ。
たったそれだけのことも伝えられない“大人”たちには嫌悪感しかないのに、私もそちら側へいかなくてはならないのか、いきたくないと、懸命に抗っている。

一方で、父の言葉を思い出し、それも大人になるということなのかと考えることもある。
「なにが目的なのか考えなさい」
腹が立つから、意にそぐわないからと、一時の感情で目的までの道を閉ざすようなことを自らしては本末転倒だと、父は言っていた。

20歳を目前にした今、“ジレンマ”の言葉が持つ意味を、初めて正しく理解できた気がしている。


こういう、友達や彼氏に話せない職場の悩みや人生の哲学は、マスターや師匠に“相談”の形をとって打ち明けるようにしているが、そうすると私の精一杯はいつも「所詮19歳」の呪いにとかされてしまう。

「あんたは全然世のなかをわかっていない」 「今の若者は忍耐力がない」
「大人?なに言ってるんだい」
こんなことをたくさん、たくさん言われてきた。

20歳と70歳__つまり年齢と捉えたらそれは1つの物差しでしかないと放り投げられるけれど、
20年と70年__生命を全うしてきた年数と想うと話は別だ。
そしてマスターや師匠は、上司とは違い、後者を軸に説教をしてくれていることもわかっている。
だから私は言い返さずに、黙って洗礼を受ける。
彼らはきっと間違っていない。今の私には、彼らの説教を素直に受け入れられるだけの度量がないということなのだろう。

だけど、思いやりがないなとは思う。

聞き手に回ったときの態度で、相手の人間性が垣間見えることがある。

自分は優しいと酔っている人間と、ほんとうに優しい人間。
年長者、友達、その他大勢。ほとんどが前者だ。

例えば年長者はよく「まだ若い、あおい、考えが足りない」と、私の大真面目を笑い飛ばし、暗に否定する。
彼らの言う通り未だ若い私は、20年で培ってきたすべてを一瞬にして打ち砕かれた気持ちになり、時に人知れず涙する。

彼らの主張は理解できるし、彼らが言うように「この歳になればわかる」のかもしれない。
しかしそれは彼らが70年生きてきた結果みつけられたものであり、そうだからこそ、今の私の精一杯を否定して良い理由にはならない。

私を若いだのあおいだのと笑いながら、実は彼らの方が50年の生命の歴史の差を水平にみつめられていない気がする。

だが窄まった口は、癖のようにこうも言う。
「俺もあんたくらいの頃はそう思っていたさ」 そんなことを言っても、彼らはきっと忘れている。「私くらいの頃はそう思っていた」ことを。

それを忘れずにいられたら、もっと思いやりを持って相手の話を聴けるのではないかと思う。ほんとうに優しい人間とはきっと、そういうひとだ。


色んなひととの、色んな関わり。

そのすべて。

頭で“仕方ない”と理解するのと、心の丈夫さは別の問題で、私は「なんか、疲れちゃって」いた。


「だからか」
母は洗濯物を畳む手を止めて言った。
「この夏一度も、楽しかった!って顔、してないもんね」

「そう?」「うん」

コットンにふくませた化粧水が、だらだらと頬を伝って、畳の上にボトボト落ちた。急いで拭う気も起きなくて、目を逸らす。

「今日は真っすぐ帰ってきなさい」



母が持たせてくれた線香は、いい香りがした。昔父が初詣で買ってくれた、匂い袋に似た香り。

ゆらゆらと立ち上ってゆく煙の行方を、睫毛だけで追う。

「盆なんて」

季節に似合わぬ強い風が、一瞬。


今年の夏は、ひとに会い過ぎた。
ヒグラシの声が遠くに聴こえる。


1番逢いたいひとに逢えないまま、終わろうとしている。


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profile

咲月(さつき)

99年生まれの19歳。クリエイターとして食べて生きたいフリーライター。
活動実績 https://www.finderjapan-project.com
詩、小説、歌詞などをかいているが、どうしたら仕事に繋げられるのかわからず悩んでいる。
ぜひ文章のお仕事をください。
mail satsuki_8@icloud.com
Twitter @satsuki___8

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毎日更新/20歳、フリーランスの表現者。/活動実績 https://www.finderjapan-project.com /文章のお仕事をください。mail satsuki_8☺︎icloud.com

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コメント2件

読ませていただきました。
自分が20歳頃に同じような思いをしており一方的な親近感を覚えます。
それは今でも続いていますが、「当時は思っていた」と過去に消えてしまっている部分ももちろんあります。

「外見と内実」
他者が捉える自分と、自身の中にある自分との乖離。
そしてその外見を作り上げているのも自分だと言うこと。
誰にでもあることなのでしょうが、そう割り切れるものでもないもの。
咲月さんの苦しみは大小あれどずっと続くと思います。
けれどそれこそが生きるために必要な苦しみだと僕は捉えています。
僕自身は20歳からずっとその苦しみを抱えています。

なんだかよくわからなくてすみません。
でも何かどうしても書きたいような気持ちになる文章でした。
自分も、もう歳をとらない人に会いたくなってしまいました。

ありがとうございます。
い〜の様

コメントありがとうございます。
また、いつも読んでいただきありがとうございます。

おっしゃるようにきっとこの苦しみとは一生付き合っていくことになるのだと思います。

頭では「ひとは皆なにか抱えているもの」と理解していても、感じるのは心ですから、誰かの感情に触れなくては私は死んでしまいます。

そういう意味で、い〜の様の言葉は救いとなりました。
大袈裟に感じられるかもしれませんが、ほんとうです。

ありがとうございます‪☺︎‬
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