当事者と非当事者の狭間にある"共感"という溝と"理解"という架け橋

先日、こんなツイートをした。

これはとあるイベントで出会った人に言われたことなのだけれども。やはり非当事者にはわからない苦労があると改めて実感した。

この発言は僕を否定しないように言ってくれてることなんだろうことは容易に想像できる。だけれども、少し心の中がモヤっとした。

高校を中退して「中卒」という学歴で生きてきたけど、大変なことに変わりはない。僕はまだ"若いから"という理由で、スキルがなくても生きていけている。多くの大人にお世話になりながら、スキルを上げていける。

もし、数年後に自分のスキルが他の人と比べて劣っていると...こんなことを考えるだけで頭が働かない。不安で押しつぶされそうになる。

学歴がないということは、それ以外の部分で価値を出さないといけないということだ。学歴は一つのポートフォリオである。それが僕で言えば、ライティングなどのウェブメディアに関すること。

現状、僕のスキルはまだまだ。しかし"若いから"学びながらお金をもらえていると思っている。歳をとると、やはりそうなるのは難しい。成長コストがかかるし、同年代で他のスキルがある人を採用した方が企業にとって(利益的な意味などで)都合がいいから。

中退して社会に早く出た分、早めにスキルを身につけないと後々生きていくのは難しくなる。独立する場合は、新卒で会社に所属して、スキルを身につけつつお金をもらう。もしくは、大学生のうちから人脈やスキルを身につけつつ、新卒の時には安定した稼ぎがある状態にしておくのが一番だと思う。まっさらな状態で社会に飛び出しても案外きついと実感している(笑)

それに社会に出ると損得で会う人が少なくなる。学校は良くも悪くもランダムガチャだ。自分が入学した年度に、どんな人が入ってくるのかわからない。一生の友達が見つかるなんてよくいうけど、それはきっと"損得勘定がない出会い"をしているからと今になって思う。仕事の出会いだとどうしても仕事が絡んできてしまって、新しい人間関係の構築が難しくなる(少なくとも僕は)

しかも、早めに社会に出ると全くと言っていいほど同年代と絡まなくなる。話すトピックが全く違うから、一緒にいても微妙なのだ。今同年代で絡んでいるのは(仕事場含めて)両手で数えられるくらい。仕事場を除くと片手で数えられるくらいに減っている。これは僕が好きじゃない人としか絡まないことも関係していると思うが(笑)


・・・と、いろんな苦労をいろいろ書いてみたけど、こんなのは非当事者の方にはぶっちゃけわからないんだろうと思う。「わかっている」と思ってる人はきっと「わかったつもり」なのだ。

当事者と非当事者の間にはどうしても埋まらない「共感」という名の溝がある。理解はされるけど、共感はされない。だから苦労はわからないから「中卒でいいよ」なんて安易な言葉が出てくるんだろうと思う。

もちろん、中には本当に共感しようとしてくれている人はいる。そういう人は大概わかる。あと「学歴なんて関係なくてその人がどんな人か」とみている人もわかる。こういう人たちの反応は大概「へえ〜」だ(笑)


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「非当事者には当事者にはわからない苦労がある」なんて書いたけど、僕にも非当事者性の側面はある。例えば、セクシュアリティ。僕は異性愛者だから恋愛の話をするときはマジョリティ側だ。同性愛者などのマイノリティ側の人のことは共感できない。

だけど、自分の経験と結びつけて共感しようとすることができるし、理解することもできる。おそらく、当事者と非当事者の間の架け橋になってくれるのが理解という技術なのだと思う。

安易な共感は時に相手を不快にさせることがある。けれども、理解しようとすることは誰にだってできるはずだ。精神的に余裕がなかったりして、難しい場合もあるだろうけど。

ずっと「共感されない」と絶望して半ば諦めながら生きてきたけど、理解という架け橋があることを知って、少しだけ希望が持つことができた。



お寿司が食べたいです