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憧れの黒柳徹子さん

その昔、私がまだ本当に幼かった頃、母がユニセフ親善大使をなさっている黒柳徹子さんについて、こんなことを言った。

「貧しい国の子どもたちを訪問するのはいいけれど、高価そうな華やかな洋服を着て行くのが違和感だ」

当時、自らの考えというものを持つにはまだ幼かった私は、必然的に「なるほど、着るものどころか今日の食べるものさえ困っている人たちのところに行くのに、自分はいかにもお金を持っていますという格好で行くのはよくないことなのか」と考えるようになった。

その考えが思いっきり覆されたのは、20代後半のことだ。

心身を壊し、アームカットが止められなくなって心理カウンセリングを受けた時、どういうやりとりだったかは忘れたが、カウンセラーさんがこんな問いかけを私にしたのだ。

「もし、あなたの周りに飢餓で助けを求めている人がいたとして、あなたが自分の食べ物をわけたいと思って声をかけたとしても、あなたが見るからに痩せこけていてお金も持っていなさそうだったら、その人はあなたの食べ物を気持ちよく受け取れると思いますか?」

要は、「もし、誰かを助けたいと思うのなら、まずは自分を満たしてからだ」という、よく言われる話を例え話にしてくれたわけだが、この時、私は初めて、「まずは自分を満たす」がなぜ大事なのか、イメージとして具体的に理解することができた。

そして、遠い昔、黒柳徹子さんに対して母がしていた発言をふと思い出し、こう考えるようになった。

徹子さんは、むしろ、あえて、明るく派手でお金を持っていそうな格好をなさっていたのではないか、と。

その頃から私は黒柳徹子さんのことが大好きになり、今では勝手に理想のロールモデルとして崇めているくらいなのだが、最近何が嬉しいってYouTube、徹子の気まぐれTV で徹子さんを身近に見られることだ。

ロールモデルを見つけた時、我々はついその人の行動(たとえば徹子さんなら華やかなご衣装やユニークな髪型)を真似しようとするけど、私はその人がどんな考えを持っているか、をものすごくウォッチする。というのは、行動というのはその考えの現れに過ぎないと思っているからだ。

ただ、それまでは、テレビなどで見る人の考えを知るような機会がなかなかなかった。ところが、インターネットのおかげで、ブログやインスタグラム、YouTubeなどでいろんな人の考えというものを簡単に知ることができる時代になった。

こんな楽しいことはない。

昔は、インターネットの情報量が多過ぎて、すぐ一杯一杯になって、いわゆるSNS疲れに陥ることもあったけど、最近は、自分なりの付き合い方が見えてきたようで、かなり楽しい。

そんなふうに何事に対しても自分に無理のない距離感がつかめるようになってきたのも、年の功かもしれない。

ある時は、枯れていく自分にしんみりするけど、しかし、次の瞬間には、これまでよりずっと生きやすくなっていることを嬉しく思う、このアップダウンもまた更年期っぽいのか、と思うけど、考えてみれば、いや、考えるまでもなく私には若い時からそういう傾向があった。

何でも年齢とこじつけると、視野が狭くなりますな。