
きみがきみの心を大事にできますように【入学から前期を振り返って】
■このコーナーについて
このコーナーは、さとのば大学の在校生が、学生の目線からさとのば大学の今をお伝えするシリーズエッセイです。
さとのば大学ではまもなく後期がスタートします。その前に、在校生に前期はどうだったのかを振り返ってもらいました。(さとのば大学note編集部)
初めまして、こんにちは。
この4月からさとのば大学1年生を始めました、ももです。
今は秋田県五城目町にいます。

今日は、私が前期を通して感じたことについてお話しできたらと思います。まずは、私が「なぜ、さとのば大学に来たのか?」からお話しさせてください。

[プロフィール]
宮原桃花(みやはら・ももか)
2023年4月、さとのば大学入学。1年目地域として秋田県五城目町に滞在中。北海道出身。趣味は読書とお絵描き、ひるねと美味しいご飯を食べること。
教育、まちづくり、デザイン、言葉、人、歴史文化、遊び、いろいろなことに興味があり、留まるところを知らないくらい、あれもこれも気になる性格。
私は北海道出身の20歳です。大学1年生なのに20歳なの?そう、大抵の場合大学1年生というと高校持ち上がりなので、18歳か19歳です。
そうでない私は何者なのか。私は浪人生を経てさとのば大学に入学しました。
現役生の時と浪人時代、美大を目指していましたが、ことごとく落ちて、後が無い状況になりました。崖の端まで追い詰められていた私は、もう1年浪人するのではなく、たまたま知ったさとのば大学への入学を決めた訳です。
さとのば大学に来た理由を、一言で言えば「やけくそ」。
真面目な理由を言うと、「暮らしそのものも学びになるため、どこよりも実践的に学ぶことができる」「本物に触れながら学ぶことができる」「答えのない問いに向き合いたい」です。
きっと私はどこかに逃げ出してしまいたかったのだと思います。だから地域留学という選択をとったのでしょう。
また1年浪人するの?
またこんな1年を過ごすの?
そんなのは嫌だ。
まるで生きた屍のようだった私は、何かに四六時中何かに追われているようでした。サスペンスドラマに出てくるような崖の縁にまで追い込まれて、「なんとかなれーッ」と叫びながら飛び降りたのです。人間に戻りたかった私の心を守るためには、あの時飛び降りるしかなかったのです。
でも、この選択は結果的に大正解だったと、今なら胸を張って言えます。それくらいにこの4ヶ月間の学びは濃く、そして良いものでした。
それではそろそろ本題に入ろうかと思います。
怒涛の4月、やる気に溢れる5月、梅雨前線とともに停滞する6月、まさかまさかの7月。この4本立てでお話しできたらと思います。
怒涛の4月
浪人時代も志望校に落ちた私が、さとのば大学への入学を決めたのは出願締切ももうすぐそこの3月末。何もかもがギリギリだったので、出願も面談も入学準備も、4月に頭を突っ込んでいました。
本来であれば4月の講義開始までに今年1年を過ごす地域に移動を完了させていることが理想なのですが、そうもいかず、地域入りを4月末のGWに定めて、それまでの講義を自宅で受けることにしました。
4月の頭には入学式も開催されましたが、緊張と焦りの連続で、Zoom越しなのにガッチガチでした。素敵な挨拶をする先輩と新入生代表、そして1年間一緒に学ぶ、もう地域入りした同級生たち。オンラインでの学びが初めてであるということもそうさせていたとは思いますが、「やけくそで来ちゃったけど大丈夫かな…」なんていう今更な悩みを抱え、挑んでいました。
懐かしい。
そして講義がはじまった訳ですが、それがもう楽しくて仕方ない毎日でした。私が求めていたものはこれだ!ほしかった学びはこれだ!個人差があると思いますが、私はそう感じました。

4月の内容は、「自分のことについて知る」ことがメイン。
自分の偏愛マップ、過去の歴史を紐解くライフヒストリー曼荼羅、学びを振り返るリフレクション、ないものはないのだという学び。
受験によって荒んでいた私の心は、この講義で思い出した本当の私と、さとのば大学のあたたかい空気感に、ほっと落ち着ける場所が増えたようで、ワクワクしていました。
そして迎えた地域入りの日。普段はZoomでしかあったことのない同級生でハウスメイトのはなちゃんとリアりまして(=リアルで初めまして)を果たし、五城目に到着したことを感じました。

