意識が高いとはなんなんだ!!!!

『意識が高い』というこの言葉を聞いたとき、何を想像します?

毎朝同じ時間に起きてお気に入りのコーヒーを入れる人

自己啓発書を読み漁る人

スターバックスでMACをいじっている人

自己投資といって海外に行ったり、語学の勉強している人

こういった人は何一つ悪いことはしていないし(当然の話だが)、自分をしっかり見つめたり自己のスキルをあげようと頑張っていたりと、尊敬できるところを多く持っているはずだ。

なのにも関わらず…僕はどうしても心のどこかで嫌悪感を感じてしまう。

なんか嫌だなあと思ってしまうのだ。

人間の悪いところとして、自分がよくわからないものや、あまり接していないものに勝手な偏見を持ってしまったり、不安になったりするところが見受けられる。

そこで、自分のためにも、勝手に嫌悪感を抱かれている意識が高い人のためにも、意識が高いとはなんなのかを今回調べてみた。

調べてみてわかったのだが、『意識が高い』には2つの種類があることがわかった。

1つ目は主題にもある通り「意識が高い」

2つめは「意識が高い系」である。

順番に考察を記載していく。

意識が高いとは

まずそもそも意識とは何か。

(参照)https://ja.wikipedia.org/wiki/意識

意識(いしき、Consciousness)は、一般に、「起きている状態にあること(覚醒)」または「自分の今ある状態や、周囲の状況などを認識できている状態のこと」を指す 

ということは意識が高いとはこの状態が高まっていることを示すので、意識が高いというのは、ある事柄に対して熱中したり、強く打ち込んだりしている様子を指す。

なので上記に挙げた毎朝同じ時間に起きる人だったり、自己啓発を読み漁ったりする人はもちろんのこと、今何か熱心に取り組んでいることがある人は、その物事に対して意識が高いと言えるだろう。

そう考えると、取り組んでいるものが受動的であろうと能動的であろうと、何かしら熱心に取り組んでいるものが人間は1つや2つは持っているものなので、全ての人に対して「意識が高い」ということができるだろう。

もちろんそれは、youtubeを見ることでもいいと思うし、ご飯に対してこだわりがあるでもいいし、お散歩であってもいいわけだ。

ということは意識が高いということに対して嫌悪を持つことは間違っている。意識が高いということに対して、嫌悪を抱いたのならば、全世界の人が熱中していることに対して嫌悪を持つことになるからだ。

それならば、嫌悪を持った理由はもっと他の原因があるのだろう。

意識が高い系とは

(参照)https://ja.wikipedia.org/wiki/意識高い系

意識高い系(いしきたかいけい)とは、自分を過剰に演出する(言い換えれば、大言壮語を吐く)が中身が伴っていない若者[1][2]、前向きすぎて空回りしている若者[3]、インターネットにおいて自分の経歴・人脈を演出し自己アピールを絶やさない人[4]などを意味する俗称である。

意識が高いふりをしながら、それをおおっぴろに周りにアピールしたり、実力が伴っていなかったり、「意識が高い」ということを武器にして振り回している人が意識高い系と言えるだろう。

例えば、スタバでMACをいじるのは意識が高いと言えるのかもしれないが、それを露骨にアピールしたり、仕事のふりをしていてゲームなどをしている場合は意識が高い系と言えることになる。

だが、僕自身の考えでは、意識が高いと同様に、僕も含めて多かれ少なかれ意識が高い系になったことがある人がほとんどではないだろうか?これは考えなので確証はもてないのだが、次のような場合は意識が高いだろうか、意識が高い系だろうか。

自分が読める難しさ以上の本を買う

SNSで趣味のいいところだけを切り取る

どうしても今の自分よりよく見られたいという心情があったり、自分の力を過信してしまうところは人間は持っているだろう。

そう考えると、意識が高い系というのは人間の弱さでもあり、他の自分の弱さを隠すために意識が高いように見せかけているふしがあるのかもしれない。

嫌悪の原因

それでは僕が持っている嫌悪の原因はなんだろうか。

私が自分のことを推測するに、私は自分が持つ嫌なところを相手の行動や性格に見え隠れした時にその人を嫌う傾向がある。

例えば、僕はコミュニケーションがうまく取れないと思っているのだが、他人がとてもうまくコミュニケーションをとっているのを見ると、尊敬から嫉妬に代わり、嫉妬が嫌悪になるのだ。根底には、僕もああなれたらなあというのがあるのにも関わらずだ。

そう、私自身、人によく見られてたっているのではないだろうか。

私自身が意識高い系になっているのだ。

なんとなくこの事実はうすうす感じていた。

コミュニケーションが上手な人だと思われたいし、難しい本を読んでいる人だと思われたいし、大人びた態度を持ちたいとも思っている。

自分を超えた自己アピールをしたいと思っているのだ。

そして、心の奥でそういった自分を嫌っているのだ。

そういった自分の欲。ああなりたい、もっと向上したいという思い「自分が持つ嫌なところ」が、意識高い人やそれを振りまく意識高い系を見ることで嫌悪に変わるのだ。自分もその意識高い系であるのにも関わらず。

今後の課題として、自分が人を嫌っている理由はそれが自分の持つコンプレックスの一つであることを認識する必要がある。

それが私自身が意識高い系から意識高いに変わるチャンスなのかもしれない。

ここまで読んでくださった方は、意識高い人だろうか?意識が高い系だろうか?それとも別の何かだろうか?

それが何であっても、人間が持つ強さや弱さに繋がっているのかもしれない。

今一度、私と一緒に考えてはどうだろうか。


読んでくださってありがとうございます。いろんな本とか、音楽とか、経験とか今までずっと考えていてことを、外に向けて発信しようと思い日々noteしています。何か読んでくださった方に少しでも変化が起きたのならそれほど嬉しいことはありません。