オバケは避けると大きくなる
いつも夜通る道にオバケらしきものが見える。怖くて見ないようにして早足で通り過ぎるけれど、最近では昼間でもその道を歩くのが嫌になってしまった。避ければ避けるほど、その道を通るのがつらくなり、次第にそのことばかり考えるようになってしまう。
オバケは避けると大きくなります。オバケのえさはオバケを避けることそのものにあります。シンプルに手で触ってしっかりと見つめてみると、それはただのどこにも変わった事なんて無い、木だったり古いコンクリートの壁だったりします。けれども、自分が不安の中にいる時には、そのシンプルなことがとても難しいことです。周囲から見てどれだけそれが普通の木に見えたとしても、やはり本人にとってはとても怖いオバケにしか見えないし、感じられません。その怖さを飛び越えて手で触れてみることは、なけなしの勇気をかき集めたり、ある種のあきらめの気持ちを持たなければいけません。
不安も、オバケと同じように、不安を避けることによって大きくなってしまいます。やりたくないことを先送りにしておいたら、前よりもっとやりづらくなることは誰もが経験することです。プレゼンが不安なときは、まずはスライド作りから始めてみることが大事ですよね。
不安の皮肉なところは、何とか対処法を考え行動する努力そのものによっても不安は大きくなるということです。例えば苦手なことを避けてホッとしたという経験を繰り返すと、わたしたちの体は「その場面を避けたから大丈夫だったんだ。そのことを思わせることを避けなければ」というように学んでしまいます。少しずつ不安というのは広がる性質があるんですね。そのため、ある程度問題に対処できる練習や対処を作ったうえで、不安の中にじっとして、不安そのものを体験してみることを通じて、不安はそれ以上悪いことをしないんだと体で納得をすることが必要です。
しかし、不安に向き合うと言っても、不安を完全に消すのは現実的ではありません。不安を感じることは人として当然のことです。何にも全く不安を感じないこころを求めることは、人として不可能なことです。問題は、感じている不安が普段の生活を送るための大きい問題になっているのかどうか。そしてもし問題になっているのなら、どんなふうにそれを小さくして、それなりに普段の生活に支障がないくらいの大きさにしていくのかということです。不安そのものを消そうとするのはあまり現実的ではありません。不安をある程度受け入れられること。不安になることを不安に思うことこそが、より良く生活するためのターゲットです。
もしあなたが何かを避け続けていると感じているなら、少しだけ立ち止まって、その不安に触れてみませんか?