【さとのば生のマイプロレポート】地域の内側にある魅力を伝えるラーニングジャーニー
こんにちは、地域を旅する さとのば大学 編集部です。
さとのば大学では、自分の問題意識やを起点に学び、自分らしく社会と関わる力を身につけるマイプロジェクトを実践してます。
今回は、高校時代に島留学を経験した1年生のちーちゃんが夏休みに実施した奥尻島ラーニングジャーニーについて、参加者として関わったさとのば生のさやねがレポートします!
(ちーちゃんの紹介記事はこちら)
▼語り手
なぜ奥尻島ラーニングジャーニー?
2時間半のフェリーに揺られてやって来たのは、北海道にある島、「奥尻島」です。
この奥尻島で高校3年間を過ごしてきたさとのば生のちなつのマイプロである、ラーニングジャーニープロトタイプ(以下LJ)を体験するため、遠路はるばるやってきました!
ーそもそも、この奥尻LJをやろうと思ったきっかけとはなんなのでしょうか?案内人のちなつに聞いてみました。
「島留学をした3年間で、島民の優しさ、島の自然の美しさ、奥尻島の魅力に触れて、この魅力をもっと沢山の人に知ってほしいと思いました。ですが、ただ知ってほしいのではなく、私が3年間暮らして気づいた内側にある魅力を見てほしいと思ったのです。そこでさとのば大学のプログラムであるLJを参考にして、計画してみよう!ということで奥尻LJプロトタイプを企画することに決めました。」
ー今回のLJに込めた、ちなつの思いとは?
「今回のスケジュールは1日目の最初に津波館(1993年に奥尻島を襲った北海道南西沖地震の災害の記憶を後世に残すための施設)に行ってから島の良さを見せるような順番にあえてしました。
それは島を襲った悲劇から、復興に力を入れてきた島民の努力によって
今の綺麗な島があることを知ってもらいたかったからです。
また、透明度が高いことを誇る奥尻ブルーにも容赦なく襲う海ゴミ問題にも向き合ってほしいと思いました。海ゴミ問題の現状と向き合うからこそ気づける海の大切さがあるからです。
観光で見えるキラキラとした奥尻島だけではなく、たくさんの人が努力して向き合ってきた様々な問題もちゃんと知って感じて体験して、暮らすという内面を通して見える内側の魅力を見て欲しいと思い、今回のLJの構成にしました。」
フェリーで揺られて来島した初日。
予約していたレンタカーに乗っていざ出発!
まずは「津波館」を訪ねました。閉館ギリギリだったこともあり、来館者は私たちだけ。津波館のスタッフの方に案内してもらうことができました。
1993年7月12日に起こった北海道南西沖地震。その津波の猛威は奥尻島までを蝕むことになったのです。
その当時の島全体の写真と復興した後の写真を見比べて、何度も奥尻島に到達した津波の話を聞きました。
建物全てが削がれていて、この小さな島に津波が何度も襲いかかったのがわかりました。
津波館は建物をぐるっと一周して資料を見る、という少し変わった作りになっていました。
建物の構造ひとつひとつが、亡くなった方への追悼の意を込めて作られたものなのだとスタッフの方が教えてくれました。
津波の襲来直後には、建物の火災も凄まじく、その当時の写真なども飾ってありました。
その写真の間に、当時小学生や中学生だった子たちが作った詩が飾られていました。その言葉を読んでいるだけでも目頭が熱くなるほどでした。
スタッフさんの説明を聞いて、奥尻に住んでいたちなつも、「ここに来ると、必ずこの詩を読んで泣いちゃうんだよね」と目頭を抑えて詩を見つめていました。
案内を聞いたあと外に出ると、綺麗な夕焼けが。
時空翔と呼ばれる慰霊碑にも足を運びました。
不思議な形をしていて、ちなついわく、毎年、被災した日である7月13日の夕日がすっぽり穴に太陽が入るように設計されているのだとか。とても素敵で、でも少し切ない気持ちを抱きながら、津波館を後にしました。
今回のLJで宿泊する「imacoco」というゲストハウスに向かいつつ、食料調達。
imacocoに着いてご飯を作ったら、アップサイクルの講義へ。
(アップサイクル:本来であれば捨てられてしまうはずの廃棄物に、デザインやアイデアで新しい付加価値を持たせることで、別の新しい製品に生まれ変わらせること)
ゴミ処理について、島ならではの悩みがたくさんありました。
島でのゴミ処理の仕方は焼却か埋め立てという方法だけ。
