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インタビュアー気質の私が聞いてしまった、人は自分の命の期限を感じた時、どんな心境になるのか聞いてもーた


このnoteは夫と母の命と向き合った私が、身近な人の命の時間と死の瞬間に触れてわかったこと、感じたこと、思うこと、そして実践していることを書いていきます。日々流れてしまう日常で「自分の命、抱きしめてるぅ〜!」を忘れないように徒然に綴るノートです。
今日は初回note記事アンケートで2番目にリクエストの多かった内容です


この記事の写真は2016年に鳥取に旅した時のものです
2016年は、熊本の震災や、北海道の豪雨と台風でも全国に大きな爪痕を残しました。たまたま実家でこれらのニュースを見たときに、なぜだか「壊れる」という言葉が頭の中をよぎっていました。


今日はこんな流れで書いてみます。
1、明日死ぬように生き、永遠に生きるように学びなさい
2、母との鳥取旅行の思い出
3、亡き母の言葉
4、「いい人生だった」と言える生き方
5、亡き夫の言葉
6、「記録ではなく記憶に残る生き方」っていうけど、本当はどうなん?


1、明日死ぬように生き、永遠に生きるように学びなさい

ガンジーの名言から・・・。
「明日死ぬように生きなさい、永遠に生きるように学びなさい」
(ガンジー )
私はこの言葉が大好きです。雨が止んだら行こう、少し時間に余裕がでたらやろう、コロナが収まったら始めよう・・・。
 うん、今私たちは生きているし、今も自分の人生の時間を使っている。さてはて・・・何に時間とエネルギーをかけましょうかね。
 

 亡き夫はよく言っていました。
「形あるものはいつかなくなる」
「形あるものはいつか無くなる。だけど自分の中に蓄えた知識や体験、経験はずっと自分の中に残る」・・・と。


2、母との鳥取旅行の思い出 

 この記事の写真は2016年に鳥取に旅した時のものです
2016年は、熊本の震災や、北海道の豪雨と台風でも全国に大きな爪痕を残しました。たまたま実家でこれらのニュースを見たときに、なぜだか「壊れる」という言葉が頭の中をよぎっていました。

 ニュースを見たとき、私はなぜだか夫の言葉を思い出しました。
その場で、両親に「旅行に行こう」と話し、足が悪く高齢の両親を連れて鳥取旅行に行くことにしたのです。長男の学校と仕事のスケジュールをなんとか合わせて4人で決行したその日、鳥取砂丘は嵐のような天気でした。

 春の穏やかな陽ざしが溢れて温かな時間を過ごす予定が・・・。
私は翌日の着替えに持ってきたカーディガンも、予備で入れたコートも持っているだけで荷物になるはずのマフラーも総動員しても、まだ寒い!というまさかの悪天候の中で鳥取砂丘に息子と二人、白い長靴で降り立ちました。母は砂丘を歩くのが困難なため父と二人で近くのレストランで待機し遠巻きに私たちを見守ります。

 母たちに少しでも砂丘の臨場感を伝えようと、長男と二人で写真や動画を撮影しました。親に見せるための動画は小っ恥ずかしく謎のレポーター風にて後から見てみんなで大笑いでした。 嵐の鳥取砂丘、息子のキャップが風で飛んで砂の上を全力疾走して大笑いしたり、髪の毛ぐちゃぐちゃになって波乱万丈な事ほど印象に残って後々まで語り継がれます。

 母は、あの時も最後の時も娘と孫と一緒に行ける旅行ほど楽しいことはないと喜んでいました。



3、亡き母の言葉
 今年の2月に亡くなった母。私は仕事が終わると毎日母の病院へ行きました。実家にも寄らず母に会いに行く私に兄は電話で言いました。
「さと子、仕事も忙しいのに無理しなくていいよ、俺も毎日行くから。でも自分のためでもあるんだよな、だから体調も気をつけてね・・・」
日頃はくだらない話しかしない兄妹も、母の命の危機、命の時間を感じた時には日頃話さないような話もし始める。

 ある日、母は私が部屋に行くなり話し始めました。

母:あのねぇ、最近自分の人生をずっとふりかえっていてね。お母さんが生まれてからずっと今日までの時間を・・・。それで、お母さんの人生はやっぱりいいものだったな〜と思うんだわ・・・。

