井上尚弥の強さを "敗者“ に聞く。取材で心を開いてもらえた理由は? 異例のヒット作『怪物に出会った日』 著者インタビュー
試合に敗れた選手への取材で迫る「井上尚弥の強さ」
さとゆみ:読んですぐに、編集者の阪上さんにご連絡させていただいたんです。書籍に「この本が生まれたきっかけが、阪上さんの一言だった」と書かれていたからです。それで阪上さんのSNSに、「素晴らしい本でした! 森合さんに取材させてもらえませんか?」と。
森合:光栄です。今日は、よろしくお願いします。
さとゆみ:発売9ヶ月で4万3,000部(現在は4万4,500部)は、ノンフィクションでは異例の発行部数ですよね。
森合:こんなに反響があるとは、正直想像していませんでした。ボクシングがもともと好きではない人にとっては手に取るハードルが高い本だろうと考えていたからです。ですが、ありがたいことに発売前に重版がかかり、今年に入ってからは賞にノミネートされるようになって。「ボクシングには詳しくないけど面白かった」「ボクシングがもっと好きになった」と感想をいただくこともあり、嬉しいです。
さとゆみ:私もそうやって魅了された一人なのですが、まず心を掴まれたのは『怪物に出会った日』が試合に敗れた選手への取材で構成されている点です。敗者へここまで精緻な取材をするケースは、スポーツノンフィクションではあまり見かけないような気がして。そのきっかけが、当時「現代ビジネス」の編集者だった、阪上さんのひとことだったらしいですね。
森合:井上尚弥の強さを記者として伝えきれていないのではないかと、ずっと抱えていた悩みを阪上さんに打ち明けました。すると阪上さんは間髪入れずに「だったら、対戦した選手を取材したらどうですか」とおっしゃったんです。確かに、闘った相手に話を聞くのは、強さを知るうえで正攻法かもしれません。
ですが、敗戦によって選手は深く傷ついている可能性があります。敗れた試合について聞くのは失礼にあたらないか、本当に話してくれるのか。葛藤と緊張がありました。
さとゆみ:敗者の方々からどのように話を引き出していったのかについては後ほどお伺いしたいと思うのですが、まず、読んでいて感じたのが、情景描写の緻密さです。試合の最中はもちろん、ジムのようにカメラがまわっていない場所での取材も、情景が鮮明に浮かんできました。
森合:ああ、それは「映像を書く」イメージで書いているからでしょうか。取材現場に意識を戻しながら、その場の映像をきちんと描写する感じですね。相手のセリフだけで伝えるのと、その場の空気感を交えて書くのでは、同じ言葉でも伝わり方が違う。もし文章を読んだときに映像が思い浮かばなかったら、原稿になにかが足りないなと感じます。
さとゆみ:現場で見てきたこと、感じたことはどうやって思い出されているんですか?
森合:取材が終わったらすぐにどこかに駆け込んで、取材を思い返しながら大事だと思ったことをノートに書き出すんです。メモするのは音声に残らない相手の仕草や表情、これは原稿に書くべきと感じたコメントなどです。『怪物に出会った日』であれば、第十一章に登場するナルバエス・ジュニアに取材したあと「取材中にジュニアが私にイスに座るよう促した」や「最終章に構成する」とメモしていました。
さとゆみ:取材した音源は聞きますか?
森合:テープ起こしするときだけ聞きます。時間がかかるのであまり好きではないですけど。
さとゆみ:わかります。なので、私はテープ起こしは信頼できる人に依頼して、音声だけ聞き直すようにしているのですが、森合さんはご自身でテープ起こしをされるんですね?
