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小説「モモコ」【33話】第7章:5日目〜午前11時35分,正午12時15分〜

午前11時35分

 セミナー会場の建物の外壁を、ルンバは登っていた。窓枠として出っ張った部分や壁に取り付けれた水道管、足場として使える突起物は、他の一般的な建物と比較しても多いとは言えなかった。ボルダリングの壁ならばかなり難易度の高いほうだろう。加えて、眼下に見えるのはコンクリートの灰色の地面一色。文字通り、一つのミスが命取りになる。

 だが、それだけのことだった。多少難しいコースだろうが、命の危険が伴おうが、ルンバには大きな問題ではなかった。実際に登り始めてから恐怖に駆られてしまうのではないかと自身に疑念を持っていたルンバだったが、まるで岩場を登り慣れたロッククライマーのごとく、次の足場を着実に選んでいった。

「僕のこの身体能力はいったんなんなんだろうな」とルンバは笑った。記憶をなくす前、自分はいったい何を生業としていたのか。謎は深まるばかりだが、今はその頃の自分に感謝するしかない。こんな体を張った役回りをこなせるのは僕しかいないだろう。

 目的としていた5階にはベランダがせり出していた。観葉植物が並べられ、街並みを見渡してゆっくりくつろげるスペースとして設計されているようだ。ベランダの柵を越え、設置された四角い座椅子に座り込んだ。

「さて、ここからが勝負だな」フーッと一息つくと、左手につけた腕時計を確認する。12時3分。僕の役目は、ここから1時間の間、時間をつくることだ。

 立ち上がって建物のドアを開ける。ベランダからつながる小さなロビーには10名ほどの会員がくつろいだ様子で座っていた。そのうちの何人かが、誰もいなかったはずのベランダから入ってきた見慣れない男を訝しげな顔を見ていた。ルンバは大きく深呼吸をした。

「坂田欣一郎はいるか!!!誘拐犯の坂田に用がある!」

 ルンバは腹の底から大声で叫んだ。

「おまえら、みんな騙されているんだ!サファイアの会は10歳の少女を誘拐して売りさばこうとしている!」

 ロビーの会員たちが、何事かという表情でルンバに注目していた。

「5日前におれの大切な妹は坂田に誘拐された。タダで済むと思うなよ!」

 威嚇するように大声を出したルンバはそのまま走り出し、ロビーのドアを蹴破って廊下に飛び出した。見ていた会員たちは、動揺してキョロキョロ見回している者、ルンバを追いかけ始める者、その状況を電話で誰かに伝えている者、様々だったが、ルンバの侵入の本当の意図に気づいている者は一人もいなかった。


正午12時15分

「侵入者ですって?」

 雉谷のところまで報告があがったのは、ルンバが暴れ出して10分経過してからだった。雉谷は電話先の会員に簡単な指示を出すと、また報告するようにと伝えてスマホを切った。

「よっす!」と後ろから雉谷の肩を叩いたのは、リリカだった。振り返った雉谷の顔を見て「えー!ウケる!別人じゃん!」とリリカがけらけら笑った。

「今回もなかなかの出来じゃない?」

 リリカと雉谷は、会場の建物1階のロビーで話していた。そのまま二人並んで歩き出し、エレベーターに乗る。雉谷は、関係者控え室のある5階のボタンを押した。

「で、ママの今日の名前は?」リリカがスマホをいじりながら質問する

「カグヤさんって呼ばれてるわ」

「カグヤさんね。オーケー。あとルンバはうまくやってる?」

「ええ、ちょうどさっき報告があったわ。いまも5階で暴れまわってるみたいよ」

「ていうか、本当に壁をよじ登って侵入したんだよね!マジでハンパないわ」リリカがけらけら笑った。

「彼の身体能力はずば抜けているものね。最初はむちゃくちゃに聞こえたけど、自分のお兄さんのことをよくわかっているからこそのプランだわ」

「あ、そっか、モモコちゃんはルンバのことを前から知ってたんだっけ」

「ミンジョンはどうなの?」エレベーターの数字が1、2、3と上がっていく。

「SNSのことなら、かんぺきって感じ」スマホの画面を見せながらリリカが言った。「なりすましの偽垢って、案外本人も気づかないものなのよね」

「それはあなたがなりすましのプロだからでしょ」と笑い返しながら、雉谷はバッグからデジタルカメラを取り出すと、スイッチを入れて画面を確認した。

「まあね。でもなりすましのプロって言うならママのほうでしょ。もはや今日とか別人だし。あ、それが今日のカメラ?」

「そうよ。設置型の小型カメラ。盗撮用にいろいろカスタマイズしてあるけど、前に不動産会社で仕込んだときとだいたい一緒よ。覚えてる?」

 雉谷はカメラをリリカに渡しながら言った。

「あー、あのハゲ社長のときね。オーケー、だいたい覚えてるから」

 エレベーターの画面表示が5を示した。

「段取りを確認するわ。今から坂田の部屋まであなたを連れていく。部屋の近くで待ってるから、ミンジョンは3分でセットして」

「導師様本人は? あと見張りは?」カメラのカスタマイズ部分を確認しながらリリカが尋ねた。「ルンバの暴れっぷり次第よね」

「大丈夫。安全のために坂田は別の部屋で待機してるし、見張りの連中にもルンバ探しを命じてあるから、今はあの部屋の前は手薄よ」

 エレベーターのドアが開いた。「さっすが、カグヤさん!」リリカはそう呼ぶことそのものを楽しむかのようにけらけら笑いながらエレベーターから出ると、さっと周りを確認した。廊下に人の気配はない。

「そのカグヤさんって司会の人、碧玉会でかなり信頼されている人なんだよね?」

「そう。だから、私の近くにいればそうそう怪しまれることはないわ」

「オーケー!じゃ、行きましょ、カグヤさん」

 二人は堂々と、坂田の部屋に向かって廊下を歩き出した。

〜つづく〜

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伊地知 悟。ベンチャー人事兼アマチュア作家。IT企業の社長室で採用&広報を経験後、福祉業界に転職。ソーシャルベンチャーで発達障害児童の通う施設運営のお仕事をしています。妻子と少年ジャンプとジャスミン茶を愛してやまない。

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