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日記 2021年1月 「明日が無いみたいに生きるの」でも、そばにいる。

 1月某日

 友人が結婚したとLINEグループで報告してきた。
 彼は46歳くらいなのだけれど、常に同じ目線で接してくれるので、僕からすると頼れる兄貴みたいなところがあった。

 結婚された方と友人はお付き合いをして、十年を超えていた。三年くらい前から彼女の親に挨拶へ行くのだ、と言いながら、タイミングが合わなかったり、彼女さんから「気持ちの整理がついていない」と言われたりしていた。
 個人的に友人はその彼女とは結婚しないんじゃないかな、と思っていた。

 潮目が変わったのはコロナウィルスの流行だった。
 友人もその彼女さんも実家に住んでいて、二人とも都心部が職場だった為、感染の心配があり、家を出た方が良いだろう、となったらしい。
 去年の十一月に同棲をはじめ、今回めでたく結婚となった。

 コロナウィルスがなくても彼らは結婚しただろうけれど、こんなにもスムーズではなかったんじゃないかな、と思う。
 なんにしても、とてもめでたい。ただ、友人とは一時期毎日のように酒を飲んだり、深夜に電話したりしていたので、それがもうできなくなるのが少し寂しい。

 コロナウィルスによる緊急事態宣言によって、日常は停止したような印象を持つけれど、時間は刻一刻と進み、人によっては人生のターニングポイントを迎えている。
 僕は一人置いていかれているような気持ちになりかけて、違うと思う。人それぞれの時間の進み方があるし、誰かの幸せは祝福するにせよ、それによって疎外感を覚えるのはお門違いだ、と思い直す。

 それに結婚した友人との適切な関わり方だってある。
 ひとまず、僕は彼に結婚祝いを贈る約束をしているので、最近はネットで「結婚祝い プレゼント」で検索をかけている。

 キッチン用品とかは、好みもあるだろうしなぁと躊躇があって、無難にタオルかな? と思っている。もしくは、お箸とかの複数持っていても困らないもの?
 現在、迷走中。

 1月某日

 最近、飲みに行かなくなり、家でもお酒をあまり飲まなくなった。単純にお酒を飲まない方がエッセイや小説の効率性が良い、という当たり前のことに気がついた。

 そんな訳で、ちょっと健康志向に傾くのも良いんじゃないか? ともう一人の僕が囁きだしたので、筋トレをはじめた。
 テレビでYouTubeが見られるので、検索に出てきた初心者向けの筋トレ動画を見ながら、数十分ほど筋トレをしている。

 筋トレをしている、と職場の後輩の男の子と同期の女の子に話したところ、「三日でしなくなりますね(by後輩の男の子)」「一週間かな(by同期の女の子)」と言われた。
 ひとまず、一週間は超えた(ざまあみろ)。

 せっかくなので今年一年は筋トレをしようと思っている。
 この一年をどのような年にしたいか、と考えるのは一月だけな気がする。
 なので、今しつこく2021年について考え続けておきたい。

 夕食を終えて、バカリズムの番組を見ようとした時に、スマホの画面が変わった。ディスプレイには倉木さとしの名前が表示されていた。

「もしもし」
「明けましておめでとう」

 という感じで、倉木さんと半年ぶりくらいに喋った。
 倉木さんはカクヨムで一緒に作品を掲載しているのだけれど、仕事やプライベートの色々でここ数ヶ月はとくに忙しそうだった。
 久しぶりに倉木さんの声を聞いて、少し安心した。
 何に安心しているのか分からないけれど、安心した。

 1月某日

 彩瀬まるの「朝が来るまでそばにいる」を読む。
 最後の奥付に「この作品は平成二十八年九月新潮社より刊行された」とある。
 それだけ? と思う。

朝が来るまでそばにいる」は短編集なので、雑誌掲載されたものがまとめられたものなんだと、勝手に思っていた。
 しかし、そのような記載はない。

 インターネットで調べてみると、住野よるの書評があって、そこに「本作には彩瀬さんが数年にわたって執筆された短編が六話収録されている。」とある。

 つまり、執筆依頼があって書かれた訳でもないようだ。
 それにしては、問題定義に一貫性があるような気がしてしまう。一冊の本にする際に加筆や変更点があったのだろうけれど、おそらく「朝が来るまでそばにいる」に書かれていることは、彩瀬まるが数年の月日くらいでは揺るがないテーマが込められているんだろう。

 なんとなく、そんな気がする。
 ちなみに、目次は以下になる。

 君の心臓をいだくまで
 ゆびのいと
 眼が開くとき
 よるのふち
 明滅
 かいぶつの名前

 ここでまず、気づくのがタイトルになっている「朝が来るまでそばにいる」という短編がない、ということだった。
 なので、「朝が来るまでそばにいる」というタイトルは目次に並べられた6つの宝玉のような短編をまとめる為の言葉だと考えた方がしっくりくる。

 そして、実際に「朝が来るまでそばにいる」に共通するのは、「そばにいる」ということで、この傍にいるのは人間じゃなく、ほとんど異界の存在で、死んだ奥さんだったり、喋る鳥だったり、トイレに潜む幽霊だったりする。

