【考察】ミュージカル舞台『マチルダ』 / 「マチルダ」は「トランチブル」
ロアルド・ダールによる児童小説『マチルダは小さな大天才』。1988年に出版されて以来、世界中で愛されている物語です。
1996年には映画化されました。そして、2010年にロンドンのロイヤル・シェイクスピア・カンパニーでミュージカル舞台化されてからは2023年現在までずっと公演され続けています。さらに、そのミュージカルはブロードウェイ等世界中でも公演され、2022年にはミュージカル版の映画化まで! 2023年には日本でもミュージカル舞台が公演されました。
今回は、そのミュージカル舞台『マチルダ』の「マチルダ」を考察していきます。
原作・映画・ミュージカル舞台・ミュージカル映画は、それぞれ全く同じという訳ではありません。
原作と同じ部分もあれば、オリジナルの部分もあります。映画版のオマージュが舞台版あることも……。例えば、舞台版のラベンダーの話し方・キャラクターには、映画版のラベンダーからの影響が見られました。
それぞれの作品とも比較しながら、ミュージカル舞台のマチルダの考察をしていきます。
舞台を観た方、これから舞台を観る方もネタバレを気にしないなら、参考にどうぞ。
※ネタバレ有
最後に日本版舞台とイギリス版舞台の比較もしています。そちらはネタバレ無しなのでネタバレが気になる方も是非!
【考察①】マチルダの「正しさ」
ミュージカル版のマチルダは「正しさ」に固執しているように感じました。マチルダのその姿勢は他の作品のマチルダにはないものです。
原作のマチルダは、悪いことをされたらやり返す! という負けん気がありましたが、それは悪い事・悪い人に対してだけです。怒った時にはそんな反応をしますが、友人やミス・ハニーといる時はそんな過激な反応は見せません。興奮したり過剰な反応をしたりしないミス・ハニーに好感を持ったように、マチルダ自身も興奮しすぎないように気を付けている節があります。「自分は正しいのかしら」「あの行動は正しかったのかしら」と、問い続ける思慮深さがあったのです。
映画版では、「正しさ」よりも「黙らない」「行動し続ける」。「前に進む」ことがメインになっていました。映画のマチルダは、賢いけれど純粋な部分があります。父親に「悪いことをした奴には罰を!」と言われて、「「悪い子」ではなく「悪い奴」? なるほど、じゃあ大人が悪い事をしたら子どもが罰しても良いんだ」と思うのです。マチルダは「正しい」か「正しくない」かのジャッジをしていません。他の幼い子どもたちと同じように、良い大人の話も悪い大人の話も素直に聞いているのです。
2022年のミュージカルの映画化作品、映画『マチルダ・ザ・ミュージカル』のマチルダも「正しさ」を強調してはいません。
歌詞やセリフ、日本語字幕でも日本語吹き替えでも「間違ってる」「そんなのヘン!」と声に出して行動しています。「正しい」「正しくない」とは言っていません。理不尽に声を上げて立ち上がる、不屈の姿勢がとても印象的でした。
※英語が苦手で細かいニュアンスも理解できていないのでイギリス版のミュージカルの考察は省きます。
さて、今回のミュージカル版『マチルダ』のマチルダはというと……。歌の中でも本編中でも「正しくない」と声に出します。「正しさ」をジャッジするのです。それは正しい、それは正しくない、としっかり意思を表明します。あまりにも、はっきり「正しくない」というその姿はなんだか危うく感じるでしょう。
このマチルダは決して自分の「正しさ」が正しいかどうかはジャッジしません。
自分は正しい! お前は正しくない!
