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自分は自分であり、それ以外の何物でもない

 自分というもののあり方について普段からどうなのだろうかと考えたことはあるだろうか。

 私は、最近考えることが多く、人がどうあれ自分は自分で所といいたくなることも増えた気もする。

 こればかり気にしていては仕方ないと思っていても、同じ年齢の人ならば、自分と同じことができていて当たり前だのような感覚に陥ることが多く、自分というものの考えが全くできていない。

 例えば、自分と同じ年齢の人を見て、自分はこの人は私の歩く速度より早かったとしても、自分だって追いつけるよねと思った瞬間に一緒だよなと思ってしまうことや、自分と同じ年齢で、この人よりはできているからここまでのレベルに達していて当たり前と思うこともあるでしょう。

 しかし、自分が思っているようには世の中いかないもので、自分のことを大事にするがあまり、他人を下に見てしまいがちになってしまうということは良いことでは無い。

 つまり、人のことを少しでも思いやる心がなければ、どの場合においても自分たちのしていること方が上回っているという心ばかりで、人を下に見ていき自分より下だから、何でもいいやと思うことは本当に欲の塊ばかりでいい事ではない。

 「今更変えたくないし、私は私じゃん。」

 こういった気持ちでいるなら自分のことをずっと頭が良くて、すごいじゃんって思っていればいいんだと思う。

 そう思われた先にあるものは、自分と価値観合わないってだけで見捨てていき、人のことを馬鹿にするのは当たり前なんて思い続ければ、人間関係、人脈というものは無くなり、自分と価値観の合う人とだけしか分かり合えないようになってしまい、色んな人を認められなくなり切り捨てて言っていったんだと思われる。

 そして、自分も今は気の合う仲間だけで過ごしていくことが、精一杯になって、自分と気が合わないからいじめてみたいなんて馬鹿げたことで人を制圧していき奴隷と化すのかもしれない。

 人のことをどうでもいい、何でもいい、まぁ使えれば何でもいいし、関係が良くなればいいじゃんみたいに、自分がと思うなら、最後の人生はきっと一人になってしまい。一人になっても気づかずに私がっていっていればいいだけ。

 一人になって、自分が苦しい思いをした瞬間に、味方につければ何とかなるかと思い近づけは、人は逃げていくだけで、自分には誰も寄り付かなくなり孤独な人生をおくるいがいないのでしょう。

 孤独に苛まれ、人から憎まれ生活していけばずっと自分のことすらわからなくなって孤独になれば、人を欲しがるくせに、人は寄ってこない、それで暴力を振るいだし、人が自分色に染まればいいんだと思い始める。

 悲しくなっても誰も慰めたくなくなり、誰も寄ってこない。本当に自分だけがいる人生というのは悲しくて、仲間もいない誰に話しても、嫌な顔をされ涙が止まらなくなってしまうだろう。

 人を思いやることはいかに大事で、忘れてはならない心かということを自分たちは忘れてはならない。

 自分の頭がぼけてしまい自制が利かなくなるまでは。 

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