文字だけのハンバーガーを一つ下さい。
ゆうべはひどく満月だったので、夕食を食べた後にアイスクリームを買いに行くとの理由を付けて夜の散歩をした。満月だから散歩する、でいいようなものだが理由が月だけではロマンティックが過ぎる。
「夜の散歩」と「裸眼での散歩」は似ていて、どちらも余計なものが見えなくていい。
半袖でちょうどよい夏の夜。満月の上部と下部に薄い大きな雲が広がっている。なんとも言えず風流だ。照明のなかった時代はずいぶん明るく感じただろうし、日々形を変えて空に浮かぶ光源は奇跡としか思えなかっただろう。
トウモロコシ畑の脇をしばらく歩き月を仰ぎ見ると上下の雲が先ほどよりもまとまって、ハンバーガーのバンズのようになっている。しかしバンズのあいだには真ん丸の卵しかない。これではハンバーガーとは言えない。エッグマフィンだ。
道の向こうから高校生ぐらいの男女がそれぞれ自転車に乗って走ってくる。夏の夜と自転車の高校生はよく似合う。そういえば高校生の頃エッグマフィンよく食べたな。たしか森永ラブだったな、田町の。食べ終わってもいつまでも続くおしゃべり、それがメインディッシュだった。
再び空を仰ぐと、バンズのあいだにあったはずの卵が隠れ、代わりに横長の細い雲ができていた。パテだ! ハンバーガーだ!
つい先日「ごく普通のハンバーガーが危機に瀕している」という記事を読んだ。確かにそう思う。これは「ハンバーガーを買いなさい」という神秘なるものからの啓示ではあるまいか。
私はアイスクリームではなくハンバーガーを買うことにした。
夜空に浮かぶМのネオンサイン。いちばん近くのハンバーガーショップであるところのマクドナルドへ向かった。次第に緊張してくる。シンプルなハンバーガーを買うのはいつ以来だか覚えていない。大人になって汚れっちまった私はマックと言えばビッグマックを迷うことなく注文する。ビッグマックが小さくなったのか、私が大きくなりすぎたのか、最近食べるビッグマックは子供の頃憧れていたときより小さい。食べ慣れてしまったせいかもしれない。自分のビッグマック観をリセットするためにもここはやはりシングルサイズのハンバーガーを買おう。
着いた。
店内は空いている。ぽつんぽつんと頼りなく席が埋まっている。注文コーナーには私以外に一人だけ。
潔く注文しようと思ったけれど、カウンターのメニュー表にそれらしき文字がない。やっと見つけたのがハッピーセットの構成アイテムとしてのバーガーの写真。これ、これがいいんだけど。やっぱり子供向けなのかとひるみだす私。
「…普通のハンバーガーはハッピーセットじゃないと頼めませんか」
「いえ、単品でも。こちらに・・・えーと」
お店のお姉さん、メニュー表をしばし探す。
「あ、こちらに」
文字だけのハンバーガー、¥110。
「ではこれを。持ち帰りで」
何かに負けないように背筋を伸ばして注文した。ポテトもドリンクもなしで、これだけだよ。お姉さん、間違えないでね。
紙袋に入った一つのハンバーガーをぶら下げて帰る。
ペーパーを開いてちらっとのぞいた文字だけのハンバーガーは想像以上に薄かった。
空を見上げると形を変えた雲はティラノサウルスの横顔になっている。薄い雲の向こうにいる月は肉食恐竜の鼻の穴を演じている。ひょうきん者だな、月め。
・・・・・・
『きみはポラリス』三浦しをん (新潮文庫)
恋愛小説の短編集。どれもめちゃくちゃ面白いんだけど、「冬の一等星」「私たちがしたこと」の中で夜の光景が切なく美しく描かれていて印象に残っています。とくに「冬の一等星」のたった一晩の恋愛とも言えないある人との過ごした時間が、何とも言えずいいんですよね~。ほんの数時間のできごとが人生の支えになるって、よくわかる。夜って余計なものが見えなくなるから思い出がきれいに残りやすいのかもしれません。いわゆる「三浦しをんと言えば」と言う作品集ではないかもですが、全編面白いのでぜひお手に取って読んでほしい!
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