 そんな中で「明滅」だけは異界な存在が登場しない。
 ただし、視点人物の今村は昔、増水した川に落ちてた過去があり、それを妻に以下のように語る。

「俺の生死とか手足が残っているかとかが、こんなにどうでもよく扱われる瞬間があるなんて知らなかった。死ぬことより遠ざかる方が怖かった」

 今村の傍にいるのは、この川に流され「真っ暗。五感をすべて、剥ぎ取られたあとみたいな」「救いようのない場所に連れて行かれ」ることの恐れだった。

 そんな今村の話を聞いただけの妻は彼の恐れを理解できない。
 しかし、大雨の日、地盤がゆるんで自主避難者が出るような日、更に巨大地震が起こると予言された前日の夜、妻である絵里子は怖い夢を見る。
 それが、かつて今村が連れて行かれた救いようのない場所だった、と絵里子は語る。

 そして、「もしも、あなたの中に出来てしまった、真っ暗な、なんの救いもない場所に連れて行かれたら、私なら何をしているだろうってずっと考えていたんだけど」と語る。

 それは以下のようなものだった。

「私は、あなたの名前を呼ぶと思う」
 中略
「あなたの名前を呼べば、私は昨日のことや今日のこと、大事にされたことを思い出せる。どれだけ遠くても、暗くても、受け止めきれない暴力に晒されて、多くの物事に裏切られた気分になっていても、悲しいだけじゃなくなるから。呼んで、唱えて、会えて嬉しかったなあって繰り返しながら、私という存在の認識が終わるまで、暗闇の底で光って遊ぶ。それをこの世のどんなものにも侵させない」

 改めて本編を読んでみても、どこにも今村の下の名前は記載されていない。まるで、今村の名前は絵里子だけが呼ぶことを許されているみたいだ。

 そう考えると「明滅」はとんでもなく優れた恋愛小説のような気がしてくる。

 1月某日
 最近、気づいたこと。
 オーストラリア出身のシンガーソングライターSIA(シーア)の「chandelier」って曲のMVがめちゃくちゃ怖い。
 なに、あのダンス。
 ダンスっていうか、何かから逃れようとしているような、ただただがむしゃら、というか。
 歌詞の和訳を読むと、「シャンデリアからぶら下がるの シャンデリアからね」「明日が無いみたいに生きるの 明日が無いみたいにね」と歌っていて、あの踊っている女性は哀しみそのものみたいにも見えてくる。
 けど、とは言え映像の撮り方がホラーすぎません? ってなる。夢に出たら一番怖いタイプの映像。

 最近、気づいたこと。
 アニメの「ホリミヤ」を見る。
 少女漫画っぽい空気感で、お互いの秘密を知ってしまった男女の日常が描かれる。


 を見る限り、むちゃくちゃシリアスな青春群像劇っぽいけど、中身はすごくゆるい日常ものという感じ。
 個人的になんかすごく好き。

 最近、気づいたこと。
 文學界2月号に掲載されている小山田浩子の「はね」を読む。
 高校生の男の子が従兄の奥さんに土曜日だけ勉強を教えてもらう、という話。場所は従兄の家で、そこにヤゴが飼われていて、「そうだねえ。まあ、ペットもなにも、人間が動物にすることっていうのは全部残酷だね」という奥さん。
 そんな奥さんはヤゴを丁寧に育てて、ヤゴが羽化してトンボになる瞬間を二人で眺める、という話。
 本当にそれだけなのに、「人間が動物にすることっていうのは全部残酷」と言う通り、ラストは少し背筋が寒くなるような人間の残酷さが描かれる。

 最近、気づいたこと。
「好きな女性有名人で言うと誰?」
 と尋ねられる度に、深津絵里と答えてきているんだけれど、なぜか納得してもらえない場合がある。
 あるいは、そういうんじゃないって顔をされることもある。
 何か違うらしい(よく分からない)。
 ということで、他に「好きな女性有名人」で言うと誰だろう? と考え、佐藤栞里かなと思う。
 同い年だし、オードリーのファンだし。
 今後は佐藤栞里と答えようと思う。

 1月某日

 雨が降っていた。
 しばらくは雨らしい。
 冷蔵庫の中には三日くらいなら外へ出なくても良い食材は入っている。休日だったので、一日なにもせずに過ごす。

 糸電話に向かって、どうでもいいことを喋りたい。
 もしもし、もしもーし。

 どうでも良いことってなんだろう。
 もしもしって、かいわれ大根に似ているかな。もやしよりは近い気がする。
 高校生の頃にアルバイトしていた和風レストランで、夏の冷やしうどんのトッピングにかいわれ大根は使っていた気がする。

 今でも僕はその和風レストランに行くと少し緊張する(いろいろ思い出すから)。
 広島で水車のあるレストランなんだけれど、大阪に来て、そんなレストランは中々ないことに気が付いた。
 というか、水車って日本中探してもあまり見かけない。

 かいわれ大根は近所のスーパーに売っているんだろうか。
 シソを買いたくて、少し前にスーパーに行ったらなかった。
 探し方が悪かったのかな?
 今度はかいわれ大根を探してみよう。

サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。