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不登校中、唯一の家庭以外の息子の居場所(64/90)

息子(当時中3)は不登校中、フリースクールなどには行っていませんでした。
だから、息子のコミュニケーションの相手は母である私が中心でした。

ちなみに、主人との会話は、週末一緒に行っていたテニスの時ぐらいで、普段はほとんど会話はありませんでした。もちろん、大事な場面での会話はありましたが。まぁ、そういうお年頃なのもありますよね。

そんな感じで、ほとんど外部の人との接触がない中、息子がずっと続けていた習い事がありました。それが、エレクトーンでした。

それまでは、練習したりしなかったりで、発表会のたびにギリギリ仕上げる感じでしたが、自ら辞めると言ったことはなく、結果2歳から中学卒業まで続けました。

不登校になった当初は、レッスンの時間直前になって、行きたくないと言ってみたり、かなり先生にもご迷惑をおかけしました。その状態が続くと、先生にお休みの連絡を入れるも申し訳なくて、もう辞めてしまったほうがいいのかなと思い、ある時先生にその話をしました。

その時、先生にこう言われました。

「お母さん、辛いですよね。私は全然大丈夫ですよ。それより、ここが〇〇くんにとって、唯一、外と繋がっている場所であれば、それは無くさないほうがいいと思いますよ。だから、お母さんの判断で辞めない方がいいと思う。〇〇くんが辞めたいと言っているのでなければ。私は待ちますから。」

この言葉を聞いて、私はいつものように泣いていました。
小さい頃から息子を見ている先生ならではの言葉だなと思ったし、何より全部お話も聞いてくれて、ちゃんと私にまで配慮してくれて、ありがたかった。

その言葉のおかげで、無理に辞めることをせずに、気長に待ちました。先生も待ってくれました。

そして。
息子の気持ちが落ち着いたら、急にスイッチが入ったように練習をするようになり、それまでのダラダラ一曲を完成させるパターンから一転、練習して曲を仕上げることに楽しさを覚えて、息子にとって練習することが1日のルーティンの中にしっかり組み込まれるようになったのです。

しかもその後、先生が声をかけてくださり、発表会のステージにも立ちました。学校行っていないし、お客さんがいるステージには立たないだろうと思っていたので、びっくりしたし、またまた先生に感謝でいっぱいでした。

レッスン中のちょっとした会話でも、息子はそんなに口を開かなかったと思うけど。(中学生になってからは、そんな感じだったので)

でも、息子にとっても大事な場所だったはず。そして私にとっても、全部を話せて、それでも変わらずに受け入れてくれる場所がありがたかった。

不登校になって思ったのは、結局それまでの人との繋がりなどを再確認できて、感謝する場面が多かったなと言うこと。逆に不登校にならなければ、当たり前すぎて気づかなかったかもしれない。

この先生に関してもそう。毎週当たり前にようにレッスン行っていたけど。こんな風な感情になるとは思ってもみなかった。

不登校中はどうしても、人目を気にしてしまったり、そういう行動をとってしまいたくなる時もあるかもしれませんが、意外と受け入れてもらえたりするものです。

そして、お子さんが興味のある場所や物があったら、そこへ行ってみること、それをやってみることをオススメします。何かきっかけになるかもしれないので。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


ひとりごと
同じ先生に娘もお世話になっています(ただいま休会中ですが)我が家はそんな熱心に練習するタイプではありませんが、先生の上手い誘導のおかげで続けられていました。先生との相性ってあると思うので、ほんと良かったなと思うのです。コンテストでの楽しい思い出もできたし。ありがとうございます。


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