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人間にも幾たびか泥魚の隠忍にならうべき時期がある

吉川英治の三国志を読んでいます。

失意の劉備玄徳を励ます、関羽の台詞を紹介します。

そこらの汀(なぎさ)に、泥にくるまれた蓑虫のようなものが無数に見えましょう。虫でも藻草でもありません。泥魚(でい)という魚です。この魚は天然によく処世(~世間と交わってうまく生活していくこと)を心得ていて、旱天(ひでり)がつづき、河水がひあがると、あのように頭から尾まで、すべて身を泥にくるんで、幾日でも転がったままでいる。餌をあさる鳥にもついばまれず、水の干た河床でもがき廻ることもありません。そして、自然に身の近くに、やがてしんしんと、水が誘いにくれば、たちまち泥の皮をはいで、ちろちろと泳ぎだすのです。ひとたび泳ぎ出すときは、彼らの世界には俄然満々たる大江あり、雨水ありで、自由自在を極め、もはや窮することを知りません。実におもしろい魚ではありませんか。泥魚と人生。人間にも幾たびか泥魚の隠忍にならうべき時期があると思うのでございまする。
                                                  (『三国志』 吉川英治 著)

端から見たら、みっともなく見えても、泥臭く生きている人間の方が強いのかもしれない、と考えさせられました。

私も失敗だらけの人生ですが、自分では遅咲きなだけと思っています(笑)

さて、今日は、何を学ぼうかな!!

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