森合:自分でやるようにしています。話し手の語尾や言い方をもう一度インプットしたいんです。テープ起こしは、自分が取材直後に感じたことと取材相手が実際に話したことの「答え合わせ」だと考えていて。音声を聞き返すと、メモとコメントの整合性が確認できたり、自分の勘違いに気付けたりします。取材後にメモしたときの感覚と音声の情報が違うこともよくありますね。
さとゆみ:「答え合わせ」というのは面白いですね。テープ起こしをすることで現場に戻るわけですね。
取材中に意識されているポイントがあれば教えてください。今回は敗者にインタビューするということで、とてもセンシティブな現場もあったと思います。
森合:答えを求めないこと、誘導しないこと、を意識していました。
取材する側が「こういう話や展開が聞けたら面白いのにな」と考えながら話を聞いているケースって、よくあると思うんです。答えを勝手に決めているというか。『怪物に出会った日』では答えを決めずに取材に臨みました。極端な話ですが「取材した結果、話してくれませんでした」でもよいと思いながら話を聞きに行きました。
さとゆみ:最初の質問は事前に決めていますか?
森合:取材相手や持ち時間によりますね。ゆっくり話が聞けるのであれば事前には決めていないかもしれません。質問事項はたくさん用意しておくのですが、取材が始まったらその場の流れにあわせて質問を重ねます。おそらく自分は、持ち時間の短い取材がうまいタイプではなくて。ぐいぐい突っ込んで話を聞く短時間の取材よりは、じっくりと時間をかけた取材のほうが得意ですね。
本を読み進めてもらうための「縦軸と横軸」
さとゆみ:森合さんは新聞記者やライターとして短い原稿も書かれていますよね。本のようにボリュームが増えると、ウェブや雑誌の記事と違って10万字、20万字の文章を読み進めてもらう構成が必要になると思います。構成はどのように考えられるんですか?
森合:取材中から、頭のなかでずっと考えています。構成が決まっていないと書き始められないので、書きながら考えることはないですね。
『怪物に出会った日』では取材をしている間じゅうずっと頭のなかで構成を考えていて、「縦軸と横軸」が決まったところで阪上さんと(書籍編集者の)鈴木さんに共有して。そこから書き始めました。
さとゆみ:縦軸と横軸ですか?
森合:どちらも自分が勝手にそう呼んでいるだけなんですけど。
縦軸は一冊を通したテーマを意味しています。『怪物に出会った日』での縦軸のひとつは「井上尚弥の成長」です。最初は知名度が低かった井上尚弥が、しだいに「モンスター」と呼ばれるほど強くなり、世界王者たちからターゲットにされていく。その成長のうねりを伝えるために構成を練りました。
たとえば第一章の佐野選手のときは、彼の奥さんが井上戦を後押ししています。これは井上尚弥の強さがまだ未知数だったからです。ですが第八章の河野選手との試合前、彼の奥さんは「井上君だけはやめて」と試合をとめている。井上尚弥の強さが世界に知られるようになって、試合中の夫にもしものことがあったらと心配する気持ちの表れです。
さとゆみ:確かに読んでいて、短編集ではなく長編としてうねっている印象を受けましたが、それは「成長物語」になっているからなのですね。
森合:井上選手の成長とともに意識したもうひとつの縦軸は「私自身の気持ちの変化」です。 取材前は、敗者に取材することへのためらいを感じていました。そこに恐れを感じていることは、プロローグで読者にも伝えています。プロローグは書籍化が決まる前、まだ本になるかどうかわからない時点で力を込めて書き終えていました。結局何度も書き直して、提出は最後になりましたけど。
さとゆみ:取材へのためらいを感じていた森合さんの気持ちに変化が生まれたのは、なぜだったのでしょうか?
