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変な名前をつけられた。

私がある時期「サウザントスメルちゃん」という奇妙な名前になってしまったときの話をしよう。

小学3年生の時のことだ。クラスに転校生がやってきた。

ゆかちゃんという名前の可愛い女の子だった。いま思い出しても美少女と言っていいほどの容姿だった。

美しい転校生はちやほやされるのが定石だが、顔の愛らしさをもってしても隠し切れない影のある女の子でクラス内でいまひとつブレイクしなかった。

影のある美少女なんて魅力的だと思うが、当時は昭和50年代。「明るさ」こそすべてに勝る価値と考えられた時代だ。

少しでも暗さを見せると「根暗」と言われて嫌われた。

目立たぬ存在だった私は、ブレイクしきらずクラスでポツンとしていたゆかちゃんと仲良くなって、彼女の家に誘われた。

国道沿いのマンションの一室。冬だったけどストーブがよく効いて息苦しいほど暖かかった。人の家の匂いがした。

ゆかちゃんのお母さんならさぞきれいな人だろう。ホットのミロをお盆に乗せて持ってきたお母さんを見てその予想がまあまあ外れていたとこっそり思ったことを覚えている。子供は人の容姿に容赦がない。

もっと意外だったのは小学3年生が下校するような時刻に家にお父さんがいたことだった。リモート全盛の今と違い、遊びに行った友達の家でお父さんと出くわすことはめったになかった。だから、いるというだけでも身構える。

どんな言い方で説明されたかはっきり覚えていないが、その人はゆかちゃんの本当のお父さんではないということだった。

最近お父さんになったらしいその人は子供部屋にやってきて座った。家の中なのにサングラスをかけている。

ゆかちゃんのお父さんは自分はボクサーで、画家でもあり、英語の通訳をしていると言った。

初対面から5分も経たずに怪しさがびんびん伝わった。不穏だった。

「僕は英語ができるから、君たちの名前を英語に訳してあげよう」

お父さんは奇妙な提案をしてきた。ちょっと面白そうだなと思ってしまった。

そのころ少女漫画家志望だった私は絵の描き方そっちのけで、登場人物たちにどんな名前を付けるか考えるのに夢中だった。1冊のノートに「好きな名前辞典」というタイトルをつけて、学校から急いで帰って来ては授業中に思い付いたいい名前をあいうえお順で書きまくっていた。(当時気に入っていた名前は「姫子」「真理恵」)

初体験の、英語の名前を付けてもらう遊びに胸が高鳴った。お父さんが私に尋ねてきた。

「君の名前は?」

「千香です」

「ふーん、千香ね・・・」

女子の名前と言えば〇〇子が全盛だった時代に、子がつかない名前はモダンな香りがして自分でも気に入っていた。
2段ベッドの下の段の端に腰かけて、どんなイングリッシュネームをつけてもらえるのかわくわくしてお父さんの発言を待つ。

「サウザントスメル、だね」

「え」

サウザントスメルだった。

「千がサウザントで、香がスメルだよ」

もしBGMを付けるなら「千の風になって」しかない。当時はスメルという言葉を知らなかったが、スルメみたいでイヤだな、と直感的に思った。名前からイカの匂いが漂ってきそうだ。サウザントの方も響きが全然可愛くなくてがっかりだった。大人になった今なら、フレーバーとかフレグランスとか何かほかにあったでしょと突っ込めるが(突っ込めるか?)、友達のお父さんに友達の家で口答えできるわけもなく私は不承不承「サウザントスメルちゃん」を受け入れた。

「次はゆかの番だね」

お父さんはゆかちゃんを呼び捨てにした。
この男はゆかちゃんにはどんな名前を付けるのか。

彼は、少々考えてから「ゆかはフラワーだ」みたいなことを言った。

ずるい、自分の娘だけ「フラワー」なんて可愛い名前付けて!

私はスルメイカのスメルなのに! えこひいきだ。

理不尽な思いでいっぱいだったがアウェイなので私は心の中だけで憤った。

その後、自称画家のお父さんが描いた絵画を見せられたり、バービーちゃんで遊んだりして時間を過ごした。

あれから何度か彼女の家に遊びに行ったがクラスが別れて疎遠になった。

私は中学生になって英語を習うようになり英単語の語彙が増え、ゆかちゃんのお父さんはそんなに不公平ではなかったことを知る。

お父さんが言った「フラワー」みたいな単語はよく考えたら「フロアー」だったのである。

床。

床って。

方法論がブレブレだ。ゆかちゃんは由香ちゃんだったから私と同じ方法論なら「フリースメルちゃん」「リーズンスメルちゃん」だ。ところが急に名前の音の意味に着目して訳してしまった。そっちに合わせれば私は「アンダーグラウンドちゃん」か「ニアヒアちゃん」だ。どっちもどっちか。

この変な思い出のせいで今でも人の名前を英語に変換する遊びを頭の中でしてしまう。都知事選のポスターを見ては「小池百合子はリリーかハンドレッドジャストチャイルド。宇都宮健児はヘルシーボーイかプロセキューター」。

今どうしてるかな、とかまた会いたいなとはとくに思わないが、この遊びをやってしまう限りあのサングラスの不思議なおじさんと濃い影のある美少女は私の頭の中から消えることはないだろう。

END

▼ゆかちゃんをもっと味わいたい方はこちらをどうぞ。


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