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「穴があったら落ちますか」「はい落ちます」

海で落とし穴を掘られたことがある。

私のために砂浜に丁寧に掘られたその穴に私は落ちただろうか。

落ちた。気持ちよく落ちた。そして恍惚とした。

・・・・・・

ある年の夏のことであった。まだ小さかった子供たちを連れて家族と親戚なども一緒に大勢で海に行った。

私が海で少し泳いで振り返ると、砂浜で私以外のみんなが楽しそうに集まってわいわい何かしている。ずいぶん盛り上がってるな、と思い海から上がり戻ってみることにした。

「おーい、みんなー、何やってるのー?」

近づいてみんなの表情が見えてくるにつれ、みんなが本当に楽しそうにしているのがわかる。我が家の長男や長女はひときわ楽しそうだ。いつも面白いことを率先してやってくれる親戚のお兄ちゃんと顔を見合わせてぴょんぴょん飛び跳ねて笑っている。

「お母さん、こっちこっち。早く、早く、早く来てー!」

「えー何々ー?」

何があったんだろう、何か珍しい生き物でもいたのかな。私は小走りに近づいた。

みんなの盛り上がりが絶頂に達した瞬間、私の目の前からみんなが消えた。

そしてみんなの目の前からも私が消えた。穴は深かった。

あれね、穴に落ちた瞬間て本当に何があったかわからないんです。動画は残っていないけど、さぞいい顔してたと思いますよ、自分。

みんなの笑顔と笑い声にまんまと誘導されて、穴の上に敷かれたビニールシートを踏み抜いて私は縦穴に落ちた。

・・・・・・

「全然気づかなかったよー。ひどい!」

人々の笑いはさめやらず、反比例するように私はぷんぷん怒った。

誰かに腕をひっぱってもらわなければ一人では出られような深い穴だった。

いたずらっ子たちに話を聞けば、ほかのメンバーのことも落とそうとしたのだが、みんな事前に気が付いてしまいうまく落ちてくれなかったという。疑うことを知らず後先をかえりみないピュアな私は優秀な墜落者だった。

穴に落ちて笑いものにされた悔しい気持ちがある一方、ちょっとうっとりしている自分もいた。

「私・・・落とし穴にすとーんと落ちたんだ」

世の中の人間を分ける方法はいくつもあるが、「落とし穴に落ちたことがある人」と「ない人」で分けることもできる。または「落とし穴に落ちた人」と「それを見て笑う人」。なんとなく「落ちた人」のほうが人生を謳歌してそうな感じしません? そうでもないですか? 

いくらかっこ悪くて、みっともなくて、大けがを負うかもしれなくても、深ーい落とし穴に落ちてもがいてみるのも一興ではあります。でも落とし穴というものは誰もが落ちようとして落ちることができるわけではない、これがミソなんですよね。

私は幸い穴に落ちてもひどいケガをせずに済みましたが、人によっては出てこられなくなることもありえます。

・・・・・・

姫野カオルコ著「ツ、イ、ラ、ク」(角川文庫2005年)は恋愛小説の大傑作なのですが、信じられないことに何の賞もとっていません。島清恋愛文学賞(しまきよし、ではなく‘しませ’と読みます)をとっているかと思いましたけどね。中学生が男性教師と肉体関係を持つ(しかもめっちゃ数こなす)内容が不謹慎だからでしょうか。したがって当然スポンサー付きの実写化は難しいでしょうが、大人びた若い女優さんが脚光を浴びるといつも、この女優は「隼子」の役をできるだろうかと思ったりします。小松奈菜なんかはよかったですね(私の中の勝手なキャスティングでは)。表紙のモデルさんは誰か存じませんが、フランスの映画女優ソフィ・マルソーの口元に似ています。いい表紙です。

タイトルにもなっている「ツイラク」とは恋に落ちることを表現した言葉。様々な計算やしがらみの伴う大人の恋愛ではなく、やばかろうが超やばかろうが、ただあの人が欲しくて欲しくて仕方がなくて、「だめだ。俺、こいつにまいってる」(中盤で川村が漏らすセリフ)な気持ちを群像劇で描いています。著者独特の突き放したクールな筆致で描かれる中学生像は、自分の子供が中学生のときに読むとややショッキングかもしれませんし、子供に読ませたくありません。これは大人の読み物です。

さて、「ツイラク」が恋に落ちることを表す言葉だと知った後で、冒頭に戻って海辺の落とし穴エピソードを再び読んでいただくとまた違った風景が見えてきませんか・・・なーんて言ったりして、いやいや私は単に物理的に落とし穴に落ちただけですから、本当に、空が青すぎて魚が見えるくらい水が透き通ってたあの最高の夏の日にね━━

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