森合:佐野選手が網膜裂孔の話をしてくれたからです。佐野選手が現役時代のルールでは、網膜剝離と診断されるとボクサーは引退しなければなりません。彼は網膜剝離に近い状態でありながら、現役を続けるために目の状態を伏せて試合に臨んでいました。
書籍化が決まる前の「現代ビジネス」での取材中、彼は「井上戦のあとに網膜剝離を患った」と話していました。ですが、ときどき奥歯になにかが詰まったような話し方だったんです。いま考えると、目の病状をどこまで話していいか悩んでいたんだと思います。
目の話を詳しく聞いたのは「現代ビジネス」取材後のやりとりでした。大切な話を預かってしまった。この話は自分が書かなかったら世に出ない。だとしたら書かなければいけないと、力が入りました。
さとゆみ:託された思いがあったんですね。
森合:そうですね。プロローグ以外だと、書籍化が決まる前に佐野選手の第一章だけは書き上げています。
さとゆみ:第四章で登場するアルゼンチンの英雄・ナルバエス選手からは「井上の強さをメディアは伝えきれていない」と告げられるシーンがありました。
森合:あのときは本当にドキッとしました。自分のことだなと。ナルバエスがたくさんの時間をとってわたしの取材に答えてくれたのは、井上尚弥の強さをきちんと世に伝えるためなんだと。取材した自分が、責任をもって彼の言葉を伝えなければと思いましたね。本を書く過程でギアが上がった瞬間のひとつです。
さとゆみ:さまざまな思いを託されて、プレッシャーはありませんでしたか?
森合:ありました。でも、どれもありがたい重圧でした。
さとゆみ:縦軸は、井上選手の成長と、森合さん自身の覚悟が決まっていく様子で表現されたわけですね。横軸というのは?
森合:横軸は「章ごとのテーマ」ですね。それぞれの選手にとって、井上尚弥との戦いがどのような意味があったのかを横軸に置いています。
たとえば佐野選手は「目に不安を抱えながらも強いボクサーに向かっていく姿」や「夫婦の物語」を、第二章に登場する田口選手は「負けを糧に成長した敗者の物語」をテーマにしました。第三章のエルナンデス選手であれば「負けを消化しきれず、自暴自棄になったボクサーの姿」がテーマですね。
さとゆみ:なるほど、章ごとに違う登場人物の、それぞれのテーマが横軸になっているのですね。
森合:ほかに工夫したことといえば、俯瞰(ふかん)して読むことかなと思います。何回も読み返しながら、ひとりの読み手として面白いかどうかを確認しながら書き進めました。どれくらい推敲したかな。見てみましょうか……。あ、10稿ですね。
さとゆみ:10稿??
森合:まず構成どおりに初稿を殴り書きしました。一通り書き終えたら最初に戻って推敲して、最後まで書き直したら時間をおいてまた最初に戻る。この繰り返しです。6稿くらいからの推敲が、執筆作業で一番楽しいかもしれません。パズルの終盤のように、完成形が 浮かび上がっていくような感覚があります。
さとゆみ:各章を書き上げるのにかかっている時間はどれくらいですか?
森合:各章が1万5,000〜2万字くらいだと思うんですけど、初稿は1章あたり2日で書いています。
さとゆみ:2日で1万5,000字!速いですね。
森合:構成が決まっているので、書き始めてからは速いかもしれません。ただ、構成を考えたり10稿まで推敲したりするので、自分が納得いくまで書き終わるまでは時間がかかります。
さとゆみ:書き終わるタイミングはどのように決めているんですか?
森合:自分は最初に決めたスケジュールに沿って執筆を進めていくんですよ。その日に書いた原稿が区切りの悪い終わり方をしていても、残っている課題をそのままにして、次の原稿に進みます。あとから戻ってきて推敲して、また時間をあけて推敲して。その繰り返しです。『怪物に出会った日』では1稿と2稿のあいだを2週間ほどあけて推敲していますね。
さとゆみ:毎回書き切るのではなくて、スケジュールにあわせていったん次に行くんですね。では、原稿を書く際に意識されていることはありますか?
森合:正しく、きちんと書く、ですね。それを、とても大切にしています。
さとゆみ:正しく?
