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心のタスマニア

2019年9月掲載
文:Meli-Melo シャボール・育さん
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 この3月フランス人の夫と付き合って10年の節目の日、山の中に小さなガレット屋をオープンしました。10年前には想像していなかった今の暮らし。国際結婚、田舎暮らし、子育て、お店・・・。


 土に淡い憧れを抱きつつも、パリと神戸、住み慣れた都会に暮らし、普通にお勤めしていた私達。今回はそんな私達を田舎暮らしへ導いた大きなきっかけについてお話ししたいと思います。

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 それは、10年前。オーストラリアのタスマニア島の山の中。私達が出会った場所、Highland Herbs Tasmaniaという農園でのお話です。隣の家まで5km、最寄りのスーパーまで50km、まさにmiddle of nowhere! 

 ご夫婦で、テントで暮らしながら、山を開墾し、家を建て、水路を整え、畑を作り、オーガニックハーブハーブファームを営んでいました。私達のようなWWOOFerを沢山受け入れていました。

 広大な敷地の中に山があり、池があり、小川が流れ、果樹があり、自家用の野菜畑、出荷用の様々な種類のハーブ畑、馬が悠々と歩き、ポッサムやワラビー等の野生動物を沢山見かけました。

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 そんな中でほぼ自給自足の生活、ガスはなく薪をくべ火をおこすことから始まる朝、世界一氣持ちいいコンポストトイレ、テレビもネットもなく、長い夜には豆を鞘から外しながら世界各国から来たみんなと話します。パン、石鹸、歯磨き粉、小屋、アーチェリー、何でも手作り。ヨガ、瞑想、チャンティング、、、。

私達の日常とあまりにかけ離れたどっしりと地に足がついた暮らし。それまでの都会での生活にも満足していたつもりでしたが、ガラリと価値観が変わりました。変わったというより再び見つけたといった方がしっくりくるかもしれません。


 私達は朝からカモミールの収穫や乾燥、袋詰、草取りなど作業をして、10時半頃休憩。自分達で作ったパンに畑の野菜とチーズと`miso'を挟んだサンドイッチと地面に這いつくばるように顔を近づけて飲む湧き水が最高に美味しかった。そよ風を感じ、あぁ、風を感じるために生まれてきたんだったと思いました。

雲の移り変わりや、遥か遠くの山の緑を見ながら13時頃まで作業し、あとは長いリラックスタイム。散歩をしたり、芝生に寝転がり夕日を見たり、裏山、と言っても断崖絶壁なのですが、に登ったり、ゲームしたり、火を焚いたり、音楽を奏でたり。

時々の贅沢はサウナ!夫婦の友人のフィンランド人の作ったという本格的なもので、5時間くらい交代で火の番をして、真っ暗闇の中、裸で入る。熱くなったらタタタと走ってカモノハシのいる冷たいダムに飛び込む。


とにかく毎日毎日、朝起きた瞬間から寝るまで、ずっと「あぁ、幸せ」「生きている」と温かい氣持ちが湧き上がってくるのです。そんな3ヶ月でした。

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 そもそも私がオーストラリアに渡ったのは、闘病の末母が亡くなり、限りある時間と最優先していた母との時間がなくなり、自分の生きる意味までわからなくなり、このままではダメになると思ったことからなのですが、まさにタスマニアで私は生き返ったのです。

タスマニアから離れてからも、あの日々が私達の心の中にキラキラとあり、理想郷として刻まれています。そして単純な私達は、何の知識も技術も知り合いもないままにただただあのキラキラを求め田舎に移住、今に至るのです。


 田舎に行かなくてもあのような氣持ちで暮らすことはできると思います。ただ、環境の影響を受けやすい私達は田舎にいる方がいいと感じています。散歩しながら野草を摘むのが好きです。梅仕事や味噌づくりもするようになりました。釘一本打ったことがなかった夫を床も張ったり棚を作ったりするようになりました。草刈りと薪割りも日常になりました。

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  と言っても理想と現実にはギャップがあって、畑も中断していますし、3家族でしている田んぼも皆さんに頼り切り。お店の庭もまだまだ整えられていません。タスマニアの暮らしは遠い。でも、最近はそんなことを氣にしなくなりました。自然からエネルギーをもらいながら生きていることがありがたいです。


タスマニアのお父さんの言葉。
you have to enter, when the door is open.


感覚が研ぎ澄まされている時の心の声にしたがえ、と理解しています。

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