ワタクシ、節目節目で大災害に見舞われる人生を送っておりまして。
なんとなく「なんか人生の節目の年で大きな災害がある人生だなぁ」とは思っていた。
でも、あまりに大災害とシンクロするので、最近ではそれは確信に変わった。
ボクの人生の節目は、必ず大災害とともにある。
いや、ホント、そうなのだ。
入社、結婚(出産)、独立、そして創業。
この4つの大変化のすべての年に、最大級の災害が起こっている。
すべて「何かを始めた年」だ。
すべて「災害から始まっている」。
疫病神なのか?
まぁそうかもしれない。
もしくは、「何事もどん底から始まるいい人生」とも言える。
あとはよくなるしかないからね。
で、実際、わりとよくなってはいる。
いや、ホント。
しかも自分に関係のない「遠い世界で起こった大災害」ではない。
すべて「自分ごと」だ。
ちょっと順番に見てみよう。
●入社の年(1985年)・・・日航機事故
(株)電通に新入社員として入社した。
配属が関西支社クリエーティブ局。
研修が終わって現場に配属されて2ヶ月後の8月12日、いきなり日航ジャンボ機事故が御巣鷹山で起こってしまった。
しかも、配属された関西支社(大阪)から7人亡くなった方が出た。
配属されたクリエーティブ局から3人も亡くなった。ランチに何度もご一緒した先輩が2人もそこに含まれている。
いきなり「自分ごと」の災害だった。
あの夏はずっとお葬式だったな・・・。新入社員だから、暑い中、ずっと社葬の駐車場係をしていた。
あと、人生初の関西経験だったのだけど、この1985年に阪神タイガースが21年ぶりに優勝した。あの掛布・バース・岡田の三連発の年ですね。
あ、もちろんこれは災害ではないけどねw
東京生まれ東京育ちのボクは、いきなりあの街を挙げた熱狂に巻き込まれ、呆然と毎日を過ごした。上がり下がりの大きな一年だった。記憶鮮明。
●結婚・娘誕生の年(1995年)・・・阪神大震災
1994年の3月6日に結婚した。
当時、夙川(阪神間)に住んでいた。
サーティーワンアイスクリームがある横の、コンクリート打ちっぱなしの3階建マンションに住んでいた(わかる人にはわかる)。
そして、結婚から1年経たない1月17日、阪神大震災を真上で経験した。
妻はそのとき臨月だった。
ボクたちの命も、お腹の娘の命も、奇跡的に助かった。
臨月のお腹を守りつつ、必死に東京のボクの実家に避難し、その約1ヶ月半後、結婚記念日当日(3月6日)に東京で娘を授かった。
そして、3月6日の2週間後、まだ東京で避難生活を送っているときに、地下鉄サリン事件が起こる。
いやいや。
いやいやいや。
・・・すごい一年だった。
●独立した年(2011年)・・・東日本大震災
(株)電通を辞めて独立しよう、と決心したのは2010年の8月だった。
ちょうど50歳の年だった。
そのときはもう関西から東京に転勤して10年経っていた。
社と相談し、2011年3月31日を退職の日とした。
いろいろ本を出したりしてたこともあってかすんなり辞めることは許されず、退職のプレスリリースは3月16日と決められていた。「それまで退職は社内にも発表してはならぬ」と言われ、ずっと潜行して退職準備を進めていた。
で、プレスリリースの5日前、3月11日に、あの東日本大震災が起こる。
その夜から、ボクは怒濤の「災害支援生活」に入っていった。まったく想像もしない方向に人生が展開していった。
退職した年って「ご祝儀」的に仕事をもらえたりするものだ。でも、社会も世間もボクも、それどころじゃなくなった。
つまり、独立した途端、収入がなくなった。
独立は甘くなかった(まぁ不可抗力ではあったけど)。
でも、あの時、生活レベルを極端に下げ、後先考えずに災害支援・復興支援に動き回ったことが、いまのボクの「もうどこでもどうやっても生きていける」という自信と原動力になっている。
人生、何があるか、ホントわからない。
●創業した年(2020年)・・・コロナ禍
2011年の独立年にも、もちろん創業はしている。
(株)ツナグという会社を創業し、社員も2人もってしばらくは地道にやっていた。
2015年には(株)4thというコミュニティを中心とした会社も作って、これからはコミュニティ中心で生きていこう、と決めていた。
ところが、2018年2月に出した『ファンベース』という本に共感してくれた方が多く出て、そのうちのひとりが野村證券の人だった。
で。
いろいろあって。
2019年5月7日(令和元年の初営業日)、野村HDとアライドアーキテクツと佐藤尚之の三者合弁で、(株)ファンベースカンパニーを創業した。
個人的にそれなりに出資もしたので、不退転の覚悟である。
ボクは当時57歳。
この年で明日をも知れぬ新会社を創業するなんて冒険だな、節目だな、と思った。
・・・ん? 節目?
ってことは、大災害、起こっちゃう?
とか思って、ふざけた挨拶を最初の宴会でした記憶がある。
「・・・このように、ボク、節目節目で災害が起こる体質なので、みなさん、今年一年はくれぐれもご注意を〜!」
・・・いやぁ、シャレにならなかった。
創業から1年以内の今年春、そう、全世界的な新型コロナ災害が起こったのである。
いきなり新会社は大不況のまっただ中に放り込まれることとなった。
いや、ほんとすごい宿命だw
くり返すけど、
すべて「何かを始めた年」だ。
すべて「災害から始まっている」。
うん、「何事もどん底から始まるいい人生」ってことだ。
あとはよくなるしかないし、実際個人的にはよくなったと思う。
え?
ボクの次の節目はいつだって?
・・・そうだよね、気になるよね。
ま、次の「何かを始める節目」は、あの世を始める日かな。
すまん、その後でどんな大災害が起ころうが、知ったこっちゃないw
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