森合:原稿がアップされたあと「取材で話した意図と違うな」と思われるのを避けたくて。
森合:たとえ取材相手にとって嬉しくない話だったとしても、「書かれるのは少し嫌だけれど、でも書いてあることは正しい」と感じてもらえるような。話してくれた言葉そのものだけではなく、その人の意図や思いを読者に伝えなければいけないと考えています。
さとゆみ:ニュアンスの違いをできるだけ取り除きたいということですね。それはどうすれば取り除けるんですか?
森合:自分の都合に合わせないことが大切だと思います。取材するときと同じですね。原稿を書いていると、感動的なストーリーに仕立てるために登場人物にコントラストをつけたくなることってあると思うんです。でもその欲望にまかせて書いてしまうと、彼らが話してくれた意図とは離れてしまう。
以前在籍していた新聞社の先輩からは「人の人生を書くなら自分の人生を賭けなければならない」と教わりました。当時は「自分の人生を賭ける」の意味を理解しきれてなかったのですが『怪物に出会った日』を通じて少しわかった気がするんです。
書かれることによって人生が変わる人がいます。取材がなければ公にする必要のない胸のうちを、わざわざ話してくれる人もいます。彼らの意図が読者に伝わるようなストーリーを考える。逸脱や脚色をすることなく書く。それが取材相手への最低限の礼儀であり、自分の誠意です。
さとゆみ:取材相手に原稿のチェックはしてもらっているんですか?
森合:今回は原稿チェックなしです。
さとゆみ:任せてもらっているんですね。
森合:読んでもらって恥ずかしい原稿にしたくないんです。ですから『怪物に出会った日』で取材をした日本人選手には、本を直接手渡しすると決めていました。
読まれる作品づくりに必要な「ひねり」
さとゆみ:最初に話に出ましたが、『怪物に出会った日』は講談社のWebメディア「現代ビジネス」の連載からスタートしていますよね。編集長の阪上さんは、森合さんとどのように出会われたんですか?
阪上:森合さんが寄稿していた雑誌『ボクシング・マガジン』の原稿を、私が読んだのがきっかけです。日本を代表するボクサー、長谷川穂積さんの引退特集で、ゆかりのあるライターさんや新聞記者さんが寄稿していました。リング上での戦いぶりにスポットを当てる原稿が多いなか、森合さんだけは「長谷川穂積は練習が終わったあとになぜコーラを飲むのか?」をテーマに原稿を書かれていて。
そんな視点で原稿を書くなんて、変わった人がいるなと。それで手紙を送ったのが最初ですね。
さとゆみ:森合さんは、なぜコーラをテーマに原稿を書かれたんですか?
森合:それが長谷川穂積の魅力だと感じたからです。ボクシングは体重によって階級が分かれているので、ボクサーは試合前に厳しい減量に耐え体重を調整しています。でも、長谷川選手って、試合前の減量がきついきついとひいひい言いながら、練習後にはコーラを飲むんですよ。さらに晩年は、まわりから「パンチを打ち合わなければもっとスマートに勝てる」と言われているのに、打ち合うんです。
「コーラを飲まなければ」「パンチを打ち合わなければ」とファンはもどかしく感じるのですが、そこが長谷川選手の魅力ではないか。他の人がやらないことをやるから、自分にとって長谷川選手は胸を打つ存在なんだ、と感じて原稿に書きました。
阪上:森合さんの原稿は紙面で異質の存在でした。コーラの原稿のように、作品は「ひねり」を加えると面白くなる。だから、ひねり方を一緒に考えた作品をつくりたいと思って会いに行ったんです。
さとゆみ:「ひねり」ですか。
阪上:ストレートではない視点、と言ったらいいかもしれません。『怪物に出会った日』のひねりのひとつは「井上尚弥に敗れた選手に取材すること」です。前例があまりないですからね。
森合さんの連載が始まったのは、ボクシングファンではない人に井上尚弥の強さを説明してもまったく伝わらなかった飲み会がきっかけでした。なにか違う伝え方が必要だった。ですから対戦相手への取材そのものがひねりになり、さらに森合さんの強みと合うのではないか、と考えました。
森合:もし、阪上さんが雑誌の原稿を見つけてくれなかったら。「だったら、対戦した選手を取材したらどうですか」と提案してくれなかったら。『怪物に出会った日』は生まれませんでした。幸運と出会いに、感謝しています。
30年間、原稿を読んでもらっている「最高の編集者」
さとゆみ:書籍には、外国人ボクサーへの海外取材も敢行したことが書かれています。森合さんのインタビュー記事を読むと「海外の選手へ取材するための旅費は自腹だった」とあって驚きました。なぜ自腹だったんでしょう?
