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どんな下らんことでも役に立つことがある。あった。

ある日電車の中で

ふと蛮勇をふるいたくなることがある。日頃は協調性を何より大切にするしできるだけ人目に立たないように生きているのだが、時々突飛なことをしてしまう。

今よりずっと若いころの初夏のある日。私は電車に乗っていた。シートはすべて埋まっていてちらほら立っている客がいるほどの混み具合だった。私は吊り革をつかんで立っていたが、目の前のシートに妙なすきまができているのに気付いた。緑色のびろうどの座面が見えている。一人座るには狭いが、隙間として開けておくにはもったいない。そんな程度のスペースだった。

目の前の座席の人がいっそもっとゆったり座るか荷物を隙間に置いてくれればよかったのに。目の前に奇妙なサイズの隙間があったから、だから。

吸い込まれるように私は思い切って隙間に腰を下ろした。昔から「安産だろうね」と称される私の尻がその寸足らずの隙間に収まるわけがなく、カウンターバーで背の高いスツールにちょっとお尻を乗せている状態になった。

両隣の人から驚いた気配が伝わった。(え、なんなのこの人?)

しかしなんとなくもう引っ込みがつかない。両サイドに軽く会釈をしつつお尻をぐいぐい押し込む。運動会のそういう競技をしている感じだった。

太ももの上にかごバッグを乗せて終始うつむいて目を伏せていた。次の駅で降りようかなと思ったがそれもまた何かに負けた気がして、結局目的地までお尻ちょい乗せのまま行った。

そこまで疲れていたわけではない。電車で絶対座りたい派でもない。むしろ席が空いてもかっこつけて立っているほうだ。そのときだけなぜ座る気持ちに駆られたのかわからない。まさに「そこに隙間があったから」。それを蛮勇と呼んでいいのかもわからないが、行為に野蛮な感じが漂うので蛮勇と呼んでよいこととする。

小説になった

それから約20年経った。

私は児童向けの小説公募に応募する作品の内容を考えていた。子供向けの怪談でテーマは「奇妙な話」。私の頭の中にあの時の光景が浮かんだ。

主人公を小学生の女の子にして、彼女がほんのちょっとの座席の隙間に吸い込まれて3か月後に出てくる話を書いた。嬉しいことに入選してアンソロジーのうちの1作品として出版され、目次で阿刀田高さんや内田麟太郎さんなどの隣に名前が並んだ。

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▲プロの画家様の手により私のあの奇妙な体験が素敵な挿絵に!

原稿用紙たった5枚の作品だったけれど、賞金は印税の形で支払われ今のところ8357円いただいた。今後この作品集が売れに売れれば私の実入りもよくなるがアンソロジーのため山分けになるから期待できない。それでもやはり嬉しいことに変わりない。

人生何もかもがネタ

変な体験がお金に変わることはめったにないだろうけど、人に笑い話として話したり、noteやブログに書いて読者の方に楽しんでもらうことはできる。体験が変だったり苦しかったり恥ずかしかったりすればするほど面白い。すべてがネタになる。そう思いさえすれば、猫がベランダからくわえてきたセミが家の中で狂ったように鳴いて飛びまわることすらも宝物のような体験と思えるのだ。

積極的に奇妙な体験をしていきたい。

以上です。




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