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日記 2021年4月 「弱点は思いようによっては美点だ」としても、弱点は弱点だよ。

 4月某日

 機種変更をした。
 携帯ショップを出たら、どしゃぶりの雨だった。
 近くの日常雑貨でフタ付きゴミ箱(結構大きい)を買う予定だったのだけれど、今度にするか悩む。

 フタ付きゴミ箱の魅力に負けて、折りたたみ傘で雑貨店へ。
 外へ出る頃には雨は止んでいた。
 右にフタ付きゴミ箱、左に携帯ショップの紙袋という出で立ちで電車に乗る。
 ちょっと恥ずかしい。

 部屋に戻って、携帯のデータ移行をおこなう。
 思ったより簡単にできて、拍子抜けした。
 今のスマホはこんなに簡単になったんだなぁ。

 4月某日

 noteで書いた最も古い日記は2020年4月5日だった。
 その日記は、職場の同じフロアで「新型コロナウィルスの陽性が出た」と職場の同期のLINEグループで知り、大事をとって翌日は休むと決めた、という内容だった。

 ちなみに、コロナウィルスが最初に報道されたのは2019年12月31日13時41分で、「中国湖北省武漢市で検出された病因不明の肺炎(原因不明)の事例についてWHO中国事務所に通知さ」たとのこと。
 その後、2020年1月16日に日本でも「30代男性から同ウイルスが検出された」と公表された。

 2020年は新型コロナウィルスと共に始まったと言える。
 もし仮に、と言っても仕方がないけれど、新型コロナウィルスがなく今日までの世界線があったとするなら、僕は間違いなく日記を書いていない。
 日記を書いていない僕がどのような体験をし、どんな考え方をしているか分からない。ただ、今の僕とは違った人間になっていることは確かな気がする。

 今の僕は新型コロナウィルスによる影響を強く受けている。その影響を今更なかったことにはできない。

 ちなみに、僕が住んでいるのは大阪で感染者数が日本で一番多い時が続いていたので、なんとなく、ネットニュースで流れをコピペしてみた。

 13日、府内で新たに1099人が新型コロナウイルスに感染したことが確認されたと発表しました。大阪府内で1日に確認された感染者が1000人を超えるのは初めてで、今月10日の991人を上回って、過去最多です。
 14日、新たに1130人 これで大阪府内の感染者は合わせて6万3174人になりました。また7人の死亡が確認され、府内で亡くなった人は1234人になりました。
 15日、新型コロナウイルスの新規感染者を1208人確認したと発表した。3日連続で1000人を超え、過去最多
 16日、新型コロナウイルスの新規感染者を1209人確認したと発表した。4日連続で1000人を超え、過去最多を更新
 17日、新たに1161人の新型コロナウイルス感染が確認されました。1日の感染者数としては、過去3番目の多さで、5日連続で1000人を上回る状況となっています。
 18日、府内で新たに1220人が新型コロナウイルスに感染したことが確認されたと発表しました。1日の感染者数としては16日の1209人を上回ってこれまでで最も多く、6日連続で1000人を超えました。
 19日、新型コロナウイルスの新規感染者を719人確認したと発表した。1000人を下回るのは12日以来、7日ぶり。19日時点での重症者は前日から16人増の302人となった
 20日、府内で新たに1153人が新型コロナウイルスに感染したことが確認されたと発表しました。火曜日に発表された感染者数としては、これまでで最も多くなりました。
 21日、府内で新たに1242人が新型コロナウイルスに感染したことが確認されたと発表しました。1日当たりの感染者数としては今月18日の1219人を上回り過去最多です。1日の感染者数が1000人を超えるのは8回目です。
 政府は21日、新型コロナウイルスの感染再拡大を受けて東京都、大阪府、京都府、兵庫県に対し、特別措置法に基づく緊急事態宣言を出す方針を固めた。

 なかなか修羅な場所に住んでいるな、と思う。
 と同時に考えるのは東浩紀のツイッターの呟きだった。

 なんどもいっていますが、感染防止だけを目的にするならば、市民全員2週間ぐらい外出禁止にして、食事も配給制かなんかにするのがいちばんです。なぜそれをぼくたちの社会は選ばないのか、と考える必要がある。その問いがないひとは、どれだけ専門知があろうが端的に歴史に無知であり危険です。

