親は「家族」ではなく、ただの「アラート」だったことに気づいた話
ちょっと人に会うと「お盆はご実家に帰られるんですか?」と聞かれる今日この頃。
以前は重く受け止めすぎてうまく答えられなかったけど、最近はテキトーに流せるようになった。
親と会わない時間を過ごすことで、自分の心の中で親が占める割合が少しずつ減り、「親孝行」とか「帰省」といったワードに感じていた過剰な重さが軽減されたからではないかと思う。
親がしんどい原因
親がしんどい原因は、会話のキャッチボールができないことが大きい。
お互い日本語(関西弁)で話しているはずなのに、ほとんどコミュニケーションが取れない。
アレクサの方がちゃんと話せると思う。
親と私のキャッチボール失敗例
1.私の投げたボールを親が取らない
私がボールをまっすぐ投げても取らない。
そもそもボールを見てない。
そして、後日「え?聞いてなかった」「そんなん言うてた?」「記憶にないわ~」と言う。
あるいは「そんな大事なこと、もっとちゃんと言うて!」(言った)と怒られる。
繰り返し言うと「わかっとるわ!!あんたはいっつもしつこいねん!」と怒られる。どないやねん。
2.ボールの投げ方ばかり見ていてボールを見ていない
ボールを取っても、そのボールで伝えたいことは見ずに、ボールの投げ方を指摘してくる。
優しく言えば「なんかたくらんどるんか」、強く言えば「親に向かって何やその口の利き方は!?」
…どないせぇと???
3.ボールの形を非難する。
普通に話しているのに「もっと分かりやすく言うて」「あんた大学行ったからってかしこぶって難しい言葉使わんといて!」と怒られる。
→なお、私が親に「それってどういうこと?」と聞くと「こんなんも知らんの~?大学まで行って何を勉強しとるん?」とバカにされる。
→親の機嫌が悪ければ、「私のことバカにしとるんやろ!」と明後日の方向へとボールが飛んでいく。
4.私のボールを無視して、自分のボールを投げてくる。
私の話を「そんなんどうでもええわ」と遮り、「あんたよりお母さんの方が大変やから」と話し出す。
このパターンの時はそもそも私がしんどい状態であることが前提なので、私自身のしんどさの上に母の話を聞かなければいけないしんどさも加わって、より一層の地獄と化す。
5.デッドボールみたいに騒ぐ。
「大学の授業が忙しくて帰れない」という事務連絡のボールを、デッドボールを受けたみたいに捉えて騒ぐ。
「親に顔も見せんやつなんて、もう子供と思わん!」
「二度と来るな!絶縁や!」
なお、言う通りにすると「あんたが私を怒らせたんやから謝りに来い!謝らんなら生まれてきたこと後悔させたるからな」
どっち…?
親のいる家は「ホーム」ではなかった
実家は「親の家」だけど「私の家」ではない
一事が万事ずっとこんなだったんで、私はもう疲れました。
実家に帰るために、精神安定剤とか胃薬とかが必要で。
親は「やっぱり実家はええやろー」って言ってたけど、何ひとついいところを見出だせなかった。
私の部屋は、親のパートナー(内縁の夫)に取られたし、その際に私のモノは全部捨てられたし。
「気に入らんのやったら出ていけ!」と言われる、親の気分がルールの家。
突然知らない男(親の恋人)が同居し始める生活。
私の目の前でいちゃいちゃするいい年した男女。
「〇〇君が昨日ベッドで抱きついてきて」とか聞きたくない。
文句を言うと「自分がモテへんからって」と怒られたり、「気に入らんのなら出て行って身体でも売って自分で稼げ」と言ったり。
実家は雨風をしのぐ「ハコ」ではあったけど、「ホーム」ではなかった。
親は「生まれてきたことを後悔させたる」と言うけれど、別にわざわざ改めて生まれてきたことを後悔させてもらわなくても、中学生くらいからずっと後悔してきたから大丈夫。gg
親から離れて連絡も絶って、数年経って、やっと「生まれてきたのも悪くない」と思えるようになった。
実家に帰ると「生まれてきたことを後悔」することが起こると思うので、やっぱり帰りたくないな~って思う。
家族画が描けない
大学生時代、たまたま「動的家族画」を描く機会があった。
動的家族画は「あなたと家族が何かしているところを描いてください」という教示のもと、絵を描くもの。
私は、自分ときょうだいは描けたけど、親を描けなかった。
どれだけ思い返しても、親と一緒に何かしたところが思い浮かばなかった。
親=アラート説
よく考えると、親が家にいるときの思い出は「音楽」「足音」「怒鳴り声」…全部音だった。
親は朝起きると洋楽やら邦楽やらを大音量で流す。気分が上がるらしいけどうるさかった。
で、私ときょうだいが喧嘩をすると、大きな足音を立てて子どもたちの部屋にやってくるので、私たちは足音が嫌いだった。
あとは怒鳴り声。これはまぁ、さっきの会話のキャッチボールの話で分かると思う。
親はただの「アラート」であって、私の中で「家族」として存在してはいなかった。
「アラート」は非常時に発生する一方通行の音だ。
「親にとっての日常」「親にとってのルール」を維持するため、親は盛大にアラートを鳴らす。
私がこの家の主だ!
私がルールだ!
私の日常を妨げるな!
ということを、家族内外に示すために。
だから会話もできなかったのか…と思うと、「親=アラート説」はなかなかよくできているように思った。
緊急地震速報がこちらの都合関係なく鳴りまくるのは、確かに私の親とそっくりだ。
どうせ帰省してもしんどい
親がアラートだとすれば、罠だらけのダンジョンを攻略するみたいなものではないか。ボスは倒せないし、仲間(パートナーや親戚)を呼び出してややこしくなることは目に見えている。
それだけ苦労して攻略しても宝物もレベルアップもしない。
HPが削られるだけ。
これ…何の意味があるの?
「家族は助け合い」というけれど、子どもの頃から助ける側で、大人になっても「親孝行」とか「いい年して子どもの頃のことぐちぐち言いなさんな」とか言われ、こっから先は親は老いとか病気とか抱えて「社会的弱者」の立場を振りかざすんでしょう?
いつ親が私を助けてくれるターンになるんだろう?
うつになった時も「あんたより私の方がしんどい」「心理の勉強しててうつ病になるなんてウケる」と笑われたけど、助けてくれる日なんて来るのかな?
私はちっとも期待できない。
これ「親だから」で許されること?
モラハラ彼氏、モラハラ夫とかで社会から非難されてるやん。
親だったら「それでも育ててくれたんやし」で許すべきこと?
世の中にはとんでもないモラハラ夫に耐えている方とかもいるから、そういう人なら頑張れるのかも。
でも、私には無理かな。
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