通学路

21歳のわたしの周りでは、人々が矢継ぎ早に資本主義に迎合していく。
21世紀を生きる我々の「大人とは」を箇条書きすれば、それはきっと上位にあるはずだ。

好きな人がいる。
これまで長生きにはそこまで執着が無かったが、出来るだけ多く健康でありたいと思う程度に。
つまり、好きな人はパートナーになった。

恋愛は、資本主義を受容するきっかけとして最も強力だ。好きな人と出会って、これまで置いてけぼりだった私も少しずつ「大人」になっていく。明日一緒に居るためにも、カネが要る。

大学3年生の冬にアルバイトを辞めた僕は実に頭が悪いというか、計画性が欠如していてとにかく要領が悪い。アルバイトの採用担当に、大学4年生はモテない。おかげさまで定職にはありつけず、行く先々で「タイミーさん」と呼ばれる日々を過ごしている。
徒歩15分ほどの場所に物流センターがあり、先日はじめてそこの募集に申し込んだ。スーパーカブを主な移動手段としているが、何となく偶には歩いてみようと思った。実際どれぐらいかかるか不安だったので、30分前に家を出た。
そこはこの辺りで1番の大型施設で、巨大な敷地である故、我が家からの経路は幾つか考えられた。少し考えて、折角なので小学校の通学路を通ってみることにした。
小学校は本当にすぐ近くにあるのだが、小学生が歩くには危なかった。そのため、通学路は少し遠回りで設定されていた。何倍も時間がかかる通学路は鬱陶しくて、高学年になってからは殆ど通学路破りをしていたと思う。それも相まってか、本当に久しぶりに歩いた感じがした。
驚くべきことに、あんなに長くて鬱陶しかった通学路は、気がついたら歩き終えていた。ときに冒険の舞台として振舞ってくれた通学路は、あまりに平凡な道路の組み合わせだった。
毎朝100人を上回る子ども達を絶望させた一段が大きい階段も、念慮の余地無く一段飛ばし。旅先で必ずといっていいほど出会う、踏み面の長さも蹴り上げの高さも何かしらの基準をオーバーしていそうな、まるでリズムが合わない階段。ほんと何なんだアイツら。とにかく、奴らに比べればその階段は親切設計に違いなかった。(大人にとっては。)

身体は大きくなっていたし、時間は加速していた。自分のことなのに、気付いていなかった。

あーあ、大人になれそうかもな~~~

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?