ここで1年暮らすのかぁ、と荷物をおろすや否や、地元の方に案内されて山菜採りへ。これは都会では味わうことのできない経験だ、と前日の雨でぬかるんだ山を登って降って、初日は採ってきた山菜の鍋。地域の洗礼を浴びました。
私は一瞬で、五城目のことが好きになりました。
やる気に溢れる5月
私は運転免許を持っていませんが、ハウスメイトのはなちゃんは免許と車を持っていました。地域入りするために地元の群馬から初心者マークをつけて走ってきたという強者です。
そんなはなちゃんとは色々なところにお出かけをしました。さとのば大学の講義以外での学びが大きかった5月でした。
道の駅に行ったり、秋田市内へ出かけたり、男鹿半島を一周したり、大館まで藤の花を見に行ったり、足を伸ばして青森まで突入して弘前へ行ったり。季節を感じるというなかなか風流なことをして、五城目だけではない地域の魅力を発見しました。

ひと段落ついたからなのか、GW終盤に風邪を引いてしまったのですが、治った後の私は、とにかく尋常じゃないくらいやる気に満ち溢れていました。そんな中立ち上がった夏休みの合宿プロジェクト。全力で向き合ったこの合宿の顛末についてはまた後日…。
でも、そういう時ほど空回ってしまうもので、やる気はあるのに自分の力量が足りずにうまく立ち行かなくなっていました。
梅雨前線とともに停滞する6月
そうして迎えた6月と梅雨。
梅雨前線とともにあらゆることが停滞し、一体私は何をしているのか、と悩んでいました。
自分がやりたいと言ってここへきたはずなのに、さとのば大学に来たはずなのに、あらゆることが滞っている。managara(注)もある、合宿のMTGもうまく回せない、天気も悪くて頭痛もしてきて、講義にもイマイチ集中できない…。ちょっとした自己嫌悪。
注)ネットの大学 managara
市民大学であるさとのば大学では、大学卒業資格の取得を目指す場合、通信制大学とのダブルスクールでの受講をご案内しています。
ネットの大学 managaraの経営学部にはさとのば大学と連携した「地域イノベーターコース」があり、複数の在校生が受講しています。
それでもとりあえず何かをするしかない、と走り続けました。
本好きが多かったことから、ただただ本について語る会を開きたいと考えて読書クラブを開催してみたり。合宿のMTGも思い切ってちょっと強めに発言してみたり…
もちろん空回り続けてはいたけれど、何もしないよりはマシだったと思っています。
季節柄これは仕方ないのだと割り切ることにして。
そして私はもがきながら、周りを頼ることを覚えました。今までは、人に頼むのはなんだか憚られる、迷惑をかけるくらいなら自分で、なんて誰に言われたわけでもないのに気を遣っていました。ちょっとカッコつけたかった部分もあるんだと思います。
いい意味で、素顔をさらしていこうと思うことができたのも、さとのば大学での学びがあったから、五城目で過ごした日々があったからじゃないかなぁ、と感じているのですが、どうでしょう。本当のところはわかりません。自分のことなのにね。

加えて、さとのば生を受け入れてくれる地域事務局の方にインタビューをする講義があったこともいい影響を及ぼしてくれたと思っています。こんなに面白い大人がまだまだいるんだ!と、ワクワクに再点火してくれたような。それがこの停滞していたタイミングであったことにも何か意味があったように思えてならないのです。ちょっと考えすぎかな?
まさかまさかの7月
ちょっとだけ持ち直した7月は、まさかまさかの事態の連続でした。
まずは、同じくさとのば大学生で、宮城県女川町に留学中の同級生たちが五城目にやってきてくれたのです。
遊びではなくあくまでも視察という名目だったんですが、リアルで会うのは初めてだったので、とても楽しみにしていました。意外と印象は変わらないもので、ちょっとイメージより身長高いかも…?低いかも…?くらい。よく Zoomで会う彼らがそこにいる、というなかなか面白いことが起きていました。
さとのば大学は、地域に暮らしながら学び、そこでの学びをオンライン授業でシェアしたり講義で学ぶハイブリット学習です。同級生でも離れた地域に滞在しているメンバーとなかなか会う機会はありません。でも、この時だけは、同じく学ぶもの同士近くにいてほしいと思いました。高校生活のほとんどをコロナ禍で過ごした世代である私たちは、青春に対して並々ならぬ憧れがあるのです。

