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闘アレ生活(14) 〜「佐藤さんは負けてはいけない」

57歳のある日、いままでアレルギーなどひとつもなかったボクが、突然アニサキス・アレルギーになった。そして、ほとんどすべての魚介類が食べられなくなった。いまは魚系のダシやエキスまで避けている。
そういう生活とはいったいどういう感じなのか、ちょっとだけリアルに知ってもらうために、ちょぼちょぼ書いてくシリーズです。
暗くなる話も多いけど、リアルに知ってもらうのが目的なので、申し訳ありませんがご理解ください。
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いま、猛烈に負けそうなので、あえてこんなタイトルにする。

今日、3ヶ月に1回の診察に行ってきた。

魚介類を(ダシ・エキスも含めて)完全除去し、3年かけて「IgE値」を下げ、そこから7年かけて減感作治療を行い、全部で10年かけてアニサキス・アレルギーを治すチャレンジをいっしょにしませんか?、と言ってくださった鈴木先生のところである。

※鈴木慎太郎先生(昭和医大病院)は、成人食物アレルギーを専門領域としていて、超レアなアレルギーであるアニサキス・アレルギーについては、日本で唯一と言ってもいい専門医である。


治る保証はまったくない。

でも、少しでも可能性があるなら、この年齢からの10年って死ぬほど長いけど、一縷の希望を託してみよう、とボクも決断した。

「食」という人生最大の楽しみを失ってノックダウン寸前だったボクにとって、それはたった一筋の光明で、いまやその希望だけにすがって生きている。


・・・でも、その「たった一筋の光明」も消えそうだ。


診察結果がかんばしくなかったのだ。

IgE値はほとんど落ちていなかった。

それを落とすためだけに毎日やっていると言っても過言ではないのに、ほとんど落ちていなかった。

ここ6ヶ月、こんなに慎重に、こんなにストイックに、こんなに耐えに耐えてがんばったのに、ほとんど落ちていなかった。



レアなアレルギーなので症例はまだ少ないのだけど、いま同じ治療をしている人のほとんどは、順調に数値が落ちて行っている。

その後、ちゃんと治るかどうかは別にして、ほとんどの人は、とりあえず数値は落ちて行っている。


でも、ボクは落ちなかった。

先生曰く「10人に1人くらい、免疫細胞がとても頑固な人がいる」そうだ。

オレがそれってことか・・・。



「・・・1年くらい経ってから数値が急に落ち始める人もいます」と先生。


・・・ええ、そうですね。
   まだ希望は捨てません。

なんとかこの治療法、続けますよ先生。
「食」に代わる幸せをまだ見つけられてない今、そして他の治療法もない今、ボクには他に選択肢がないんです。



でも。
それにしても。

6ヶ月、ギリギリの精神力で走り続けても、光がまったく見えてこないこの暗闇レース。

遙か遠くでもいいから、北極星みたいに小さな点でもいいから、せめて光を見たい。



診察室を出て、ふらふらと病院出口を出る。

思わず知らず、口から漏れる。



あぁ、助けて。負けそうだ。



たまたま「負けそうだ」という言葉を使ったせいか、ふと、こんな言葉をもらったことを思い出した。

一ヶ月くらい前だったかな。昔ニューヨークで一緒に仕事したKenji Arakiに「誕生日おめでとう」っていうメッセージを送ったのだけど、彼からこんなコメントが返ってきたんだ。


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佐藤さんは負けてはいけない。か。



・・・どうだろうな。
負けそうな気もするけどな。

でも、・・・確かにまだ、ノックダウンには早すぎる。




ちょっと、走ってこよう。




古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。