まるで恋するみたいに受験した、息子の話⑤
前回のお話はこちら。
できることは、全部やる。
一般二次の内容は推薦と同様、グループワークと面接。
前回の敗因のひとつは、きっと「緊張しすぎた」から。
ということで、今回は息子と相談の上「家族全員で旅行のように」徳島に行くことにした。
旅館に泊まり、温泉に入り、美味しいものを食べて、リラックスして本番の朝を迎えようじゃないか。
学科試験を通過した夜から12日間、「できることは全部やろう」ということで、また毎晩11時に、前回の反省点を踏まえて面接とグループワーク練習をすることにした。
思春期15歳の息子と、こんなに毎日向き合って話すことになるとは思わなかった。
きっと、息子がいつか家を出る日には、この日々のことを思い出すだろう。
勉強が終わる息子を待つ間、手持ち無沙汰な私はワインを飲みながら待つ。
11時には大概へべれけになってくるのだが、それぐらいの方がお互い力が抜けて良かったんじゃないかと思う。知らんけど。
緊張対策として、校長先生、担任のK先生、塾の先生と、できるだけたくさんの「大人」と面接練習をさせてもらった。
最後には、あらゆる角度からの球を打ち返す面接マシーン、と化した。長年の課題だった滑舌まで良くなっていった。
自己肯定感、爆上げ本番。
そうして迎えた、本番の日。
旅館の朝ごはんをしっかり食べた息子の横顔は、いつも通りだ。
ラーメン2本の時とは比にならないほど、心に余裕があるように感じる。
何より、一度経験している。というのは大きい。
早朝に徳島駅前に集合して、他の受験生(サマスク以外にも推薦やイベントで出会った子もいて知り合いだらけ、あちこちから声がかかる)と合流、和気あいあいと会場へ向かうバスへと乗り込んでいった。
7時間後。
試験が終わった息子を迎えにいくと、とても穏やかな表情で現れた。
私たちの顔を見るなり
「できたと思う。うん、かなりできた!」
自己肯定感爆上げ状態である。
倍率を考えると、これまでは「宝くじに当たるようなもの」とか「記念受験だよね」とか言ってたけど、こうなると少し期待してしまうね、などと帰りの車内で夫と話しながら、帰路へ。
夕日が瀬戸内海に沈む頃、息子は後部座席で深い眠りに落ちていた。
それから発表までの5日間、これまでにないほどの凪の時間が流れた。
時折、不安に襲われた息子が「これで、落ちたらどうしよう?」とつぶやく度に
「やれることは全部やったし、あんたは100%やり切った。これでダメなら、もう縁がない。あの学校には合わない、ということだから、それは仕方ないよ。」
と答えると、何も言わずに頷くのだった。
失恋、それは苦しい。
とうとう合格発表の日が来た。
泣いても笑っても、これで終わり。
また例の出願サイトを、ヒリヒリしながら、最後のクリック。
目に飛び込んできた文字は、「不合格」だった。
それから1ヶ月は、あまり記憶がない。
例えるならこれは「失恋」だ。
おそらく、息子にとっては、はじめての。
何度も何度も必死で、ギリギリ食らいついた。
そして最後に、振られた。
これを失恋に例えるのは変な話かもしれない。
でも他に良い例えが、見つからない。
これまでの日々が断片的にフラッシュバックして、歯痒くて寝付けない。
眠りが浅く、焦るような祈るような気持ちで朝方に何度も目が覚めては、心を1つのことで支配されて、ため息をつく。
「なんで、ダメだったんだろう?」
息子はずっとそんな感じだった。
共感系HSP気質である私も、モロに同じ気持ちを食らった。
やるせない気持ちの微細な変化を毎日スマホに記録して、客観視せずにはいられないほどに。
そんな中、ずっと遠方から見守ってくれていた、私の母からのLINE。
私は息子を思って、眠れない。
私の母も、そんな娘の私を思って、眠れない。
母は孫である息子を心配するのかと思っていたら、私・・・?
いくつになっても「母は子を思うもの」の不眠ループに、胸がギュッとなる。
誰より胸を痛めているのは、息子だ。
私が前を向かなければ。
それにしても人は、すごい。
毎日、記録していると分かる。
行きつ戻りつしながらも、傷ついた心はゆっくりと回復に向かっていく。
まるで玉ねぎの薄皮を1枚1枚、めくるように。
完璧な夜、を越えていこう。
そんなある日、「楽しかったなぁ。」と夫がポツリと言った。
楽しかったの、か・・・?
思い出すのは、受験前夜。
コスパの良すぎる居酒屋・安兵衛で海鮮鍋やウニをつついて、寒い寒いと言いながら宿に帰って、布団にくるまって家族4人、川の字で寝た。
その夜は何もかも完璧だった。切り取って額に入れたいぐらいに。
みんな、一丸となって息子の合格を心から応援していた。
そうだ。私はしんどいしんどい、と言いながら楽しかったんだ。この過程、まるごと全部。
第二希望の学校手続きを淡々とこなしているうちに、春の日差しが長くなっていった。
制服採寸の帰り、すっかり枯れた。と諦めていた玄関先のブルーベリーの木にぷっくりとした薄緑色の新芽が出てるのを発見した、午後のこと。
「よく考えたら、都会が好きだったわ。でも後悔はしてないよ。」
息子が、不意に言った。
恋焦がれたあの学校には、手が届かなかった。
でもそこに注いだ君の情熱は、確かなもの。
その証拠に、半年前の息子と今、目の前にいる息子は、まるで別人みたいだ。
もうこれ以上、私にできることはない。
「 そもそもあんたさぁ、虫が苦手やのに、田舎行ってどうするつもりやったん?絶対すぐ発狂してたで。都会の学校で出来ること、やりな。」
そう言うと、息子は笑った。
余談だが、担任K先生の名誉のために付け加えておくと、2度目の結果を伝えると大いに励まし、勇気づけてくれたという。
「先生、励ましスキルが格段にアップしてたよ。」と息子。
先生も、たくさんのブロークンハート受験生を見届けたのだと思う。
きっと受験生の数だけ、こんなストーリーがある。
それぞれの形で、煌めいたり儚く散ったり、それでも15歳たちの未来は前途洋々で、途方もないほどまぶしい。
みんなのストーリーを、いつか聞いてみたい。
〈おわり〉
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
すべての受験生と挑戦者、それを見守った大人たちに幸あれ!
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