さあ、そんな妄想はさておき、BBQをしたり、ご飯を一緒に食べに行ったり、ひみつの会談をしたり…ちょっとした非日常的な学びの時間を過ごすことができました。
そして彼らを見送った翌日。あの事件が起きます。
秋田県の集中豪雨です。
全国的には、秋田市内のことが大きく取り上げられていたようですが、五城目町も浸水・断水の影響を大きく受けました。地域留学をしていたら、まさかの被災者になってしまったのです。
この事件はだいぶ傷になっていて、いいことも悪いこともたくさん経験したし、見聞きしました。ですがそういう話をすると重たくなるので、それはまたの機会に。
ただ一つ言えることは、よく被災した人がいう「まさか自分の身に起こるなんて」というセリフ、これはまさしくその通りであったなということです。災害大国・日本、異常気象が起こりまくるであろう地球に住んでいる以上は、自分の身に起こらないということはないのだと学びました。他人事ではなく、自分ごとのように考えていなければならないのだと。

結果として、私とはなちゃんは何事もなく無事であったからこそ言えることですが、経験できてよかったと思います。決してこの事件が起こったことがよかったというわけではありません。
そして7月はさとのば大学の前期最後の月。というわけで1年の半分が終わり、ここまでの学びをまとめて発表する中間発表がその数日後に行われました。五城目組は、大雨が続き警報も鳴り響く中、怖いねぇやばいねぇなんて言いながらTwitterを片手に必死こいてスライドを作りました。
みんなそれぞれ抱えているものも違って、学んだことも、学んでいたフィールドも違って。けれど、迷いながらに自分達の言葉で生き生きと発表し合って、とても良い時間になりました。これがさとのば大学なんだ、そう思いました。
夏休み前最後に、終業式を行い、お互いにアワードを贈り合いました。その名も『さとのばアワード』。出会えてよかった、語り合いたい、といった賞を。このお互いにお互いを認め合える関係性もさとのばの良さだなぁと感じます。それは、ちゃんとさとのば大学で学んで、4ヶ月、日々暮らしながらに生きた学びを得られたからだと思います。
さて、まとめ。
私がこのさとのば大学で前期4ヶ月を過ごして言いたいこと、それは、「きみが、きみの心を大事にできますように」。タイトルにも据えたこの言葉。
私は言いたいのです。
大学に落ちてよかった、と。
さとのば大学に入るという選択をとってよかった、と。
みんなに出会えてよかった、と。
ここに来て、私は私の知らない「わたし」に出会うことができたし、かつての「わたし」を思い出しかけています。
さとのば大学は、わたしがわたしであれる場所でした。
そんな場所にたまたまとはいえ、来てよかった。
あの選択をしたからここにいる、それってすごい偶然でご縁だと思います。そう思うと、随分遠いところまで歩いてきたものです。

受験をしていたあの頃に、ほしいと思っていた未来じゃないかもしれない。
あの頃欲しかった未来には、きっと多分わたしはいない。
それでも、大学に落ちてよかったなと思うんです。
ここにいて学ぶことができて幸せだなと思うんです。
それは、前期での学びの時間を経て、今のわたしを好きだって思うことができたから。
自分で選んで「これがいい」と言えるくらいには。
「これでいい」ではなくて「これがいい」と言えるくらいには。
わたしはちゃんと自分で自分の人生を生きています。
さとのば大学に入ってから、生きることへの辛さは軽くなった気がします。
現代は生きづらい。それでも、ここにいて学び続けている間は、自分の心を守ることができています。
どうか、このわたしがさとのば大学で学べていることの喜びを多くの人に感じてほしい。
そしてこの前期の間だけでもそう感じられる学びの時間を過ごせたということを、触れ回りたい。
それが、私が前期を通して感じたことです。
だいぶ脈絡のないことをつらつらと述べてしまいましたが、これを読んでくれたあなたに伝えたいこと。きみが、きみの心を大事にできますように。それは、あなたにとっても、私にとっても、同じくさとのば大学で学んでいる仲間たちにも。
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