僕の目指した創造は、コミュニケーションツールでしかなかった。
ブログやSNSなどで情報発信をすること。
旅というフィールドで自己を表現すること。
日々をコンテンツ化し、日常を面白がること。
自分が旅する生活のなかでしてきたことを振り返ると、それをサービスにして世の中に貢献したいとか、職業にしてメシを食いたいとか、そういうことに重点がなかったことに改めて気づく。
あくまで個人的な創造や表現。
その個人的なものを社会に投げかけることで、受けた反響や影響を通じて、出逢ったり感じたり発見したりを繰り返し、人生に幅や彩りを与えたかった。
創造を介して社会とコミュニケーションをとりたかった。
‥ 改めて言語化すると、こんな感じかもしれない。
この程度しか期待していなかったし、この程度の距離感で社会と接したかった。
よく言われる『アーティストとデザイナーの違い』というやつにも感覚は近く、『主体的な創造』に関していえば、僕は決してデザイナー志望ではなかった。
たとえば、『(コミュニティビルドなど)場づくり』と言われるようなものにも興味はあった。
でも、自分が丁寧に作ろうとしている場に、見ず知らずの人が土足で介入し、場を引っ掻き回すようなことは耐え難かっただろうし、少し離れたところから『そっと観てもらう』ほうが心地よかった。展示物の一つのような程度に‥。
「目的は売上を上げること」「たとえ引っ掻き回されても、利用頂けることに価値がある」という、商業をベースとした環境で自己表現をしたいとは思わなかったし、それを専門とした職についたりサービスを提供したいわけではなかった。
もちろん、仕事として関わってきた団体やその時期に関していえば、自我よりも本来の目的を優先して取り組んでいたわけだが、その微妙な違いや違和感から目をそらしたくはなかった。
ものを書くことも、カレーを作ることも、イベント企画にしても、似たような感覚があった。
創造物を介してコミュニケーションをとることはしたかったが、創造物をサービスにすることがしたいわけではなかった。
自分の創造は趣味にとどめ、職業やサービスにしない道を選んだ背景には、きっとこのような意識が紐付いている。
‥
今までの日々を改めて振り返ってみると『自分勝手』なようにも感じたが、自己表現に自分本位の要素がなかったら、むしろ何がなんだかわからない。
趣味くらい自分勝手で結構じゃないか。
自分本位に作った創造物を、面白がってもらったり必要とされることで職業やサービスが成り立つクリエイターもいると思うが、僕はその道を選ぶよりも、『自分勝手に創造物を生み出せる』その環境を、なるべくストレスをかけず継続できる生きかたに舵を切った。
先週よりサラリーマン生活がはじまり、今までの知見やスキルを活かすべく『広報・PR・Webマーケティング』の分野で働いているが、僕の興味や趣味(自分勝手にこだわる創造)とは別のフィールドを設定していて、いい意味で線引ができている。
僕の目指した創造は、コミュニケーションツールでしかなかった。
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