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文章で大事なのは、読者にはしごをかけること

ライター講座や文章講座で私がよく使っている表現、「読者にはしごをかける」。

文章講座で話を聞いていると、そもそも文章を書くこと事態に抵抗感を持っている人は多い。そういう人たちは、短い文章から書き、筋力をつけていくことが必要だ。

が、「文章を書くことは好きなんだけれど……」という人の中にも問題を抱えている人は少なくない。「読者にはしごをかける」ということは、そうした人たちに伝えたいメッセージだ。なぜか? それは、彼らが読者をおいてけぼりにしてしまいがちだからである。
自分の感情や経験でグイグイと勢いで書いてしまい、結果、第三者が読むと意味がわからない文章となっている。…そんな課題を抱えた文章は、案外あふれている。

もちろん、読みにくい文章には表現面の課題も、ある。
しかし、そこはノウハウを習得していくことで、どうとでも伸ばしていくことができる。これは、いわゆる学力を上げるような学びを重ねることでカバーできる領域だ。

しかし、文章を書く「マインド面」を育てるのはそう簡単なことではない。
時には、自分が満足するだけの文章を書くことも大事、かもしれない。このnoteやブログ、SNSなどはきっとそれでもいい。
しかし、ライターの文章はもちろん、相手がいるメッセージすべてに、「ターゲット」に理解してもらうためのはしごをかけていかなければいけない。
一段抜かしにしてしまうと、「ん? つながらないぞ」と違和感を生んでしまう。足をかけて、この足場は抜けないかな? 距離を飛ばしすぎではないかな? と慎重に一歩一歩確認する。 読者にきちんと理解してもらうためには、踏みしめながら、ジリジリ整合性をとっていく必要がある。
はしごをかけるというのは、つまり、原稿のむこう側にいる人を想像し、優しく配慮し、ロジックを通すことだ。

たまに、「僕は頭がよくないから文章も書けないんだ」と言う人がいる。たしかに、学力と文章力が相関している側面もある。言葉をたくさん知っているとか、正しい文法が使えるとか。
しかし、実は、すごーく賢い方でもこのはしごをかけることができない人もいる。自分の高い知識レベルでダダダダダーッと文章を書き進めてしまい、読者がポカーンと置いてけぼりになってしまうのだ。

どんなジャンル、どんな内容の文章でも、読者にはしごをかけることを忘れていては、伝わるものにはならない。

#ライター交流会 in 沖縄で、沖縄タイムスの與那覇 里子さんの話を聞いていて、「読者にはしごをかける」ことへの考えがさらに深まった。

沖縄タイムスという新聞社の記者である里子さん。紙からウェブの部署に異動して、意識する点が変わったという。
紙の新聞は、県内でほとんど読まれている。しかし、ネット版は違う。以前、「東京は別の国」というnoteでも書いたが、ネットへのアクセス数は圧倒的に大都市圏が優勢だ。

だから、沖縄で作る、沖縄の記事であったとしても、東京で読まれる前提で作る必要があるのだという。そこで里子さんは、「記事を六本木にいる人たちにもわかるように書く」と意識しているらしい。
沖縄の独特の地名(読めないよね)、沖縄ならではの行事(旧盆だということすら県外にいたら知らないもんね)、沖縄だけのお店(”ならでは店”の多さよ…)などなど。それぞれ、「六本木ぴーぽー」にもわかるように、はしごをかけていく。

なるほど。
私はこれまで、「学校の先生にわかるような表現にしよう」と職業的な特徴からはしごをかけたり、「60代の男性に理解できるようにしよう」と年代・性別を配慮してはしごをかけたりしてきた。
しかし、「地域性」を理解して、はしごをかけることは特段してこなかった。というか、東京で生まれ育ってきた私には、「地域ごとにはしごをかける」という視点が欠落していたのだ。 これは弱点だな。

生み出す記事に、どのようなはしごをかけるか。答えは、ひとつではない。「この業界の人はどうか?」「この年代の人はどうか?」「この地域の人はどうか?」そして、何よりも「書き手である自分以外の人はどうか?」。
はしごのかけ方を考えていくことで、ずっとずっと読み手に伝わりやすい文章になる。
私も、はしごを意識して、そして、はしごに悩み、文章を練っている。

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