森合:先に説明しておくと、講談社さんはお金を出す準備をしてくださっていたんです。でも、僕自身がそれを断って自腹で行きたいと話をしました。理由は、その渡航を100%仕事にしたくなかったからです。取材のアポイントが確約されていない、しかも井上尚弥について話してくれるかわからない状態で「お金を出してもらっているのだから、井上戦について話したくない選手に無理やり口を開かせてでも、絶対に取材を成功させないといけない」とプレッシャーがかかるのを避けたくて。話したくない選手に「話させる」取材にはしたくなかったんです。
さとゆみ:つまり、お金を自分で出すほうが苦しくなかった?
森合:そうです。ですが、海外を何か国もまわって取材するとなると、それなりの費用がかかります。そのころ妻から「何かあった?」と聞かれました。資金繰りに悩んでいるのが顔に出ていたんだと思います。行きたいところがあるんだけどお金がないと話したら「書きたいことがあるんでしょ。借金しなければ、家の貯金を使っていいよ」と言われまして。
さとゆみ:それで海外渡航が実現したんですね。奥様もボクシングがお好きなんですか?
森合:いえ、妻はボクシングにはまったく興味がありません。ですが編集部に提出する前に、原稿をいつも読んでもらっています。
さとゆみ:奥様に?
森合:原稿が独りよがりになっていないか確認するためです。先ほど「俯瞰(ふかん)して読むことを大切にしている」と話したように、妻のようなボクシングに興味がない人が読んでも伝わる原稿か知りたいんですよね。
妻とは大学生のときから付き合っていて、その頃は就職活動の履歴書に書く志望動機を読んでもらっていました。21歳くらいから原稿をずっと読んでもらっているので、もう30年近くになります。
さとゆみ:奥様からはどんなフィードバックが?
森合:いいときは最初の数行を読んで「面白い」と言われるんですけど、そうでないときはめちゃくちゃ厳しいフィードバックが飛んできます。「これはなにを伝えたいの?」だったり「明日締め切り? これどうするつもりなの?」だったり……。
さとゆみ:て、手厳しい……。
森合:『怪物に出会った日』では、書籍化が決まる前に書いた第一章に「面白い箇所や泣けるポイントはあるけど、全体的につまらない。佐野選手の奥さんをもっと際立たせられないの?」とフィードバックがありました。
森合:厳しいフィードバックがくるとへこみますが、妻の原稿を読む力は信頼しています。だから、何度も書き直しをしました。
本を一通り書いたあとで妻のフィードバックを思い出したときに、佐野選手の奥さんと第八章の河野選手の奥さんが「縦軸」で対比になっていることに気付いたんです。
具体的に言うと、佐野選手と試合をする前、井上尚弥の強さはまだ知られていませんでした。だから奥さんは井上戦を後押しできた。ですが、河野選手との試合前になると井上尚弥は「モンスター」と呼ばれるほど強さが知れ渡っていて、奥さんは「井上君だけはやめて」と必死にとめる。これは、2人の奥さんについてしっかりと書けたからこそ、「井上尚弥の成長」という縦軸が浮かび上がってきたのではないか、と考えました。
さとゆみ:奥様、目利きの編集者さんのようですね。
森合:あ、でも、なんでもダメ出しされるわけではなくて……。そうだ、2日前に手紙をもらいました。
さとゆみ:奥様から?
