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音楽とコーヒーと人が大好きだった

人生の春休みのような貴重な時間。
いまの私の気持ちをアウトプットしたいと思います。
だいぶ、プライベートな内容になってしまうので、落ち着いたらカギ(有料化)をかけようと思います。

プライベート記事有料化、あまり読んで欲しくない記事有料化のアイディアは、同じうちなーんちゅのnoterさんのアイディアなのですが、ナイスだなーと思って使わせていただきます😊

自分の心の整理、個人的なアウトプットの投稿になってしまいますが、ご了承ください。

この1年間、朝のBGM(主に旦那チョイスの洋楽系)とコーヒーが必要不可欠でした。
そして、仕事の合間のランチタイム、休憩時間にも、コーヒーを飲んでいました。

若い頃は、ヒップホップや洋楽が好きでしたが、最近はヨルシカにはまり、歌詞や音の優しさに心を癒されていました。

いま、不思議と、コーヒーを飲みたい、音楽を聞きたいという衝動がありません。
今でも、もちろん好きですが、「無くても大丈夫かもしれない」という思いです。

仕事をしてた頃には、日常生活を送る上で、欠かせないものがたくさんありました。
1人きりの時間。コーヒー。音楽。甘いもの。海。

悲しみに落ちそうな時、動けない時、それらのものに、随分と助けられました。

この5年間、いろいろな事がありました。

母親のガンが発覚したのが、ちょうど5年前。
手術できるかできないかのギリギリのステージで、ガンの出来た臓器も、5年生存率はかなり悪いとされている部位でした。

うちはガン家系で、父方の祖父、叔母。母方の祖母、叔父さん2人はガンで亡くなっています。
ガンという病気は少しづつ進行していきます。
経過や痛みも人それぞれで、長い時間かけての人もいれば、あっという間に亡くなる人も。
もちろん、治る人もいると思います。

「ガン」というラベリングもおかしな話だとは思うのですが、私は、ガンという病気を恐れています。

元気だった人たちが、少しづつ痩せていき、元気だった頃のイメージからどんどんかけ離れていく。そして、手術、治療をして頑張って治すんだ、という希望、努力を吹き消すように、いつかは訪れる死の瞬間。

「死」とは、「病気」とは、誰にでも平等に訪れる。避けては通れない。

頭ではわかっているはずなのに、何度、喪失体験を経験しても、悲しいものは悲しい。

母親は5年間闘病しています。
その間、良くなったり悪くなったり、治るという希望を抱いたり、打ちのめされたり。

この5年間で、私もいろいろな経験をしました。3人目の妊娠、出産、半年の育休を経て、仕事復帰。
母も戦うことをやめない、生きる希望を持ち続けているのだから、私も、自分の人生を生きようと必死でした。

幸いなことに、子育てに職場が理解のある人が多くて、こどもの発熱、学校行事などで、仕事を休み時にも、サポートしてくれる体制が整っていました。そして、育児で悩んでる時、母のことで悲しい時にも、気持ちを和らげてくれる仲間もいました。

私は、あまり弱音を吐けない性格なので、全てを話すことはしませんが、それでも周りの人の優しさに心を癒されていました。

母は強い人でしたが、私はそんなに強くはない。それが昔からのコンプレックスでした。

そんな私に、働くスキルを教えてくれ、労働の喜びを教えてくれた職場を、私は大切に思っています。

音楽にも、コーヒーにも、人にも、家族にも支えられて生きてきた5年間だったと思います。

10代、20代といろいろな経験を経て、昔のメンタルよりはだいぶ強くはなりました。
過呼吸を経験したこともありますが、その対処法もわかるので、いまは、少しぐらい落ちたぐらいでは、完全には病めないのです。

自分のメンタルが、落ちても上がるということも知っているし、
過呼吸の恐怖の中でも、過呼吸ぐらいでは死なないし、死ねない。ということも経験しています。

そういう経験を経て、どんなに辛くてもコントロール出来るという自信がありました。

こんなに辛いことは二度とないという体験をしても、今、生きてるから。

でも、去年、母親の癌が再発して、抗がん剤の副作用で苦しむ親を見るたびに、とてつもない悲しみが押し寄せてきて、コントロール出来ると思っていた何かが、少しづつ壊れてきました。
今までの経験上、「悲しい出来事にあっても、落ち込んでいてもなんとかなる」という想いがぐらぐら揺らいできました。

そして、自分ではコントロール出来ないことがあるんだ、とわかりました。

「無為自然」という言葉、意味がわかるようでわかってなかったこと。

いろいろな本を読んでも、考え方に触れても、真に私の心に響かなかった言葉たち。

少しづつ、沁みてきます。

そして、今、自分と向き合う時間の中で、あんなに悲しかった母の病気と、死への恐怖心が少し和らいでいるのを感じます。

この1年間、本当にしんどかったのですが、きっと、自分が「本当に居たい場所に居ない」という苦しみだったのかな、と思います。

「本当に居たい場所」は、「がむしゃらに自分の人生を頑張る場所」ではなくて

ただ、傷ついている自分を癒してくれる家族の側。そして、死へと向かう母の側でした。

過去、居心地の良かった職場、助けてくれた人、コーヒー、音楽。全てのことに感謝します。

これから、また、いろいろな感情に向き合わさせるかもしれませんが、いま、穏やかな気持ちでいられること、自分を癒す時間があることに、ありがたさを感じます。

新しい価値観を教えてくれるnote、アウトプット出来るnote。note上のつながりも心の支えになっています。

いつも、ありがとうございます😊

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この前の休日、長男とデートして、スタバに行きました。息子はピカチュウのドーナツに夢中♡

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