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マニュアルのないおもちゃは最強(OriHime活用かんかんがくがく)

少し前になるが、吉藤オリィさんの公開インタビューを終えて、みんながOriHimeで遊び出したとき。

おのおのが、「こんな使い方があるのではないか?」「あれにも使えるよね?」みたいに思い思いの活用方法について語り出した。

例えば、

「子育て中のママって、すごく孤独。ひとりで家にいて、誰にも相談できないし。誰とも話ができないっていうのがツライ。だから、OriHimeにおばあちゃんにつながってもらって、一緒に子どもを見ている感覚になれるといいと思う」

と言っていました。
たしかに、そうです。
子育てでわからないことがあったら電話をする、みたいなつながり方ではなくて、常に一緒に子どもを見ていられる環境をつくる。
「この子、ずっと指じゃなくて拳をくわえているのよね」とか、「ここだけハゲができているんだけれど、どうしてかしら」とか他愛ない会話ができるようになればいい。

私の叔母は、叔父の転勤についていって、たった一人知らない土地で子育てをしていました。
あまりにも誰も人と話す機会に飢えて、スーパーのレジの店員さんに「ありがとうございました」と言われて、号泣したと話していました。そんな孤独は、もう消してもいいんじゃないかな。

また、こんな発言も。

「本社が東京じゃないから、管理職クラスになると本社と東京を1週間のうち3往復するようなことがある。これって、体力が結構必要なんだよねー。しかも、移動中は部下が連絡してもつかまらないし。OriHimeがあれば、そこに居てもらえてありがたいよね。部長常駐にできる」

私たちは、「このおもちゃはこう遊ぶもの」「このドリルはこう勉強するもの」といったマニュアルの中で生きてきました。
しかし元来、私たちには、
木の棒を刀に見立てたり、魔法のステッキにして魔法使いになりきったりする能力が備わっている。

私の小学校の頃は、「ジョウショー」というゲームが校内で流行っていました。
「ジョウショー」は「定規勝負」の略で、机の上で鉛筆を使って定規を滑らせて、相手の定規を弾き飛ばしたり、相手の定規の上に乗っかって抜け出せなくしたら「勝ち」というゲーム。
完全に、定規の使い方からは逸脱しています。

でも、だからこそ、小学生は熱狂した。

自分の頭で想像して、
自分で遊び方を開発して、
自分の力で楽しんで、
そうすることで人は熱中する。

ひとの熱中は、想像力のスイッチで作動するのだ。

「こう使いなさい」というマニュアルから離れ、自分の頭で活用を考え出したとき、ひとが熱狂する最強のおもちゃが生まれる。OriHimeには、そんな素養があるのかもしれません。

いつもありがとうございます!スキもコメントもとても励みになります。応援してくださったみなさんに、私の体験や思考から生まれた文章で恩返しをさせてください。