森合:はい、もらったのは『怪物に出会った日』が最終選考に残っていた「講談社 本田靖春ノンフィクション賞」の結果発表の前日です。
さとゆみ:お手紙の内容、聞いちゃっても大丈夫ですか……?
森合:内容としては「最終選考の結果、どきどきするね。でも何度も経験できることではないから一緒に楽しませてもらっているよ。だれも傷つけない、温かい気持ちになるような文章は必ずあって、あなたはそれが書ける人だと思います。だから、楽しいことも傷つくことも、一緒に分けあっていこうね」みたいな感じです。
さとゆみ:……じーんとしました。
森合:妻は自分にとって大切な理解者です。おそらく、お互いのやさしさを信頼しているんだと思います。たとえば飲み会で、特定のだれかの悪口で盛り上がる場面ってあるじゃないですか。
さとゆみ:ありますね。
森合:私たちはその会話に参加しないタイプです。大勢が盛り上がる悪口に参加しないから、ぽつんとしていて、友達が少ない。さみしい人たちなんですよ。でも、そのやさしい考え方にお互いが惹かれたんだと思います。人は、自分が傷ついてはじめて、どんな場面で人が傷つくのかわかりますから。そんなふたりで寄り添って生きているのだと思います。
さとゆみ:だからこそ、お手紙で「傷つくことも分けあっていこう」と書いていらっしゃるんですね。
森合:おそらく自分は、新聞記者には向いていません。他社を追い抜く特ダネを取ってこられない。社会の悪を厳しく問いただすような、強い論調の原稿が書けない。やさしい原稿が好きなんです。 『怪物に出会った日』に強い言葉や評論が出てこないのも、自分の文章の特徴だと思います。
妻が自分や仕事について理解してくれているとわかっていても、手紙でもらった言葉はやっぱりうれしいです。自分の文章の特殊性や、自分の文章を好きでいてくれる人がいることをあらためて感じられました。これからも、やさしい原稿を書いていかないとなと思います。
『怪物に出会った日』のその先
さとゆみ:この先、井上選手はさらに強くなっていきますよね。森合さんは今後どのように井上選手の強さを伝えていこうと考えていますか?
森合:井上尚弥の強さに書籍で迫るのは『怪物に出会った日』で最後にするつもりです。井上尚弥の強さを伝えきれないもどかしさから始まった企画でしたが、この本を書き終わったあと初めて「書き切った」感覚を味わいました。書いたあとはしばらく燃え尽きてしまい、次の作品を考える余裕がなかったくらいです。
森合:本を書いている途中に、自分の気持ちが前へ前へと進んでいる感覚がありました。その理由は、つまずいたときや失敗したときの立ち上がり方を選手たちから教わって、自分の勉強になったからだと後から気づきました。
この本を書いてみて、自分が書きたいのは、人の「弱さ」であったり、そこから立ち上がる「強さ」なのではないかと思うようになったのです。今後はボクシング以外のスポーツも書いてみたいと考えています。
まだまったくの構想段階ですが、次回作は、後楽園ホールを舞台にした物語を考えています。学生時代のアルバイト先だった後楽園ホールは、自分を含め居場所のない人たちが集まる場所でした。「不登校」がまだ言葉として確立されていないような時代に、私たちは今ひとつ学校に馴染めませんでした。たまたまそういう格闘技好きが後楽園ホールのアルバイトに集まり、仲間になっていった。これがいま考えている縦軸です。
さとゆみ:次回作、すごく楽しみです。『怪物に出会った日』を通じて、私を含め、森合さんのファンがたくさん増えたと思います。
森合:プレッシャーを感じますね。ですが期待を裏切りたくはないです。手に取ってくれた人に面白いと思っていただけるように頑張ります。(了)
撮影/深山 徳幸
文/松田 竜太
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