私:そうなんだ・・。いい人生って思ってるんだ!よかったね〜

母:自分の子供の頃のことから、順番にずーーっと思い出してるんだわ。妹が生まれて、弟が生まれて(〜中略〜)大人になって結婚して、若い頃に足の怪我をしたことは辛いことだったけど、(〜かなり中略〜)ケンジもサトコも大きくなって・・・。

私:すごいねー、生まれた時から順番に思い出してるんだ・・・。
ふむふむ(傾聴姿勢)

(母はしばし、朦朧としながら)

母:さとちゃんと沢山いろんな所へ行けたしね。本当に楽しかった・・・。

 実は、この頃母はほとんど食事も食べられない状態で、本人はかなり苦しかったと思います。そんな中でもいつも自分の事より人のことを心配してばかりいた母が自分自身の人生をふりかえって、嬉しそうに私に語り出し、自分のことを「いい人生だった」と話す言葉になんとも言えず安堵して嬉しくなったのを覚えています。


4、「いい人生だった」と言える生き方
 この数ヶ月の母との会話は宝物なので、リアル内容は割愛するとして・・・
 そう言えば、数年前にネットでも話題になっていた死ぬ前に後悔するいくつかの事・・・のようなまとめサイトがあり調べてみました。

オーストラリア生まれの、ブロニー ウェア さんのブログがきっかけになって書籍となり、世界中で話題になった「死ぬ瞬間の5つの後悔」が元ネタのようです。

(ブロニーウェアさんについて)
 緩和ケアの介護を長年つとめ、数多くの患者を看取った。その経験を基にして書いたブログが大きな注目を集め、それをまとめた『死ぬ瞬間の5つの後悔』は26ヶ国語で翻訳され、世界中で読まれている。イギリスGuardian紙に掲載された同書に関する記事は、日本でも紹介され、大きな話題を呼んだ

それが目次の、
 後悔1 自分に正直な人生を生きればよかった
 後悔2 働きすぎなければよかった
 後悔3 思い切って自分の気持ちを伝えればよかった
 後悔4 友人と連絡を取り続ければよかった
 後悔5 幸せをあきらめなければよかった
 という事なのです。

 死を宣告された人は、自分の人生を振り返るという贅沢な時間が与えられた幸運な人だという。

これについては母も同じような事を話していました。ガンは考える時間があるからいい病気だと。突然死や事故は家族にも本人さんも本当に辛いだろうにと・・・。

 会話を思い出しながら振り返ると、母は・・・
母は働くのが好きだったし、もっと働きたいと言っていた位から、仕事が好きだったし、楽しい働き方をしていたんだと思う。遠慮なく自分の気持ちを伝えてくれたし、友だちとも食事に行ったり、旅行に行ったりもしていたから幸せって言えたのかな?と思う。

 ただもしかしたら、一番身近な父には遠慮していたこともあったかな?大好きで仲良しで一番近くて一番遠い存在、それが夫婦なのかもしれないと想像したりもする。

 私もよく言う「身近な人を大切にしよう」について。
例えば、私の家に来ていても母は父の晩ご飯を作るために午後4時には帰る。「たまに来たんだからゆっくりしたら?」と言っても「お父さんが待ってるから・・・」とそそくさと帰る。
最近になって「あの時、本当はもっとゆっくりしたかった」の言葉を聞いた時、誰に制されているわけでもないのに、自分の中の「正しさ」と「正直さ」との対峙していた母を想う。
 身近な人を「大切にする」行動は同じでも、その心は犠牲ではなく愛であることこそ、自分の中の豊さが広がる。
 お土産を買って家に帰ったら帰ったで、ビールを片手に父が喜んでくれるから母にとっては両方幸せでもあったのかなと想像して納得したりする。

