うしろめたさ

贈与論、交換モード、読書感想メモ。うしろめたさと向き合う

都会生活における人間関係のドライさ。実際にその怖さも体験したことがありますが、それでも僕は気に入っています。「干渉しない・されない」というのは、メリットも多いと感じるからです。

仕事に追われる毎日を過ごしている人にとって、そういった余計な人間関係の負担がなくなることは良いことかもしれません。しかし、以前の僕は悪いほうに向かってしまいました。気持ちに余裕が無い、忙しいからという理由で、身近な大切な人たちとの関係をおろそかにしてしまったのです。忙しい生活なのだから、人間関係は全部ドライでいい、そんな考えに陥ってしまったのです。

現代社会の価値観の一つとして「幸福感」というのをよく耳にします。最近では、他人への思いやりや関心を向けること、感情を引き受けることが人生の「幸福感」「充実感」につながるのかもしれないと感じるようになってきました。「人情のある都会生活者」を目指し、先ずは身近な人たちへ「心の矢印」をしっかり向けていこうと日々心がけています。

この本は、おすすめで見たという理由だけで手にとりました。実際に読んでみると、人との関係性や気持ちについて関心のある僕にとって、いろいろなことを考えさせてくれる一冊でした。感想は読み手の価値観によって、かなり幅が出てきそうな気がします。

■ うしろめたさの構造の話

物の「交換」を考えたとき「贈与」には感情や想いが付随します。バレンタインデーのチョコレートなど、プレゼントがその例です。こめられた気持ちも一緒に受け取ることになります。たとえば金銭であっても「祝儀袋」に入れることで感情がこめられることになります。

一方で、お店でお金を払って物を買うといった「交換モード」では厄介な思いやりや、感情に振り回されることが無くなり、その場で取引は完結することになります。貸し借りの無いドライな感じです。

「贈与」という「感情の付随した対価の無い不完全な交換」を回避する方法としての交換モードに慣れていくと、人間の大切な共感能力は覆い隠され、押さえ込まれてしまいます。「いただきもの」は気を遣うので苦手だと考えたり、何かを贈りたいと考えても、本当に欲しいものがわからないし・・・と躊躇してしまうのも、それに類することかもしれません。自分もどちらかというとこのタイプでした。

本の中には、エチオピアでのフィールドワークについていろいろなエピソードが出てきます。観光客は、日常的に見られる物乞いに対して、交換モードに慣れてしまっていると「ものを受け取らない限り与える理由は無いという考え方」のせいで「与えずにはいられない」という共感能力を押さこんでしまいます。つまり、贈与に付随するもろもろが面倒なので、交換モードに理由をつけて、後ろめたさを感じながらも「与えることはしない」という選択をします。

物乞いには与えるべきだと言う話ではなく、これが後ろめたさの構造であり、うしろめたさを正しく発動させることにこそ、世界を変える可能性があるのではないかと著者は述べています。

■ 感想の話

語り口、論理的説明、考え方のどれもが知的で明瞭でした。「読書は人の頭を借りて考えることだ」と誰かがいっていましたが、まさにそんな読書体験が出来ました。ノウハウ本ではないし、マインドセットの本でもなく、こうあるべきという押し付けもなく、著者の思考の流れと積み重ねを一緒に感じることができる本です。著者がレベルを読者まで落としてくれているせいか、自分との相性のせいか、深い内容にもかかわらず自然体で読むことができました。

この本は人類学者の著者による、エチオピアでのフィールドワークの日記と、考察を交えて語られていきます。人類学者はフィールドとホームを行き来し、それぞれの中でのズレを感じとり考えていくと述べられています。そのとおり、読者も本の中では日記と考察を行き来することで追体験をすることができるでしょう。

「読書で旅をする」というと、ちょっとかっこいいですね。これからもいろいろなところを旅していきたいと思います。

「うしろめたさの人類学」(松村圭一郎、ミシマ社)を読んで。




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