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「東京は別の国」

私はいま、東京と沖縄の二拠点生活をしています。大学時代の4年間を山梨で過ごしたものの、東京生まれ、東京育ち、そして東京で就職した私。
沖縄での暮らしの中で、つくづく「東京の当たり前」が骨身にしみていたのだなぁ…と最近思います。
そしてもはや、 「当たり前」という共通認識は築きにくい社会にあるのかもしれないとも感じたのでした。

◆ネットメディアへの接続は圧倒的に東京近郊から

その思いをさらに強めたのは、「2018年に読みたいもの」として積まれたままになっていた『ファンベース』という本でした。そこに、書いてあった言葉に膝を打ったのです。

『ファンベース』は、「商品やサービスに対してどのようにファンを作っていくのか」を実践も含めて説いている書籍で、ファンのコミュニティ作りの重要性を伝えています。
その中で、出てきた「東京は別の国」という表現が非常が心にとまったのでした。インターネット全盛のように言われているが、インターネットに接続しているのは東京近郊が圧倒的。「現代日本は○○だ」と言いたくなりがちですが、東京だけ切り取って、それを言い切ることはできない。なぜならば、「東京は別の国」だからというロジックでした。

たしかに…と思い返したのは、とあるネットメディアサイトへの都道府県別の流入データでした。Viewのほとんどが東京近郊からで、関西地区がチラホラという状況でした。

東京近郊と他のエリアと、どのような違いがあるのでしょうか。いろいろな要因はあると思いますが、ネットメディアと親和性のある働き盛りの世代が集中しているのが東京近郊だという理由が大きいでしょう。
さらに、交通手段が圧倒的に電車であることも関係あるかもしれません。自分のことを振り返っても、電車移動の際に圧倒的にネットメディアを見ています。SNSをチェックしたり、ネットニュースを読んだり。地方部で車通勤の場合、その時間は皆無です。

◆東京と地方部では何が違うのか

沖縄では、ローカルなCMがものすごくやっています。

新年のこの時期は、「あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします」と沖縄の企業がさんざんCMを流します。スーパー、不動産屋、結婚式場、クリニック、料理教室、乾物屋、お菓子屋、ヨガスタジオ、軍用地買取サービス(沖縄ならでは!)など、様々な企業・お店がそうしたテレビ広告を打っています。

沖縄の広告代理店に勤めている友人に話を聞くと、沖縄ではCMがまだまだとても効果があるのだそうです。さらにいうと、CMの効果はB to Cだけでなく、B to Bにもあるというのです。「あ、CMやっている会社ね。じゃあ、安心だわ」と、会社同士の信頼感につながるのだそうです。

◆「東京は別の国」という意識を持つ

私は、編集やライティングを生業にしています。本や記事を作る上で、「何が当たり前なのか」という視点を意識的に持っていなければ、トンチンカンな企画になってしまいかねません。つまり、「東京」という国の常識だけで生きていると、それ以外と大きなズレが生じていることに気づかずにいってしまう可能性があると思うのです。

これまで、日本では同じテレビ番組が流されて、出版物も一律に各書店に配本されていきました。だから、私たちは日本であれば同じ常識が通用すると思いがちだったのです。
しかし、もはや情報に対しての「一律の常識というものはない」。そんなことを私も思うのです。

◆いくもの国が多層的に存在する

「いくつもの国が多層的に存在する」、そう思う理由は至る所に転がっていました。
ある日母に、「Twitterでこれがバズっていてね」と話したら、「ふーん。でも、Twitterやっていない私にとってはナイも同然だよね」と言っていました。
それで、接触する情報によって、世界はすでに何層にも分かれているのかもしれないと思ったのでした。一部の国では当然の事実になっていることも、一部の国ではナイも同然となっている。

さらには、最近人気を博している(と私が思っていた)オンラインサロンについても、既にSNSでこんなことを言う人が現れていました。
「2018年にはやり残したことがないように、いろいろ整理しました。ひとつは、入っていたオンラインサロンをすべて辞めました。リアルの場でもたくさんお誘いいただくコミュニティがあって、とても充実しています。それに参加できないくらい忙しくしているのに、オンラインのコミュニティは必要ないなと思ったのでした」

わわわ。既に、「オンラインサロン」が新しいという感覚すら、「古びている」のかもしれない。でも、一方で未だ「オンラインサロン」の存在を知らない人たちもいる…。

生きている場所が、何層にも、何層にも、分かれてしまっている。それが、私たちが生きる現代社会なのだと改めて認識したのでした。「東京は別の国」に代表される通り、「見えない」たくさんの違う国が既に存在しているということに、もっと自覚的になる必要があるのかもしれません。

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