 つまり、
「自分への正直さ」を自分がわかっていること

もっと言えば、
「本当は自分がどうしたいのか」自分が知っていること

さらに
それが言語化されてイメージできていなければ
自分も判断できないし、相手には要望も伝えられないから、
人との関係さえうまくいかなくなる。


 「いい人生だった」とは、
そんな「わからない」部分も含めて
葛藤したり自己探求したことそのものを
「尊い経験だった」と
抱きしめられることだと仮説してみる。


5、亡き夫の言葉 

 一方、46歳という今思えば人生の素晴らしい時期に人生にピロオドを打った夫はこんな風に言いました。

 「自分の命がもうあまり長くないことはなんとなくわかる。その覚悟もできているつもりだ。今考えていることは、自分が居なくなってから最初の数年は皆んなが覚えてくれていても何年か経った時に自分のことが誰からの記憶もなくなり、自分が生きていたことさえ無かったような日がきっと来る。その日が本当に自分が何もなくなる時だと思う。実はそれがちょっと怖くもある」と。

 常日頃から、「形あるものはいつかなくなる」と言い、モノは気に入ったものを少しだけ持つ派。体験や学びを推奨し、記憶に残るような日々を刻むことを大切にしていた。

 当時は、形あるものは「モノ」とか「道具」についての話だったけど、今となっては形あるものとは「肉体」であり、形のないものは、「体験や記憶や人への影響力」などなのだと思う。
 実際11年経っても、お墓に行けば、お花やタバコが供えられ当時の部下は、「近所ですから」「自分の昇進を報告に行きました」と気軽にお墓参りをしてくれる。私の知らない働く姿はきっと誰かの心にまだ記憶として残って影響を残している。どんな人でもそんな働き方ができるんだと信じられるのは、これがあるからなのです。


6、「記録ではなく記憶に残る生き方」っていうけど、本当はどうなん?

「記録ではなく記憶に残る生き方」ってよく言いますよね。
今はスマホなどで気軽に日々の記録をすることができます。子どもが小学生の頃の運動会などハンディカムを録るのか、それともこの目に焼き付けておくのか、悩んでハンディカム→肉眼→ハンディカム→肉眼と忙しかったのが大切な記憶です。笑

 私は、記録は、未来を創造するための材料として必要だと考えています。
 今年のお正月にどこからともなく実家の家系図が出てきたのをきっかけに、古い写真を持ってくる親戚がいて自分のルーツを感じる時間がありました。
 また私の次男は自分が生まれる前の映像で、特に長男が生まれた頃の動画を嬉しそうに見ていました。2年後に自分がその映像に加わるのを見ては自分の存在がどのようにこの世に生まれ、どのように家族の一員として育まれ、どれだけ大切な存在か確認することができるのです。
 

 私たちの未来への一歩を踏み出す勇気のためにも、記憶は薄れてしまうが記録はその思いを喚起してくれるとても大切な材料です。そして遠慮なく自分の命を抱きしめ輝かせて生きたら、きっと死ぬ前に「いい人生だった」と言えるし誰かの記憶にも残ることでしょう。

人の命は、自分だけのものであるようで、誰かのものでもあり
大切でかけがえのないものなのです。


そして、この記事のタイトル
「人は自分の命の期限を感じた時、どんな心境になるのか」
の私なりの仮説は、
「自分の命をふりかえり、その先の未来を他者へつなぐことで
 命を終える心の準備をするのかもしれない。」

よく、走馬灯のように・・・と言いますが、それはどうやら本当みたいです。自分の人生を一気に振り返り、自分の人生のシナリオに出てきた登場人物ともう一度逢う・・・。この辺りの話は長くなるので、また別の記事にて書きますね。


私は、亡き夫と母から大切なことを教えてもらった気がしているので、語っているし今回もこのように記憶を辿りながらまとめることにしました。そして美しい記憶を美しく綴ることで二人の記憶を自分の生きるエネルギーに変えていこうと思います。

そして何より、死ぬ間際の人には
「後悔していること」よりも
「良かったこと」「幸せを感じたこと」
を話すきっかけをつくれたらいいな、と思っています

そのために、まずは自分が自分の命を生きようと思う。
今世の肉体を使って。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

コロナ第二波の中での、安倍総理の辞意表明。
心から敬意と感謝の気持ちでいっぱいです
ありがとうございました。
ゆっくり治療して元気になってください

感染対策と経済対策と対極の方針を進めながら打った
GO TO キャンペーン
今回、私は敢えて旅の素晴らしさを母との思い出とともに
書かせていただきました

自分のいのち、今日も抱きしめて生きよう!
はぐはぐ。

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