その姿勢は、なんだかトランチブル校長に似ています。
【考察②】マチルダとトランチブルは似た者同士
このミュージカル舞台では、徹底的にマチルダとトランチブルを似せています。
マチルダは親に愛されていません。ミュージカル映画ではカットされていましたが、ミュージカル舞台では兄も描かれています。兄は周りから愛されているのに、自分は愛されていない。自分には秀でたものがあるのに、見てもらえない。マチルダにはそんな怒りや悲しみの背景があります。
ではトランチブルはどうでしょう。マチルダが語る「過去」でも分かるように、ミス・ハニーの母親・トランチブルの妹は周りから愛されています。トランチブルはトロフィーをたくさん持っている優秀な人物です。自分には秀でたものがあるのに、妹の方が愛されているコンプレックスがあったのかもしれません。トランチブルの怒りや悲しみの背景は、マチルダとかなり似ているように感じます。
トランチブルは「自分こそは正しい」と言って、歪んだこともしていました。そして「契約」についても何度も口に出します。「契約」を守ることは、合理的で「正しい」ことです。妹が妊娠しても「契約」は「契約」だ! と言って強要します。確かに、それは「正しい」ことです。
契約……約束を守るのは正しいことですが、妊娠をしたり理由があったりすればその「契約」「正しさ」は見直す必要があるでしょう。そんなことを考えないのがトランチブルです。
では、マチルダはどうでしょう。彼女は常に「正しくない」と理不尽と対立します。その姿はまさにヒーローですが、彼女は自分の「正しさ」を見直すことがありません。「正しくない」状況、それを起こしている相手の背景を考えない姿が恐ろしくもあります。
マチルダとトランチブルはかなり似ています。ミュージカル映画と同じ内容のはずなのに、映画よりも2人の類似が目立つのは「兄弟」の有無かもしれません。
1人は愛されているのに、もう1人の私は愛されていない。比較対象がいないより、いる方がやはり深く傷つくのではないでしょうか。
でもマチルダもトランチブルも賢い人物。「そんなのおかしい、自分は正しい、自分は間違っていない」自己肯定感が過剰になってもおかしくないでしょう。
マチルダの「正しくない、正しくないなら、正さなきゃ」の歌詞と、トランチブルの「契約は契約で契約だ」のセリフが重なるのも興味深いです。
マチルダは大人になると「トランチブル」のような人物になるかもしれません。
しかし、彼女は「トランチブル」にはなりませんでした。
【考察③】「マチルダ」になるか、「トランチブル」になるか
マチルダとトランチブルはかなり似ている人物。舞台では、2人が似ているという演出・シーンが多くありました。
トランチブルとマチルダの対立が一番はっきりするきっかけがマチルダの「正しくない!」というシーンだったのも面白い部分。マチルダの「正しい」とトランチブルの「正しい」の対立が本作のメインになっているのです。
そのうち彼女は「トランチブル」になるでしょう。
しかし、彼女は「トランチブル」ではなく「マチルダ」になる道を選びました。
それが分かるのが、最後のシーン。家族がマフィアに痛い目にあわされそうになるところです。マフィアのボスはマチルダに「家族を痛めつけようか? もうマチルダに悪いことをしないように」と問います。
なんて甘い誘惑でしょう。あの悪い親に罰を与えてくれるなんて。それはマチルダが親にずっとやって来た「罰・イタズラ」と同じです。
これまで同様、痛い目に合わせる「罰」かチャンスを与え「許す」か。
マチルダはチャンスをあげる、「許す」と選択したのです。これはキリスト教的な選択でもあり、「復讐」に身をゆだねないという強さもある選択でした。
この選択は、この女の子が「マチルダ」になるか「トランチブル」になるか、という選択でもありました。
罰を与える「正しさ」を見直した瞬間です。
そして、あの女の子が「マチルダ」になった瞬間でもありました。
まとめ
「マチルダ」になるか、「トランチブル」になるか。
マチルダにだけではなく、私たちにも問われています。子どもの頃から、大人になっても、死ぬまでこの選択は続きます。私たちはいつでも「トランチブル」になる可能性があるのです。そして、「マチルダ」になる選択肢だって同じようにあります。
理不尽やおかしいことに声を上げ続け、でも自分の「正しさ」の正しさも問い続ける。
私たちも彼女のように「マチルダ」であり続けたいです
【おまけ】イギリスの舞台、日本の舞台
少し舞台とパンフレットのレビューを
※比較しているロンドンの舞台は2017年の情報なので、現在は変更されているかもしれません。
上記はロンドンにあるケンブリッジ・シアターの写真。
専用の劇場ということもあり、かなり力が入っています。客席のこちらまで迫って来るような舞台、演出が素敵です!
上記は日本の舞台です。
本国のような立体感はないものの、ライトはカラフルさ、どんどん展開されていく舞台装置は遜色ありません!
舞台装置等は海外からそのまま輸入されているのだとか! 違う部分もあるものの、ワクワク感は変わりません。
左は日本語版パンフレット、右はロンドン版パンフレット。
パンフレットのデザインはロンドン版と似ているのも魅力的です。
日本版ではインタビューや俳優陣の「座談会」ページが多くて読み応えがあります。
ロンドン版をお持ちの方も、是非日本版も!
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