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下書き人生

notoの下書きが溜まってきたので、なんとかしてみようというお話。
どうにか、一掃しでみるつもりだ。

noteの下書き

記事のリストを眺めていたら、下書きが多いことに気がついた。
100本くらいある。

みなさんはどうですか?

公開できなかったワケ

一応完成しているが、公開していないもの。どこか気に入らなかったんだと思う。箇条書きがされたメモのようなもの。これは書きかけだ。

出だしはいい感じなのに、失速したり迷子になってしまったもの。アイデアに飛びついて文章化してみたものの、やる気がどこかに旅立ってしまったもの。公開されなかった作文たち。

断捨離の目的

もちろん処分する必要があるわけじゃない。

いらないものは捨ててしまおうと思う。新しい物を得たいのなら、古いものを捨てようと決めているからだ。

紙のノートや手帳は捨てたりしないのだけど、noteの下書きは、なぜかどうにかしなきゃと思う。なんとなく。いやあ、一種の強迫観念かもしれない。

新しいアイデア

noteの作文で最近試みていることの。

ある物事・出来事・体験について、そこから抽象的な概念をとりだす。
その概念と共通したり対象的な物事を引き合いに出したあと、そこに自分の考えを加える。その過程を説明・言語化することだ。

それがきっかけで、ある着想を得て興奮することもあるのだけど、全体的に制御ができないもどかしさがある。

「新しいアイデアとは、既存の概念の組み合わせだ」みたいなことを、なにかで読んだ気がする。

僕の頭が良ければ解決するかもしれない。でもそれは日本の1月が暖かかくなるくらい難しいことで、叶っても良いことばかりじゃない気がする。

下書き人生

毎日の積み重ねというのは、人生の下書きみたいなものだと思う。

そして、本稿を書き上げなくてはならない時は突然やってくる。気がつけば締め切り直前のことだって多い。あわてて、下書きをかき集めて本番に望む。人生とはそんなことばかりだ。

そう考えると、本番よりも下書きのほうが大事なのかもしれない。


この作文が公開できたことを、コーヒーで乾杯しながら。

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