山の中にある埋立地には埋められるゴミの量に限界があります。
海ゴミを拾って処理する余裕などないのです。
その苦悩は、きっと島に住み続けた人にしかわからないものなのだと、話を聞きながら痛感しました。
長い年月をかけないと解決しない、解決するかもわからない問題に向き合い続けることがこんなに切なくて悲しいことなんだなと思いました。
移動やいろんなインプットがあり、充実した初日。
明日はどんなことが起こるのか、ワクワクしながら眠りにつきました。
奥尻LJ2日目。
慣れない環境で疲れもありましたが、まずはアップサイクルへ。
imacocoでは年に数回、海浜清掃で拾ったプラスチックの海ゴミを洗浄し、小さく細断して、色ごとにわけ、アップサイクルで商品を作っている会社に送り、コースターなどの商品にしてもらっています。
今回はその簡易版ということで、ペットボトルの蓋を集めて、細断し、アイロンでプレスしてキーホルダーを作りました。
プレスしてみると、魚のような形になったり、クラゲのような形になったり、面白かったです。
そのときにちなつに、「ペットボトルの蓋を探しながら、ひとつ、お気に入りのゴミを探してみてね」と言われ、わたしは水色の蓋をセレクト。
ペットボトルの蓋を探しに海に行った時に、シーグラスを見つけたりしました。
帰ってきてから、ちなつが海ゴミワークショップをやってくれました。
内容は、「そのゴミは誰が持っていたものなのか?」「どのような用途で使われていたのか?」など、想像で物語を作っていくというもの。
ゴミが辿ってきた物語を想像・妄想してみると、ポイ捨てしたもの、という発想はなかなか浮かんでこなくて、「砂浜にたどり着くゴミは、全てがポイ捨てされたものじゃないんだよ」とゴミとして流れてくる物のルーツを考えるきっかけを考えることができたワークショップでした。
夜は海辺でモルックとBBQ。
モルックをやるのは初めてだったけど、子ども達からルールを聞いていざ挑戦。
やってみるとシンプルだけど世代問わず盛り上がれるゲームで、とても楽しかったです。
海辺でやるBBQも美味しくて、その時たくさん話したおかげで、島に暮らしている人と友達になりました。
月も綺麗で、空を見上げながら、流れ星を探しました。
雨が降ってしまい、プログラムにあった海のアクティビティであるSUPはできない予定でしたが、私たちは1日長く奥尻島に滞在したので、SUPも体験することができました。
ちなつが「絶対に見てほしい」と言い切る理由がわかるぐらい綺麗な海でした。「奥尻ブルー」と呼ばれるその海は恐ろしいくらい綺麗で、最初は少し怖かったです。
ですが、案内してくれた人が恐怖を拭えるようなさまざまな方法を提示してくれて、最終的に海に飛び込むチャレンジまですることができました。
大きな災害があったことを知った1日目。
海ゴミに悩み続ける大人に出会った2日目。
奥尻の海にまつわるプログラムを体験したからこそ、奥尻ブルーを見たときに「泣けるほど綺麗だ」と思いました。
今回の旅で感じたことは、「解決できる見通しが立たない問題に向き合い続けるのは苦しい」ということです。
島ならではの悩みは、島民だけで解決できる問題ではなく、島民のお金や労力を削り続けても解決しない問題だったり、外部の人に興味を示してもらえなかったり……
そんな問題に向き合い続けることの苦しさや切なさを今回の旅で感じました。
今回はLJプロトタイプでしたが、いつかまたパワーアップした奥尻LJが体験できるのなら、してみたいと強く思える、そんな経験になりました。
奥尻ラーニングジャーニーは、ちーちゃんのさまざまな想いが詰まった唯一無二のプログラムになりました。
実際にやってみたからこその気づきや学び、次にいかしたいポイントが見つかり、今後の糧になる大事な時間でした。
さとのば生の企画にさとのば生が参加することで、共創が生まれています。
今後も、さとのば生のマイプロから目が離せません!
■暮らしながらプロジェクトを実践する、さとのば大学の学びのフィールドは全国各地
さとのば大学では、4年間1年ずつ多様な地域へ留学し、地域での様々な人との出会いや対話を通して自分自身の関心を探り、マイプロジェクトへと繋げて実践していきます。ぜひあなたらしさが活かせる地域を、見つけに行きませんか。
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