 コロナ前に「ぼくたちの社会」という言葉を見ても、とくに何も感じなかったし、そこに僕がいるという感覚は漠然としたものだった。
 けれど、コロナの渦中である今「ぼくたちの社会」という言葉は異様な存在感を持って、僕の傍にある。どんなに顔を逸らしても、「それ」は必ず視界に入ってきて、無視することを許さない。

 僕は「ぼくたちの社会」がなぜ、今このような形をとり、なぜコロナに対してこのような対応になるのか、を考え続けている。

 4月某日

 30代について色々考えていると、「「やれ、と言われたことだけやるリスク」は誰も教えてくれない。【改稿版】」というネット記事を見つける。

「やること」がひたすら上から降ってきた20代に比べて、30代って「自分がやっていること」と「自分に出来ること」と「自分が出来るようになりたいこと」がハッキリ見えてくる時期なんですよね。
 
 そこから目をそらさずに働いてないと、周囲とものすごく差ができちゃう残酷な時期だとも思うのです。

 なるほどなぁ、と思う。
 働いている僕は「「やること」がひたすら上から降って」くる職場にいて、最近新しい部署へ行くことになった。
 仕事内容的には今よりも、おそらく暇になるので小説に関して考える時間は増えそうな気もする。

 noteがどうとかは分からないけれど、この文章を書くということを仕事にする方法とかを、そろそろ考える時期なのかなと思う。ただ、どうすれば良いのかはまったく分からない。

 自分でも不思議な位置にいるなぁ、と思いつつあるのが、少し前からTikTokをはじめる友人の原稿を読んだりしている。自分とはまったく別のジャンルの原稿とか発想に触れる機会は面白いし、有難い。
 ただ、TikTokのバズる動画を僕が作れるとはまったく思わない。

 4月某日

 小林秀雄の「直感を磨くもの」という本を何気なくて手にとった。最後まで読めずに、いつだったかに放り出してしまった本だった。

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 なんとなく、ペラペラめくっていて小林秀雄の以下のような言葉にぶつかる。

 日本人は非常に反省好きな国民ですねえ。これは日本人の特色だと思う。
 中略
 日本人の美点とか弱点とか言っても、弱点というものは、思いようによってはみな美点です。美点に変わり得ない弱点はないでしょう。われわれとしては、持って生まれた気の毒なほどの鋭敏性を忍耐強く育てるより他はないように思います。

 ツッコミどころしかないなぁ。
 補足としては「直感を磨くもの」という本は小林秀雄の対談を収めていて、引用部分は湯川秀樹とのもので、タイトルは「人間の進歩について」で、収録された年は1948年8月『新潮』に掲載されたものだった。

 ちょうど、写真家・幡野広志が連載していた人生相談「幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう」について考えていたので、小林秀雄の言う「反省好き」とか「日本人の美点とか弱点とか言っても、弱点というものは、思いようによってはみな美点」が結局、一番やばいんだな、と思う。

 反省するのは好きだけど、弱点は思いようによっては美点だから良いよね☆
 とか考えていたら、そりゃあ何も変わらない。
 だって、反省するだけで、改善しないんだから。

 いや、幡野広志が「弱点は思いようによっては美点だ」と思っている訳ではないだろうけれど、一回目の炎上の際にわざわざ専門家を読んで勉強会のような鼎談?を記事にしてアップした後の、今回の炎上は普通に「反省好き」=反省した格好するのが好きな人で、自分を鑑みたり、考えや態度を変えたくない人なんだなぁと思うしかない。

 ちなみに小林秀雄の書く「持って生まれた気の毒なほどの鋭敏性」だけれど、鋭敏を調べると以下のように出てきた。

 感覚がするどいこと。敏感。
 「―な神経」
 才知がするどく、さといこと。明敏。

 そういう鋭敏性を持った人が報われる社会になれば良いなぁと思う。

 4月某日

 緊急事態宣言の期間に入る前に、昔から小説とかエッセイを読んでくれている(また、個人的に編集者だと思っている)友人を誘って散歩へ行った。
 なんとなく、職場以外の人と喋る時間が欲しかった。

 散歩に誘った際に、カメラを持っていきます、と言っていた。写真を撮るのが趣味だとも言っていたので、とくに気にしていなかったけれど、集合してから「今日は、郷倉四季(カクヨムの名前)先生のアー写を撮ろうと思います」と笑顔で言われる。
 アー写。
 アーティスト写真?
「小説家もアーティストですもんね」

