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演劇と配信について思うこと

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1.やっぱり演劇は生が一番?

 演劇行為を成り立たせる最低限の要素は「場所」「演者」「観客」の三点だと言われています。つまり、観客が臨場しない配信公演などは本当の意味で演劇行為とは呼べないのではないか、という考え方があります。
 また、どれだけ撮影技術や録音技術が進歩しても、劇場へいって生の演劇を観賞することから消費者が得る経験とのギャップをゼロには出来ません。
 もしこのギャップをゼロにすることができるならば、演劇など、ただ古臭く、非効率的な、前時代の芸術になり果ててしまうでしょう。逆に言えば、このギャップがあるからこそ、演劇はいつまでも新しい、刺激的な芸術表現となりうるのだと思います。
 というわけで演劇鑑賞の魅力に関しては間違いなく「生」>「映像」だし、「演劇は劇場で観なければいけない」という考えの人が多いのも当然です。

2.余はいかにして配信支持者になりし乎 

 かくいう私もガチガチの「演劇は生で観ないと価値がない」原理主義者でした。なので日本で初めてのマルチアングル視点切替視聴の演劇配信に携わった時も、最初は半信半疑なところもありました。でも実際にやってみて、1000人以上の人に見ていただいて、その可能性に気がつき、あっさりと転向しました。演劇は配信すべきです。みんな裏切ってすまない。わかってる。過去の自分が今の自分を見たら天狗となって殴りかかってくるだろう。
 でも私は今回のコロナ禍で、多くの演劇人の視野の狭さが浮き彫りになったように感じます。
 だってサッカー選手は「試合はテレビで見ても価値がない。生で観戦してもらわないと。」なんて絶対に言わないけど演劇人は結構言う。今でも言う。私ははっきりこれを「ダサい」と思います。
 配信しようよ。配信することで多くの人の目に触れさせて、劇場に足を運んでもらえるようにしようよ。
 離島に住んでいて劇場にアクセスするのが難しい人とか、海外の人とかにも見ていただけるチャンスがあるって、本当に本当に素晴らしいことだよ。
本当はやりたくないけどお金のために仕方なくとか、そんなセコイこと言わず、多くの人が面白いと思える力のある作品をこさえて配信しようよ。

3.一度も劇場に来ない「演劇ファン」がいてもいい

 「配信したら誰も劇場に来てくれなくなる」という人がある。そんなことはない。絶対にない。去年ラグビーのワールドカップが放送されたことで、どれだけ多くの新規ラグビーファンが生まれたか(私もその一人である)考えてみるといい。もちろんその中で「スタジアムに行って生観戦したい」と思う人はごくわずかで、ほとんどの人は一度もラグビーをナマで観戦しないまま、一生を終えるだろう。それでも別にいいじゃないか。「吉本新喜劇」や「笑点」を生で鑑賞したことのある人がどれだけいるだろうか。何が問題なのか。「映像でしか見たことないけど、好き」そんな趣味を私たちはたくさん持っている。私にとってスポーツやお笑いやフィギュアスケートなどがそうである。しかし、例えばチュックボールやペタンクなどマイナーなスポーツは、普通に生きている人が偶然ファンになることすら難しい。演劇人たちよ、忘れないでほしい。「演劇鑑賞」とは今やそれくらいマイナーな趣味なのだ。
 だから「配信したら誰も劇場に来てくれなくなる」というのは、今まで劇場に来てくれていた人が「配信があるならそっちでもいいか」という気になってしまうことを危惧しているのだと思う。普段「演劇を観たことのない人にこそ観てほしい」となどとお題目のように繰り返しているわりに、結局は既存の演劇ファンにしか目が向いていない。それではあまりにも視野が狭いのではないか。
「映像では演劇の魅力は伝えられない」という気持ちはわかる。演劇はインスタレーションなので、その空間にいる人に観せることを前提に作られているから。しかし、同時に演劇はdramaでもあるわけで、脚本の面白さや人間の面白さは配信や録画でも伝えられるはずだ。「演劇は生で」主義者の人たちも、NTliveで素晴らしい作品をいくつか観たと思う。本当に力のある作品は録画だとしても人の心を動かすことができる。

4.不慣れな人がやっている演劇配信

 今解決すべき問題は、演劇の作り手が、映像配信という「未知なるもの」と向き合わなければいけないストレスだと思う。門外漢が見様見真似でやっていきなり面白いものが作れるわけがない。コロナ禍の流れの中で、嫌々ながらとりあえずやってみて「待ってくれ!俺たちホントはこんなもんじゃないんだ!生で観たらもっと面白いんだ!」と言いたくなるのは当たり前である。
 サッカーの監督や選手が「フォワードにパスが回ったら、1カメから2カメにチェンジさせて、一度俯瞰にしてからゴールネットの裏のカメラに、、」なんてことをあれこれ考えているようなものだ。時間の無駄である。
 そこは専門家に任せよう。映像には映像のプロがいる。スポーツを撮影しているのはスポーツマンではない。プロの映像制作者たちである。なので演劇人は映像のことなど気にせずに、これまで通り、しのぎを削って演劇を創ればいい。とにかく全身全霊をかけて面白いものを作っていればよい。それを専門家に撮ってもらいましょう。プロの力を信じましょう。そして配信しましょう。余裕があれば英語字幕もつけたりして、ね。

5.ハードルを下げよう!

 もう一つ解決すべき問題がある。それは「配信を見るのめんどくさすぎる問題」である。
 今、配信を見るにも、普通の劇場公演のチケットを買うのと同等か、もしくはそれ以上の煩雑な手続きが必要で、その面倒さをほぼ全てのお客様に強いている。今、配信で芝居を見てくれているお客様は、それはそれはもう本当にとてつもなく親切なお客様だと思わなければいけない。「ファンなんだから多少面倒でもきっと見てくれるだろう」という傲慢な態度を続けていれば、いつか必ず見放されてしまうだろう。
 配信するならば、入口のハードルは下げまくっておいた方がいい。演劇を一度も観たことのない人が、突然「よし、配信で演劇でも観てみるか。ふむふむ。アプリをインストールして。会員登録してクレジットカード登録して、OK!」とやってくれる姿を想像できるだろうか。その可能性は限りなく透明に近いゼロである。
 とにかくハードルを下げる工夫が必要である。具体的には、途中まで無料で見せておいて「おお!この先どうなる!?」となった所で「ここから先は有料です」とするとか。無料だと途中から音だけしか聞こえなくなるとか。
今の時代の戦略として「自分で観ようかな」と思ってくれるお客様だけをターゲットにするのではなくて、「なんかTLに勝手に流れてきたからつい途中まで見てしまった。続きが気になる」という人をターゲットにしなければいけない。それが入口のハードルを下げるということだし、「演劇を観たことのない人に観てほしい」という希望を叶える道ではないのだろうか。

 以上は、「配信はやりたくないんだよね」という演劇関係者に対しての私の考えでした。

6.「配信ではちょっと観る気がしなくって…」という観劇者の皆様へ

 そのお気持ちは本当にわかります。最初に言ったように、演劇の醍醐味は「その場に居合わせる」ことなので、劇場という空間に行く体験も含めての観劇だと思っています。なので皆様におかれましては、これからもぜひ劇場に足を運んで下さいますようお願いいたします。皆様は、日本の演劇の命運を握る最後の砦なのです。
 そして、今の時代に、もし試行錯誤しながらでも芝居を配信しようとする演劇人たちがいたら、どうぞ温かい目で見守って下さい。これからも面白い演劇を皆さまにお届けできるよう、誠心誠意頑張ります。

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