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小説「モモコ」【39話】第7章:5日目〜午後1時50分〜

 会場ビルのエントランスは、いまだ静かなものだった。会場内では怒号と悲鳴が飛び交い阿鼻叫喚といった有様であることは、リリカの投稿したツイートの動画を見てわかっていたのもあって、この静けさが奇妙で不自然に思えた。

「ずいぶん殴られたのね。大丈夫?」とモモコが言った。ボディガードの男に助けられ、ルンバとモモコはそのまま会場のエントランスまで逃げ出すことができた。

「ああ、少しまだ痛むけど、そんなに大したことはないさ」とルンバは返した。「君のほうこそ、大丈夫かい?」

「わたしは全然平気。何もされてないわ。大事な商品だったから、逆に下手に手出しはできなかったみたいね」

 商品という意味がまだよく理解できていないルンバはその意味を尋ねようとしたが、あとにしようと思い直した。ちょうどそのタイミングで誰かがこちらに近づいてくるのが見えたのだ。顔を見ると、以前参加した碧玉会のセミナーで司会を務めていた女性だった。

「えーと、雉谷さん?」ルンバはおそるおそる尋ねた。

「あら、それをどうやって確かめる気? わたしが本物の諸石カグヤだったらどうするの?」雉谷は笑って返すと、「あら」とモモコを見て言った。

「あなたがモモコちゃんね。はじめまして。...と言っても本当は久しぶりなんだけど、覚えているわけないわよね」

「覚えているわ」とモモコはすぐに返した。「顔は違うんでしょうけど、私は生まれる前からの記憶もうっすら残っているの。乳幼児の頃の記憶でよく思い出されるのが、父親の顔を、もうひとり女性の顔。きっと、それがあなた、雉谷さんでしょう?」

「さすがね」と雉谷は言った。「生後2週間で言葉を発したんだもの。乳幼児でこれくらいの発達はしていて当然よね」少し涙目になっているようにも見えた。その涙の真意を、ルンバは測りかねていた。

「そういえば、リリカは?」ルンバが言った。「もうすぐ来るはずよ」と雉谷が返す。リリカって誰?というモモコが質問する。雉谷が茶化すようにリリカの語源を話し、ルンバが恥ずかしそうに笑い、モモコが呆れた表情をした。

「これで碧玉会も終わり、か」ルンバがスマホでもう一度あの動画を見ながら言った。3人は出口に向かってゆっくり歩いていた。

「そんな簡単にいくかしら?」モモコがぶっきらぼうにつぶやく。

「え?」と不思議がるルンバに、雉谷が諭すように言った。「こんなことになっても、まだ碧玉会を信じる人はいるでしょうね。トップをすげ替えて、きっとこれからも続いていく」

「そんなものですかね。僕には、もうわからないです」

 出口近くの自動ドアを通り抜けようとしたとき、出口の壁に貼られたポスターが目に入った。若い女性と初老の男が椅子に座って向かい合い、笑みを浮かべて語り合うという、碧玉会のポスターだ。エレベーター前でこのポスターに目を奪われていた隙に、モモコを見失ったのを思い出した。

《あなたはまだ本当のあなたを知らない。自分自身と向き合う傾聴セミナー》

「え?」ルンバは歩みを止めた。モモコと雉谷が不思議そうな顔でこちらを振り返る。

 このポスターに映っている初老の男。最初は全然気がつかなったが、僕はこの男を一度見たことがある。いや、3度、この男を見たことがある。

 初めてモモコに出会った港。あのときにモモコを追っていた、ヤクザを連れた初老の男。あの男だ。なぜあのとき気がつかなかったのだろう。碧玉会の会員だったのか?

 そしてもう一つ。病院で雉谷に見せてもらった、3人の研究者の写真。真ん中の女性が雉谷で、右側がルンバの父親の犬養ハジメだった。そして左側の男は、まさにこの初老の男とそっくりじゃないか!たしかUFDを生み出した3人の研究者の名前は、犬養、雉谷、そして猿丸...。

「うそでしょ...」ルンバが凝視するポスターに映る初老の男を見て、雉谷もその男が猿丸だと気づいた様子だった。猿丸アキヒコ。犬養ハジメに負けず劣らない熱狂的な科学者。犬養ハジメに失踪と同時にUFDの研究データを持ち逃げされたあと、その後研究の表舞台には顔を出さなくなったと、雉谷が言っていたのを思い出す。

 ガクッと足の力が抜け、ルンバは急に倒れ込んだ。驚いた雉谷が体を支える。「どうしたの?」ようやく追いついてきたリリカが心配そうに言っているのがわかった。なんだ?意識が遠のいていく。何が起きているんだ...?

 薄れていく意識のなかで、失っていた記憶の一部が蘇ってきた。船の看板の上で誰かがと話している。周りは暗く、夜なのがわかった。話しているのは誰だ...?あの男だ。猿丸が目の前に立っている。何か僕が大声で猿丸に訴えている。口論になっているのか...?

 次の瞬間、猿丸がルンバの体を強く突き押した。体勢を戻そうとするが間に合わない。そのまま夜の海に落ちた。海面に体を打ち付けた痛みを思い出す...。これがこの男を見た3つ目の記憶だ。

 猿丸アキヒコ。そうか、全ての原因はこの男にあったのか。僕が真夜中の海中で溺れそうになりながら目を覚ましたのも、モモコが追われていたのも。そして碧玉会を裏で操ってモモコを誘拐させたのも、おそらくこの男が背後にいるのだろう。このことを早くモモコに伝えなければ...。早く...モモコに...。

 ルンバはそのまま意識を失った。意識を失う最後の一瞬、モモコと雉谷の声が聞こえた。

「そう、もう時間がきたのね。猿丸のことを思い出したショックが今回のトリガーになったのでしょう」

「ルンバ。いえ、お兄ちゃん。ありがとう。ゆっくり休んでね」

「また会いましょう」

〜つづく〜

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