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【おもしろいの正体:1】結婚式の親戚のおじさんの素朴なスピーチが胸を打つ件について。

クリエイティブな仕事をしてると
なんかおもしろいこと考えなきゃ、って
いつも思ってしまいます。

それはほとんど強迫観念みたいなもので、
寝ても覚めても心のどっかにある。

人と喋ってても、原稿書いてても、
これってホントにおもしろいの?って
もうひとりの自分に言われてる感覚。

おもしろいに出しゃばりになってしまう。

無理して一歩前に出てしゃべる感じ、
いいこと思いつきました、って
教室で手を挙げてる小学生、
そんな感じです。

そんなタイプが、
半端に自分ができる奴だと思ってると
肩透かし喰らうことがあります。

こういうことがありました。

親戚のおじさんのスピーチ。

会社の友人の結婚式。
広告代理店なんていう人の集まりだと、
喋りたがりが多いです。

みんなウケる鉄板のネタみたいなのを持ってて
それなりにおもしろい。
構成を工夫して、新郎の失敗エピソードから
最後はちょっといいこと言ったりする。

そういうスピーチがいくつか続いて、
新婦の親戚のおじさんが登壇しました。

ずっとざわざわしてた会場がちょっと静まって
おじさんはボソボソした声で話し始めます。

出席者に向けているわけでも、
ひょっとすると新郎新婦に向けてでもない
なんか独り言のような語り口で。

工夫なんかないです。
ただ新婦の昔の話をしてるだけ。
だけどおもしろい。惹きつけられて、
最後にグッと来てしまった。

自分だけではないです。
会場の一体感、惹きつけられ度が違う。

ああ、これは叶わないと思いました。

こういうことってよくあります。
下手にいろいろ考えてるからこそ起こる。

で、下手にまた考えます。
この差はなんだろう…。

テクニックと気持ちの優先順位。

なぜ業界人の鉄板ネタは
何の工夫もない田舎のおじさんに負けるのか。

ひとつにはターゲットが求めているものが違う
ということがあります。
(この場合は親類縁者という特殊な人々)

だけど大きいのは
そこに気持ちがあるかどうかの違い。

僕らはどうしても、
「こう話せば興味を惹くだろう」とか、
「グッとくるんじゃないか」とか、
「導入はこう入って締めは」とか、
どうしても上手くやろうとするけど、
そんなのは全部本物には敵わない。

自分たちがおもしろいと思うことは、
誰にでもおもしろいと思っている。
人に楽しんでもらおうと思って喋ってるのに
実は自分のことしか考えていない。

おもしろい、は感情の動き。

お笑いでも映画やドラマでも、
ああ、これおもしろいなあって思うものには
理由があります。

何らかの理由があって心が動く。
それは技術です。技術があればできる。

だけどそれだけでは、
成功はするのかもしれないけど
何か本質的なものが足りない気がする。

ものを作る、人に何かを伝える、という
仕事をしているといつも感じることです。

感情を動かすためにはどうするのか。
うまく言えませんが、
その大元にある、作り手の人間そのもの、
というか、

何かをしようとする前に既にある
自分みたいなものに力がないと
結局表面的なものになってしまって、
なんか浅い、薄いものになるような気がします。

何もしないでも感じさせる、
あるがままの力のようなものです。

いちばん強いのは、
何もしないでそこにいるだけでおもしろい
ってことかもしれないです。

ということでこの
「おもしろいとは何なのかを解き明かしたい」
を今年のテーマとして
してしばらく続けてみようと思います。

明日は【おもしろいの正体:2】そこにいるだけでおもしろいってどういうこと?

です。


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