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江の島に集まる人たちのこと、笑える?

 自粛をするかしないかは「自粛をしたいかしたくないか」という一点によってのみ決まる。そしてこの問いに対する答えは「自粛という不便さに耐えてでも得たいものがあるか」と「自粛しないことのリスクを負ってでも得たいものがあるか」というふたつの比較によって決まる。「自粛しない若者はリスクに関する知識が足りないんだ!」という意見は考慮しない。知識という判断の材料があろうとなかろうと、判断の基準自体は変わらないと思うからだ。

 僕が世間一般の論調を見て思うに、「自粛という不便さに耐えてでも得たいもの」というのは、つまり「元通りの生活」だろう。事実、自粛を訴える人の主張にはほとんどの場合「今は我慢」であったり、「コロナが落ち着いたら~」というメッセージが含まれている。

 一方、「自粛しないことのリスクを負ってでも得たいもの」というのはほぼ間違いなく「その日の楽しみ、幸福感」と言っていいだろう。江の島は出かける先としてどう考えても不要不急だし、江の島にいくほとんどの目的はレジャーだろうから。

 こういう風に整理すると、対立構造は明確だ。自粛派は今我慢して後に大きなリターンを得ようとし、外出派は先のことはわからないけど今最大のリターンを得ようとしている。そして、このように「世間のムード」とか「空気感」をとっぱらってしまうと、これは対等な対立関係、意見の違いによる行動の差異でしかないとわかってしまう。

 ヴェールをはがしてみると、自粛派の気持ち悪い部分が見えてこないだろうか。まず、「いつか元通りになる」という主張にはそれほど根拠がない。今回のコロナウイルス騒動は、規模まで含めれば世に前例がない事態だ。どれくらい自粛すればどれくらい収束する、といった具体的な指標もない。つまり、「いつか元通りになる」は客観的な事実ではなく彼らの信仰だ。信仰をもとにそれにそぐわない行動をとる人を批判する。これが気味が悪い。まるで「はだしのゲン」で読んだ戦時中みたいだ。

 「はだしのゲン」が創作物であることはこの際置いておく。「欲しがりません勝つまでは」のスローガンは実際にあったわけだしね。大事なことは、「今我慢すれば日本は勝利する」という信仰をもとに「お国のため」の行動をしない人たちを「非国民」と呼んで迫害していたことだ。21世紀に住む僕たちは、日本が戦争に負けることを知っているから、そういう人を批判的な目で見ることができる。なら、もし今僕たちが5年、10年くらい先の未来を見てきて、その未来でやっぱりコロナウイルスが収束していなかったとしたら、僕たちは今自粛を叫んでいる人たちをどういう目で見るのだろうか。

 なぜ、僕が江の島に出かける人たちを笑えないのか。それは、僕には判断ができないからだ。

 僕はリモートワークができていてて、江の島に出かけることが人生でそれほど大切ではない。だから僕はほとんど外出をしないし、江の島に出かけてもいない。だけど、人生をかけてやりたいことがひとつある。ヨガだ。緊急事態宣言が出るまでは、他の外出はすべてとりやめてでもヨガスタジオに通っていた。そして、冬の間ずっと、気温が暖かくなったら外出して屋外でヨガをしたいと思っていた。

 今の僕がその衝動を我慢しているのは、僕の天秤がそう傾いたからにすぎない。つまり、天秤の片方にはヨガしたいという思い、もう片方には感染を広げたくないという思いに加え、自分が罹患したときのリスク、収束が長引くのではないかという恐れ、社会的なプレッシャー、などなどを乗せた結果、今は自粛する方に傾いている。だから、収束が長引くことは避けられないと考えるようになったり、社会的なプレッシャーが弱まったら、たぶん僕は家を出ると思う。

 いろんな考えがあって自粛を訴える人たちと、いろんな考えがあって外出する人たち、どちらが正しいのかはわからない。答えが出るまでもう少し時間がかかるだろう。だけど、一つだけ間違いなく言えることがある。コロナウイルスが社会の中でどんな結論に至ったとしても、人はそれを受け入れて生きるしかない。その結論がもし、「いつか元通りになる」と信じて来た思いを打ち砕くものだったら、その準備ができていない人は相当に辛い思いをすることになる。たぶん自粛しなかった人たちを責めるだろう。政府も責める。社会も責める。さんざん人を責め終わってから、やっと現実を受け入れる。人の心理ってそういうものだ。

 もしかすると、だけど。江の島に出かける人たちは、圧倒的に環境適応能力が高くて、もう自分の生活の中にコロナウイルスを受け入れた、そしてその上で最高の人生を送ろうとしている人たちなのかもしれない。もしそうだとしたら、彼らは「現状を受け入れる」という過程をすでにクリアした人たちだ。正しいか正しくないかの話ではない。心の中でどれだけ環境に適応できているかの話だ。そして適応にはプロセスがあって、時間がかかる。もしかすると、彼らはすでに何歩か僕らの先を行っているのではないかー

 そう考えると、僕は彼らを笑えない。

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