見出し画像

言葉への執着は、言葉になっていないものへの不安感が生み出していた。

ある方のnoteを読んで今日がことばの日であることを知りました。「こ(5)と(10)ば(8)」と読む語呂合わせらしく、言葉について考え、言葉を正しく使えるように心がける日だそうです。

言葉は靴のようなもの。言葉が連れていってくれる場所や、引き合わせてくれる出会いはかけがえのないものです。

言葉はメガネのようなもの。今まで見えなかったものが、言葉を介して認識できるようになります。

そう思うと母の日にお母さんに「いつもありがとう」というように、言葉にも「いつもありがとう」と伝えたくなったり、私とことばの関係について考えたくなったりしました。決して語彙力が多いわけではないし、ことばの感性が豊かなわけでもないですが、人間関係における私とことばの関係、ことばへの関心ごとを書きたいと思います。

言葉になっていないものへの不安感

私は人の心の内を察することが苦手です。日常の些細な変化から、今この人がこういう状態なのかなと考えることや、ことばの裏に含まれる意味などに関して極めて鈍感なことがあります。

高校生のときの話ですが。ある人に嫌われていて、その人が私の知らないところで陰口をたくさんの人に話していたので、クラスのほぼ全員がそのことを知っていました。席替えでその人と隣の席になったとき、友達から「大丈夫?」と言われたときに嫌われていたことを初めて知って、周りも私自身も自分の鈍感さにびっくり。目の前にいるその人の情報しか頭の中になくて、嫌われていたなんて1mmも気づかなかったのです。

他にも、「ある人にこういうことを言われて、モヤっとした。」と相談すると相手に「それは本当はこういうことを伝えたかったんじゃないかな〜」と言われ、想像力が足りないなと反省することも多々あります。

人とのコミュニケーションの仕方は言葉以外に、相手の表情や言葉の話し方や声のトーンなどいろいろありますが、言葉になっていないものを考えようとすると「分からない」という不安感で臆病になってしまうのです。何も言わなくても、一緒にいる空気感で波長が合うかどうか分かるという人もいると思いますが、私からするとそのコミュニケーションは超次元的なレベルです。

言葉になっていないものへの想像力に長けている人は、相手の気持ちを考えることができる人、配慮ができる人、気遣いができる人と呼ばれ、鈍感な私からすると憧れの対象になりました。

言葉になっていないものへの不安感は人間関係にも影響があります。例えば、友達という存在。私はあの子のことを仲のいい友達だと思っているけれど、あの子は私のことそんなに仲良いと思っていないかもしれない。休日お出かけに誘いたいけれど、そんなに時間を取ってもらってまで私と一緒にいて楽しいかな?と考えてしまいます。(言葉にすると、私相当めんどくさい人なのかなと不安になってきた。)

ちなみにいつかの大学の講義で、恋人同士はお互いが「好き」という認識のもとで成り立っているけれど、友達同士はそれほど明確な繋がりを共有していないけれど一緒にいるという点ですごく価値が高いのではないか?という発表をしたことがあります。

そんな風に言葉になっていないものへの不安感が強かった私は、自然と言葉になっているものをどう受け取るかということと言葉にすることの価値を考え始めました。

言葉の受け取り方

相手は何を考えているんだろう......という自分の不安を解消するために言葉にしてもらうわけですですから、目の前に言葉として存在しているものや、言葉で伝えてもらうものは有難いと思うこと。

「思っていることを言って欲しい。」と相手に要求するためには、この人には言っても大丈夫という安心感をこちらが提供することがまず先だと思っていて。ちゃんと受け取ってもらえるかな、言ったら言い返されるんじゃないかなという不安を抱えている人に向かって「なんで言ってくれないんだよ」というのはあまりに暴力的です。だから、たとえそれが受け入れにくい言葉であっても、相手が言葉にしてくれた意味に思考を巡らすことを忘れない。(と思っていても何かを言われてムッとしてしまうこともあるので、その時は時間が経ったとしても謝ろうと心に決めています、ムッとしてしまったごめん!と)

相手の言葉を素直に聞くことができない理由はいつも自分の中にあります。でも、ムッとしてしまったり、人に傷つけられたと思ったとき心は狭くなってしまって相手が言葉にしてくれた意味なんて考える余裕はないかもしれません。そういう時は、自分の感情を一瞬抱きしめて、離す。「私傷ついたね、でもちょっと待っててね。相手の方にも聞いてみるからね。」そうやって考えます。

「届ける」は同時に「受け取られる」

言葉になっていないことが不安なら、心の中に閉じ込めておくよりも届けた方が相手にとって安心感を与えられる言葉は積極的に言葉にする。あなたと出会えて良かったと思っているよとか。魅力的だと思っているよとか。もっと話してみたいです、とか。一緒にいる時間が楽しいと伝えることも些細なことだけれど大切な気がしています。

自分の口から出た言葉をちゃんと相手に届けるためには、相手が受け取りやすいように丁寧にパスする必要があると思っています。思っている以上に、自分が伝えたいことと、相手がどう感じるかというところには差があって。その差をゼロにすることはとても難しいと思うけれど、努力することはできそう。そんなつもりで言ったわけじゃないのに、と受け取り方を責める前に自分の伝え方に努力の結果はあったのか?を考える。

例えばよくあるのが、相手に「なぜ?」と問うとき。純粋な疑問として伝えた言葉が、否定や攻撃性を感じさせてしまうことがあります。「なぜそれをするの?」はしなくてもよくない?と受け取られることはよくある。そういう時の丁寧なパスは、「別にあなたのことを否定しているわけではなくて、純粋な疑問として聞かせてね。」と前置きを置く、その一手間が大事だと思っています。

自分の考えを相手に伝えるために気をつけていることはありますか?と聞かれることがありました。言葉が伝わるということは、言葉を受け取ってもらっているということ。一つはさっき述べた丁寧なパスをするよう心がけること、そしてもう一つもっと大切だと思うのは、誠実な発言に気をつけたり、相手の話に耳を傾けたりすることを日頃から心がけることだと思います。そうやって自分の言葉の信頼性をちゃんと支えてあげる。

***

言葉を言葉のままにしか受け取ることができない私にとって、言葉の信頼性はとても大切です。自分が考えていることを言葉にする、目の前の言葉が存在する意味を信じる。自分の口から出る言葉、せっかく生まれたなら受け取られて欲しいし、自分のもとに届いた言葉も受け取りたい。

そう思えるのはやっぱり、言葉が私に与えてくれるものがとても大きいからだと思います。言葉に悩まされることもあれば、元気をもらうこともある。「言葉を大切にしている」人と認識されることはとても嬉しくて、いやいや言葉から大切にされていると感じるからだよ〜相思相愛だなとにやける時もあります。

これからもいろんな場所に一緒に行こうね。

いただいたサポートは、私が私の言葉にしたものを「あっよかったんだな」と信じるきっかけにさせていただきます。