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3ヶ月籠もって、リタイア生活ってゴールがなくなる感覚なんだなってちょっとわかった気がする。


新型コロナウイルスによる外出自粛で、3ヶ月以上、家に籠もっている。

まずわかったことは、外出自粛な毎日が想像の数倍はせわしないし疲れる、ということ。

いくつか理由をあげると、

● 在宅していることがバレてるので、逃げ場がない
いままではブラックボックスになる仕事をいくつか持ってて、それを隠れ蓑にちょこっとさぼったりも出来たんだけどw、もうね、「必ず家にいる」ということがバレているので、オンライン会議の逃げ場がない。
たとえ「ごめん、その時間は今日は都合が悪い」とか伝えても、「では今日のいつなら?(少しも空かないわけはないでしょう?)」と詰められて、無理矢理入れられてしまう。
朝から晩まですぐ会議の予定が埋まる。いやはや外出自粛前よりずっと忙しいやんけw

● 余白の時間がない
リアル会議のときは遅れがちだった人も、なぜかみんな時間通りにオンライン会議に現れるw
そして、オンラインだと雑談とかが少なくなり、なんとなくすぐ主題に入ってしまう。だから「集中しないといけない時間」が次から次へと余白なしにやってくる。
しかも、「相手の言葉に口を挟む」みたいなことがしにくいので、空気を読みながら順番に意見を述べる。つまりはいつもより時間がかかる。そんなこともあって、30分の打合せなら30分目一杯、1時間の打合せなら1時間目一杯、時間を使ってしまう。
そうなると、終わった途端に次のオンライン会議が始まり、そしてまた雑談なく主題に入る。息がつけない。休む間がない。水を飲みに行く時間もトイレに行く時間もないやん!

● 脳が疲れる
人間って、無意識に「相手の表情を読む」そうで、ZOOMなどで複数の顔が並ぶと、脳みそがずっと複数の相手の表情を読み続けたりするらしい。10人以上の顔が並ぶとすごい勢いで読み続ける。なるほどだからあんなに疲れるんだな。
1日で5コくらいZOOM会議が入っていると、もう頭がふらふらだ(たぶん馴れない、ということもあるのだろうけど)。10コくらい入るともう集中力がゼロだ。珈琲がぶ飲みしてなんとか凌ぐ感じ。そりゃ疲れるわ〜!

● 平日も土日も家から出ないので、曜日ごとの感情の起伏がない
普通に通勤していたころは「月曜死ね」とか「あーまだ火曜かー」とか「よし水曜だ」とか「木曜!あと少し!」とか「うひひ金曜、明日は休み!」とか、曜日ごとに感情の起伏があったんだなぁ、と、いまさらながら気がついた。
土日も家から出ないので、基本同じような日常だ。そうなると曜日ごとのモチベーションも平坦化し、なんか無限に回るカラカラ(ハムスターが回してる滑車)の中を走ってる気分になる。
あー、曜日ごとの感情の起伏って、人生のいい潤滑油になっていたんだなぁ!

● 甘さを引き立てる満員ラッシュへの憎悪がない
昔、スイカに塩かけて食べてたよね(最近はやらないけどなぁ)。あれって塩をかけることでスイカの甘さが引き立ったわけだ。
いやもうね、東京の電車の苦痛については、中学生のときの電車通学時代からずっと憎んでも憎み足りないくらい憎んできたわけだけど、「あれってスイカにおける塩だったんだ」ってちょっとだけ考えを変えた。
あの憎悪があったからこそ、食事とか土日とか余暇とかが特に楽しく感じられたんだな。
いや、もちろんイヤですよ、満員ラッシュの電車生活に戻るのは。イヤすぎて死ぬくらいイヤだ。
でも逆に言うとアレがなくなったことで生活が能面のように無表情になってしまった部分はあるなぁと。



・・・と、こんな感じで、想像の数倍はせわしなく疲れる毎日だし、メリハリや緩急がないので、いろいろ溜まりまくる毎日だ。



とはいえ、良かったこともある。

リタイア生活って、こういうことかぁ、となんとなくわかったこと。

3ヶ月、「いつまで続くかわからない外出自粛の毎日」に身を置いてみて、この、「ゴールとか区切りがなく、だらだらと続く感じ」って、リタイア生活の感覚にとても近いんじゃないかと思った。

20代30代40代なら、もちろんそんなこと思いもしなかった。

まぁ年齢ということだろう。
あと2週間もすると59歳になることもあり、そして次々と身近な先輩・同輩たちが「現役引退!」とか言い出していることもあり、なんかしみじみと実感してしまった。


そう、ゴールが見えないこの感じ。
そしてこのランニングコースからも出られないこの感じ。

リタイア生活って、きっとこんな感じだ。

無理矢理3ヶ月も家に籠もらされたことにより、リアルにシミュレーションできた気がする。

※家に籠もる必要がある主婦や主夫の人は、ずっと同じように感じてきたのかもだけど、ボクはずっと通勤していたのでこんなに籠もるの生まれて初めてなんです・・・。


もちろん、リタイア生活でもやることはそれなりにあると思う。
思ったより忙しい気もしている。
特にボクはいろんな予定を詰め込むタイプだし。

でも、それはきっと、上で書いた「毎日意外と忙しいぞ」と会議に追われる感じに似ているだろう。

そういうのがあって忙しくても、この3ヶ月は飽きたし、閉塞感があった。

それはゴールが見えないからだと思う。
きっとそういうことなんだろうなぁ・・・。


え?
人生の終わりっていうゴールがあるじゃんって?
リタイア後なら、それが近いじゃんって?

いや、だからそれも「いつがゴールか見えない」からね。
ずっと見えないままリタイア生活が続くわけですよ。

そういえば「ガンはある意味、幸せな病気です」って言っている医者がいた。期限(ゴール)が区切られるから、逆に人生が充実するんだ、って。

そういうことだと思う。


うん、この3ヶ月はいい予行演習だったかも。

と、いうことは、だ。

きっと「リタイアしたら毎日映画観る!」とか「読書三昧!」とか「趣味としての農業!」とかだと、性分としてすぐ飽きるし、閉塞感からも抜けられない。

意識して「ゴールや区切りを作り続けること」が(ボクには)大切なのだろう。


ゴールがあるものをする。
なかったらそういうものを無理矢理選んででもする。
ゴールが具体的日にちで設定されているものをする。
ゴールを自分でだらだら延ばせないものを選んでする。

それも、できれば趣味レベルではなくて、プロフェショナルになるくらいな気持ちで。

きっと(特にボクには)そういうことが必要な気がする、と、この三ヶ月で学んだ。


わりと元気なリタイアさんが「卒業というゴールがある大学院」とかを選んで通っている気持ちが少しわかった気がする。

探そう、そういうの。
きっとたくさんある気がする。

もしくは、もしそう思う人たちが多そうであれば、ゴールをいろいろ提供できる仕組みを作ると、リタイアさん相手に起業できるかもしれないなw



・・・まぁ、そうは言っても。

自分的には、去年また新たに創業したばかりなので、当分リタイアする気はないのだけどw


でも、なんとなくこの3ヶ月で感じたことなので、軽く書き留めておきます。

もうちょっと考えは進めるけど、一応。



古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。