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1分小説「リクルートスーツと選考結果」

100名。いやそれ以上か。

15分前に会場入りしたときには、腰回りがスリムなリクルートスーツに身を包んだ若い男女でごった返していた。いち企業の採用説明会にしては随分と大きなホールだ。

だが、問題はそこではなかった。僕はいますぐにでも帰りたい気持ちに襲われた。

「やらかした...」

自分の格好を確認した。ナノ・ユニバースの通気性の良いシャツにユニクロで買った黒のスキニージーンズ。少しでもオフィスカジュアルを意識したつもりだったが、9割以上がスーツの集団に放り込まれればその足掻きなど霞んでしまう。『スーツではなく私服でお越しください』というメール文を鵜呑みした僕がやはり阿呆だったのか。

「それでは、採用説明会をはじめます」

まだガヤガヤしている会場の様子になど気にも留めない様子で、急に採用担当者と思わしき男が壇上に上がった。若者たちは慌てて席についていく。

「あ、みなさん慌てなくて結構ですよ」

男はにんまりと笑った。遅めにやってきた僕は、空いている最前席に座ったので、男の表情がよく見えた。

「いまスーツを着てらっしゃる方。お帰りください。本日はご来訪ありがとうございました」

「え?」

会場に一瞬の沈黙が走った。

「ご案内のイベントページにも、メール文面にも、我々はしっかり記載していました。『スーツは不要ですので、私服でお越しください』と」

男の低い声が会場に響く。

「弊社はイノベーションを起こして世界を変えていく会社です。会社からのメッセージよりも一般常識を優先される方は、うちには合いません」

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一次面接は、あの壇上の男だった。低い声が相変わらずよく響く。なぜか意図せず選考を進んでしまっていたが、正直なところ、僕は早いところ落ちてしまいたいと思っていた。こんな会社、クレイジーすぎる。

「あなたの人生の目的を教えてください」

ひとしきりの雑談のあと、男が質問した。

「人生の目的?」

僕は少しだけ考えたが、適当に答えてさっさと面接を終えることにした。

「特にないですね」

「本当にないのですか?」

「はい、ないです」

男がどんな反応をするのか少しビクビクしていたが、返ってきたリアクションは予想とは真逆のものだった。

「素晴らしい。我々も、人生には目的などないと考えています。ただ”ある”だけ。あなたとは一緒に働けそうです」

その他にもいくつか質問をされたが、それが衝撃的すぎてよく覚えていない。「次は社長面接です」と結果を言われ、その面接は終了した。

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社長面接の会場は、この街で一番大きい総合病院だった。指定された病室に社長がいるという。社長は病気なのだろうか。

「お待ちしていました」

看護師に案内されるまま病室の前までくると、あの男が立っていた。

「社長がお待ちです。どうぞお入りください」

おそるおそる扉を開けて入室すると、ベッドに横たわる男の姿が目に入った。近づいてみると、目を瞑って寝ているのがわかった。髪の毛が全て抜け、体もやせ衰えている初老の男。皮膚に骨が浮き出てゴツゴツしていた。

「すみません、面接にきたのですが...」

小声で声をかけるも、男は目を瞑ったままだ。

病人に無理をさせるのも悪いと思い部屋を出ようとした時、男の左手がピクリと動いたのがわかった。同時に男の目の前のモニタに、「き」と文字が映し出された。

「み」

次の文字が映る。男の左手の指にそれぞれ電極のようなものが取り付けられ、そこから伸びる線がモニタにつながっているのがわかった。

「は」

男が、左手の微細な動きによって文字を入力しているのがわかった。同時に、その指以外の動作が一切できないということも、僕は体感的に理解した。

待った。待ちたいと思った。僕は、その寝たきりの男がゆっくりと指を動かして喋るのを待った。そして男の質問に回答すると、また男のゆっくりとした指の発言を待った。

「きみはなぜここにきたのか」

「面接のためです」

「うちのかいしゃにはいりたいのか」

「すみません、そうでもありません」

「では、きみはなにがしたいのか」

「僕は...えーと、わかりません」

「きみはなにがしたいのか」

「だから、わからないんです」

「きみはなにがしたいのか」

「さっきから言ってますよね。それがわからないんです!」

僕はイラついて声をあげ、初老の男の顔を見た。モニタばかりを見つめていたせいか、表情一つ変えられない顔を見て、僕の怒りはスッとどこかへ消えてしまった。当たり前に怒っているこの表情さえ、この男は奪われてしまっているのだ。自分が持っているものの数を数えたことがないことを、僕は自覚した。

「きみはなにがしたいのか」

「いや、あります...」

僕は自分でもびっくりするほど、つらつらと話し始めた。

大学までやっていた音楽で何か仕事をしてみたいこと。貧乏で旅行もろくにしていない両親といつか海外旅行に行きたいこと。近所で仲良しだった友達に昔ひどいことを言ったので謝りにいきたいこと。今付き合っている彼女といつか結婚したいこと。お世話になった小3の担任の先生とお酒を飲んでみたいこと。自分にはこれができるという自信を持てる仕事を見つけたいこと。いつか本を出したいこと。自分みたいな苦学生を助ける事業を何かやってみたいこと。それから、それから...。

一通り喋り終えると、ふと我に返った。自分にこんなにもやりたいことがあるだなんて知らなかった。いや、知っていたけど、心の奥に押しこめてしまっていた。

男の顔を見ると、表情は変わらないものの、どこか穏やかな様子に感じた。ふとモニタに目を移すと、短い文章が映されていた。

「それをやりなさい」

僕はお礼を言って病室を出た。扉を開けても、声の低い男の姿はどこにも見当たらなかった。

後日、この会社からメール一通届いた。メールタイトルは「選考結果のお知らせ」。

ふふっと笑ったあと、メールを開かないまま、僕はこのメールを削除した。

(おわり)

ここまで読んでいただいて本当にありがとうございます! 少しでも楽しんでいただけましたら、ぜひスキをお願いします!