 なるほど。
 僕は小説家志望だけれど。
 そういう写真があるのは、面白いのかも知れないと思う。
 恥ずかしいけれど。

 そして、実際に恥ずかしかった。
 他人にこんなにカメラを向けられたのは初めてで、ずっと緊張していた。

 写真を撮ってくれる友人は、ずっと楽しそうだった。
 カメラマンって相手を乗せるのが上手いって言うけど、その楽しそうな空気に途中から乗せられて、最後の方は撮られることが気にならなくなった。
 人はどんな環境でも慣れる生き物なんだな、と改めて納得した。

 散歩自体も楽しかったし、久しぶりに職場とは関係のない他人に会って、一息つけた気がした。小説に関する相談も幾つかして、これからの方針を決められた。
 本当にいつも有難い。

 翌日、撮られた写真が送られてきた。
 アー写だと言われて撮られた写真だし、ただ持っているだけは違う気がした。
 それから、うんうん唸って羞恥心なんかと戦った後に、noteのプロフィール(アイコン?)写真なんて誰も見ないか、と自分に言い聞かせて設定した。

 実は昔、ライターのお茶会に参加した際、プロフィール(アイコン?)写真は、自分の顔をちゃんと載せておく方が良いと言われていた。
 それが今になって、達成できたので(マスクしてるけど)、ちょっと誇らしい。

 写真を撮ってくれた友人に心から感謝したい。

 4月某日

 最近、気づいたこと。
新米姉妹のふたりごはん」のドラマが面白い。

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 あらすじとしては以下になる。

 親の再婚により、突然姉妹となったサチ(山田杏奈)とあやり(大友花恋)。両親はすぐに仕事で海外に発ってしまい、ふたりで生活することに。

 他人同士だった二人が姉妹として関係を深めていくきっかけに、必ず料理が絡んでくる。この辺は「きのう何食べた?」っぽい。
 個人的に姉妹二人が生活する家が広くて、豪華すぎる点に庇護された楽園っぽいものを感じた。部屋や家具、皿の数々まで常に綺麗で、二人の関係を深める為に高い食材や一回しか使わないだろう調理器具がぽんぽん出てくる。
 理想の生活をまるごとを詰め込んだような感じで、料理中の映像なんかは魅せる為の演出の数々で、このドラマを参考にすれば料理系のユーチューバ―の閲覧数が上がるんじゃないか、って思うくらい計算されていた。

 って、書くと本当に面白いの? と思われるかも知れないけれど、何人たりとも邪魔できない聖域なんてドラマくらいでしか味わえないのだから、存分に味わっておきましょうよ、皆さん! という気持ちでオススメしたい。

 最近、気づいたこと。
 文學界のリレーエッセイ「私の身体を生きる」の第三回目にあたる今回は藤野可織だった。

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 タイトルは「「妊娠」と過ごした7年」だった。
 結婚してから、「子どもを産むのか、産むとしたらいつなのかという問題」を抱えて、藤野可織らしい冷めた視点(これがすごく良い)で、「妊娠」について考え続ける。
 そして、結論も藤野可織らしいものだった。「妊娠は私には合わなかった」と書いた上で、ここまで前向きな終わり方を見せられるって、藤野可織しかいないんじゃないだろうか。
 今のところ「私の身体を生きる」のリレーエッセイは外れがない。というか、本当に全部、僕がこの先を生きる上で知らずにいてはいけなかったことが書いてある。

 最近、気づいたこと。
コントが始まる」の二話が最高に良かった。

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 菅田将暉のラジオに仲野太賀と神木隆之介がゲストで登場した際、「コントが始まる」の見どころを聞かれた仲野太賀が「コントです!」と堂々と言っていて、リスナーになに当たり前のことを、といじられていた。
 けれど、「コントが始まる」の見どころは確かにコントで、ほとんどファンのいないトリオのお笑い芸人の彼らがやるコントにこそ、彼らの日常や本音、人生そのものが紛れ込んでいる。
 とても繊細に、またテクニカルにそれらを描いているから、見逃しそうになるけれど、「コントが始まる」は恐ろしいくらいの計算されたドラマだと思う。

サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。