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無知の知・「知らないこと、できないことを知る」

こんにちは♪
Satoimosanです。

先日、とある方とお食事をしました。京都の料亭のお話になりまして。わたくしは、話題に出た料亭のことを存じ上げなかったので、「知りません」とお答えしましたら。

「はん、京都出身なのに知らないのぉ?まじでぇ」と鼻で笑われてしまいました。

一瞬、不愉快な気分になったわたくしですが、体制立て直し、お相手を「凄いですねー」「素晴らしいですねー」云々持ち上げておきました。

わたくし京都生まれですが、誰もが知る京都市内ではなく、京都「府」宇治育ちです。平等院とか宇治茶とか源氏物語宇治十帖とかの。学生時代は、「宇治県民」でしょ?って京都市内在住の同級生によくカラカワレてました笑笑。

話逸れました。

昔20代半ばの頃わたくしは「嘘つき」でした。「知ってます」「できます」と嘘に嘘を重ねて苦しくなって、人間関係断つこともありました。そういう自分に嫌気がさす自己嫌悪の塊でした。生きづらさの塊で、息をしていなかったと思います。

歳を重ね、開き直りの術を身につけていくと「知らないことは、知らない」「できないことは、できない」とあっけらかんと口に出すことで、日々の生活がとんでもなく楽ちんになってきたのです。

「知らないことを知る」から、知っていきたい・学んでいきたい・色んな世界に触れたいっていう好奇心が刺激されます。

「できないことを知る」のも同じです。できるようになりたいっていう意欲と探究心が刺激されます。

最近は、「教えて頂く」「助けて頂く」という術を恐る恐る試し始めています。(今更かよー!って感じですが、しゃーないしゃーない。)

「知らないので教えてください」「できないので、助けてください」とお願いすること。凄く勇気のいることですが。


わたくしは、同じような経験をされていたり、似た境遇の方のお話を聞くときに、「わかる」と自の中で勝手に「知っているつもり」になりがちです。

それ自体が自分という狭い世界の判断基準でしか物事を捉えていない「決めつけ」になるのかもしれません。

「わたしは何も知らない。」

心理学師匠根本さんも、この姿勢が大事やぞって仰ってました。水島広子さんも著書の中で、こんな風に述べていらっしゃいます。

「共鳴」も「あなたの体験は私の体験と同じ」というジャッジメントになる。自分が相手と向き合う関係性では、相手の現実の中においては「自分自身のトラウマ体験」は何の関係も持たない
水島広子著者 トラウマの現実に向き合う  

「わかる、できる、知っている」を手放して、ただただあるがままに、物事を捉えていけるようになりたいなぁと思った次第です🤍



来週10月20日から、わたくしのブーケ・レッスンがスタートします。4人の「魔性の女」をブーケで束ねるレッスン。主催者のわたくし、とんでもなくドキドキしています… 

10月20日が終わったら、11月12日開催クレオパトラさんのご紹介記事を綴ります。 カタカナ名の登場人物が全て同じに思えてしまうくらい、世界史苦手です笑笑。めっちゃ苦手ですが、できないなりに一生懸命に綴ってみたいと思います!

Satoimosanでした♪