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同席対面五百生

ずいぶん昔にやっていた「オーラの泉」で、
その時のゲストだった須藤元気さんが
"同席対面五百生" てな事言っていたなー、と調べてみたら、
信濃国 長谷寺のブログ「住職日記」に書いてあった。
ので、一部抜粋。

「同席対面五百生」

これは、たまたま偶然にバスで隣り合ったり、たまたま喫茶店の向かいの席に座った見知らぬ人であっても、そのように同席したり対面したりする人というのは、これまで繰り返されてきた前の世で、五〇〇回は一緒に生きた人である、という意味です。「袖の振り合わせも五百生の機縁」とも言いますが、袖を振り合わせてすれ違うだけのような人であっても、目には見えない、深い深い縁があるということなのですね。

身近な人ほど、些細なことで喧嘩になってしまったり、すれ違ったりしてしまうものですが、前の世、その前の世、もっともっとはるか遠い世からの深いえにしが、自分と身近な人との間にはあるのだと考えてみると、(本当に前世があるかないかの議論はさておいて)、ムカツク親、うざい伴侶も、少し違った意味を持った相手として感じられてまいります。私の遠い遠い過去から遠い遠い未来に続く魂の旅の同伴者なのだと思うと、相手も、また私も、お互いにお互いのために何らかの大切な意味を持っている(のかも知れません)。

 
確かに、親や兄弟姉妹や、友人、仕事の関係者などなどがいて、
特に気が合う人や逆に全く合わない人とかも
なにかしらの縁はあるんだろうなぁ、とは思っているけれど、

TVで最初に聞いた時には、
500回も転生したのか?
しかもずっと同じメンバーで?
と思ってしまった。

ただすれ違ったり、同席だったり、隣り合ったり、となると
ものすごい数の人なんだろうけど、
けど、ずっと同んなじ人じゃちょっと狭かないかい?
縁ある人たちの中に新しい人は入ってくるのか?
入ってくるなら、逆に縁がなくなっていく人もいるのか?
入れ替わるのか? それともどんどん増えるのか?
深い縁にはどうやってなってくのか?
縁は薄くなって切れるのか? それともスッと消えるのか?
てか、そもそも人類みな(兄弟)縁ある人なのか?
とぐるぐる妄想が始まってしまった。


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そういえば、
「リトル・ブッダ」の冒頭で、人は人間以外の虫やら動物やらで500回生まれ変わると次は人間になれる、という内容の紙芝居みたいな事から始まったような・・・。
500回・・・。
一緒に虫やら動物だったのか。←たぶん違う。


随分昔に観たからうろ覚えだけど、合ってるかなぁ?
結構良かった記憶があるから、
また久しぶりに観たくなっちゃった。
確かめたいし。



あ、そんな事を言っていた訳じゃない。

縁だよ、縁。
大切にしましょう、だ。

私みたいな浅はかなアホな考えではなく、
とても深い意味なのですよ。これは。



かなり違う方向へ行きましたが、
最近人との縁についてちょっと考えていたので(現在進行中)
こんな事らを思い出しました。


訳わかんない文に最後までお付き合いいただき、有難うございます。


詳しく深いお話しはこちら
長谷寺住職さんのブログでお口直し? をどうぞ。




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