カラオケについて

このカラオケに行けない状況で、何故か今日はカラオケについて書きたくなった。

私はカラオケが好きだった。よく一人で行っていた。だけど最初から好きだったわけじゃない。最初はものすご〜〜〜〜く苦手だった。その時のことを書こうと思う。

高校生の時、私は書道部に入っていた。

ここで、「あら、昨日はバレー部に入ってたと言ってなかったっけ、この人。嘘ついてるわ」と思ったそこのあなた!あなたは、もう柿本の古参です。でも、残念賞です。
柿本は、かけもちだったのですよ!!

そして書道部の大会で、遠方に泊まっていた時、夜に皆でカラオケに行こうということになった。

カラオケなど、子どもの頃、家にあったレーザーディスクカラオケで、「おどるポンポコリン」を歌った位しか経験がなかった私は、「歌えるだろうか……」と、超不安であった。そして、その不安は的中した。

みんな順番に歌っていく。私はなんとか、歌うのを拒否していたが、ついに断われなくなり、仕方なく歌うことにした。歌いたい気持ちはある。けれども、恥ずかしい。何を歌えばいいんだろう。短くて、すぐ終わるやつ……

そして私が選曲したのが、まさかの童謡だった。

なんの歌をセレクトしたのか、はっきり覚えていないが、「赤とんぼ」か「たき火」だったと思う。そのへんの、秋系の歌だった。
しかし、最初の出だしで、私は選曲をミスしたことに気づいた。

思ったより、キーが高かったのだ!! 

緊張と、キーの高さに震える声。もうだめだと、私は悟った。

私は曲の序盤で、歌うのを放棄した。だけでなく、もはや号泣していた。しかも後輩達も見ている中で。
みんな「どうしたの〜?」と笑ってくれたが、あの時、私はかなり痛い存在だった。

そんな過去があっても、何回もカラオケを歌う内に段々慣れてきて、私はいつしかカラオケが好きになった。
元々歌うのは好きだったのである。ただ、みんなからじっと見られ、さあどうぞと言われてマイクを持って歌うというあの環境が、当時の私には耐えられなかった。

もっと、普段から人前で歌を歌える文化ならいいのに。と思う。

テレビでは、食後にダンスや歌を歌って楽しむ外国の映像が流れたりする。 
韓国ドラマでも、よく男の人が、女の人に歌を歌って聴かせるシーンがあるが、日本でやると、ちょっとひかれそうに思う。
日本人は恥ずかしがり屋なので、人前で歌を歌うことが、なんとなく普通にできない。じゃあ、歌うのが好きな人は、どこで歌ったらいい?

だからこそ、カラオケが日本で誕生したのだと思う。
歌詞が画面に出て、音楽が流れて、はい、どうぞ歌ってください。とまで言われないと、なかなか日本人は自分から歌おうとはしない。そのくらい、歌うということが、非日常的な行為なのである。

普段から、外でも家でも歌っていたら、薄暗い個室にこもり、わざわざお金を払って歌うという考えは出てこない。

歌いたいのに、自由に歌えない!!それでも歌いたい!!そんなストレスが、カラオケという文化を生み出したように思う。完全なる想像ですが。

恥ずかしがり屋の性格から生み出された環境が、あの、さあどうぞ歌ってくださいシステムだとしたら、皮肉である。歌うことへのハードルが、さらに上がっているぢゃないですか。

ともかくも、カラオケによって日本人は、歌うことができる場所というのをかろうじて確保した。

なので、私もカラオケに行きたい。親が留守の時にたまに家でもこっそり歌っているが、ご近所さんに聞かれないかとびくびくしている。なんなら、カラオケでも、店員さんに聞かれてやしないかと気になってしまう時がある。

歌う=恥ずかしいになってしまうのは、なんなんだろう。

多分、普段隠している自分を見せるからだと思う。芸術は、そういうところがある。悪い癖だ。だから、恥ずかしいのはしょうがない。

先程、カラオケに慣れて来たと書いたが、私は今でもカラオケに来て一曲目に歌う時は、必ず心臓がドキドキして、声が震えてしまう。

でもそれはしょうがないと思う。自分を見せてる証拠だと思うから。




でもほんとに恥ずかしいから、やめてほしい。
落ち着きなさい、心臓よ。