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何かに熟達するために必要なこと

初めての道は歩いているだけで色々な発見があるものだ。信号待ちの交差点、日陰のある場所、入ってみたいカフェなど、周囲を見回しながら歩くとそれだけで楽しい。近道や回り道を試してみたりもする。それだけで脳の認知機能が活性化するのを感じる。

しかし、慣れてくるとそれが日常となり、徐々に新鮮さが失われてくる。繰り返し歩くことで、頭の中に通勤路がトレースされて、考えなくても自然と危険な場所や人込みや日差しを避けて歩けるようになる。すると今度は、脳が別の機能を発揮するようになる。

ひとつは、頭の中の道(三次元マップだ)と目に映る現実の通勤路との差や小さな変化に意識が向くようになる。昨日は存在しなかった障害物、新しくオープンする店、閉店する店、季節の移り変わり……。慣れたことで細部に意識が向くポジティブな変化だ。

もうひとつは、目の前の現実ではなく内面に向かう心の働きだ。外部情報の収集や分析に頭を使わなくてよくなった分、仕事や家庭の心配事や楽しい休暇の計画などを思い描き、自分自身と対話する。今だけではなく過去や未来に目を向けて心を健全に保つために必要なことだ。しかし、それに気を取られ過ぎると、目の前の小さな変化や危険に気が付かない恐れもある。

何かに熟練する過程も全く同じだ。日々体と脳を使って繰り返すことで、大事なことが身に付き、細部に意識が向くようになる。頭の中に道ができる。一方で、慣れることで新鮮味が失われて、目の前のことに集中できなくなることもある。

15年目前の昨日、弁護士という職業について、これまでずっと弁護士の肩書で仕事をしてきた。これまで扱ってきた仕事には初めて受ける案件や初めて調べる法律も多い。クライアントも依頼内容も千差万別だ。ただ、事実関係を調査し、その事実に適用される法律を解釈してアドバイスするという作業は変わらない。扱う仕事は様々だが、同じ道を歩いてきたともいえる。

大事なのは自分の体を使って頭の中に道ができるまで何度も歩くことだ。いくら地図を眺めても、体で感じた道の傾斜や信号待ちのタイミング、自分の歩く速さと歩幅でかかった目的地までの時間などのリアルな体験がないと、頭の中に道はできない。

何かに熟達するということは、頭の中にこの道を作っていく作業のことだ。自分の体を使って繰り返すほかない。

変化の速い現実世界では、新たな道が次々にできる。先にその道を見つけて歩き出している人もいる。追い抜くのか、一緒に歩くのか、追いかけることなく何度もその道を歩くのか、すべては自分次第だ。探検家になりたいなら別の道を探すといい。その道を自分のものにしたいなら、人のことは気にせずに何度も歩こう。そして少しずつ足を先に延ばそう。そのうちきっと人があなたを目指すようになるはずだ。

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